マレーシアの3日間 (2005/11/15〜11/19) A〜Z

 
Airport ( Kuala Lumpur International Airpot )空港

 クアラルンプール空港は、日本の技術が生かされ、最近、1998年に完成。設計が黒川記章氏、施工は竹中工務店他の5社。首都クアラルンプールの南方約50km、ゴムと椰子の木の茂っていた丘陵地帯に10km四方に広がる、世界最大級の新しい国際空港である。中は光がガラスに何重にもなって反射し、星が降る感じ、明るい光りの宮殿のようであった。
 帰路、上空から見たその飛行場の灯りが、印象に残っている。上空から見下ろすと、光りの筋がモザイク状に広がり、大きなイルミネーション、これも夢のようで、壮観が目に焼き付いている。
 エアロ・トレインに乗り、国内線への乗り換えを待つ間、歩くと、イスラム教のお祈りの部屋があり、男性用の部屋から若者が出てくる。ここはイスラムの国であった。喫煙ルームは人が多く、びっくり。
 国内便では、ハンサムなスチュワードが非常時の浮き袋の付け方をして見せてくれる。
 蛇行する川が延々と続き、窓から見下ろすと、その行く方をたどるのにひと苦労。
 北方のペナン島まで空路45分ほど。出迎えは、地元の、大村昆さんによく似た、ガイドさんであった。
 32度という外気は少しムッとしたが、さほど暑いという感じはなかった。

マレー半島の西岸 国内線へ1キロのエアロトレイン 女性用イスラム礼拝室

Batik  バティック、ろうけつ染め

 最初に案内されたお店は、バティックを売る衣料品店であった。染料の入った大きな瓶(カメ)を見学して、店内へ入る。
 バティックとは、「ろうを使った芸術画」という意味とのこと。模様に、南国の花や蝶をあしらった鮮やかなものがあり、シャツ、ハンカチ、スカーフ、テーブルクロスなど色々。手描きと、他に、型押し、プリントがある。生地は、綿、麻、絹、合成繊維など。
 ろうけつ染めの発祥は、インドで、東南アジアに多いとのこと。むかし聞いたことのある「更紗」が、このバティックであった。
 連れの若い娘が布を巻き付けられたので、何枚か写真に収める。
 バティックは、ブティックに響きが似ている。ブティック boutiqueは、フランス語、流行の婦人服・装身具などを売る小さなお店だが、衣類に関係しているところが、バティック、ブティック、ちょっと似ている。
 手描きのシャツを1枚、やっと選んで、連れが購入した。
 次に案内されたのは、錫(スズ)製品が売られているお店であった。錫は、マレーシアが、世界第一位の生産量とのこと。ピューターは、錫を主成分とした合金。ピューターのワイングラスで呑むと、味が違うとか、腐らないとか聞かされる。食器、花瓶、時計、レターオープナーなど、色々あったが、マグカップを、ガイドさんの説明につられて、ひとつ購入する。
 店員さんが、計算機を片手について回り、日本円にすぐ換算、商売熱心であった。

バティックの着付け バティックでハイ・ポーズ 薄桃色の部分がマレーシア

Christ Church クライスト・チャーチ

 日本の京都に当たる古都とも言われる、マラッカで、サンチャゴ砦、クライスト・チャーチ、セント・ポール教会などを、訪問する。
 「サンチャゴ砦」は、1511年、ポルトガル人が、16隻の大艦隊で「マラッカ王国」を攻撃、占領して、建設した砦。
 「マラッカ王国」が、ポルトガルに征服された当時、マラッカは、4000人の外国商人が住み、港湾都市として栄え、94の外国語が話されていた。
 ポルトガルに代わり、オランダが、1641年、このサンチャゴ砦を、要塞とする。当時、この要塞は、東洋一の堅牢さを誇り、セント・ポールの丘全体を取り囲むほど大規模なものであった。
 「サンチャゴ砦」は、次のイギリス統治の時代に、破壊され、現在は、門を残すのみ。
 砦の上から、マラッカ海峡を見渡すことができる。マラッカ海峡は、400年続いた植民地時代の変遷を、見守ってきた。
 「クライスト・チャーチ」は、1753年、マラッカをオランダ人が支配していた時代に建設された、木造のプロテスタント教会。この建物も、植民地時代を物語る。
 インドのイスラム商人の来航により、この地域がイスラム化する。2代目マラッカ国王が、イスラム教に改宗。
 イスラム教は、マレー半島やインドネシア諸島の宗教として定着していく。
 
サンチャゴ砦 マラッカ海峡 クライスト・チャーチ

Durian ドリアン

 ペナンの朝市で、名前の分からない果物がいくつもあったので手の平に乗せて眺めて見たりしたが、買って試食をしてみるべきであった。バイキングの朝食では、パパイヤ、パイナップル等、いくらでも食べることができた。果物の王様と言われるドリアン、実は食べずに終わる。
 もう二度と行く機会はないであろう。悔やまれてならない。
 ドリアンはとても強い匂いを放つので、レストランでは食べられないし、ホテルや飛行機などへの持ち込みも禁止されている。
 マレーシアで育つくだものの種類はとても多く,野生のものをふくめると130種以上。そのうちの約3分の1近くはマレーシア原産のくだものであるとのこと。
 ドリアン durian の「duri」はマレー語で「とげ」の意。外側が硬いとげで覆われている。
 くだものは、スイカ、メロンの類も含めて、いくらでも食べることができたが、味の方はいまいちであった。
 マンゴーの味が忘れられないと、戦時中、南方でこれを食べた人の話を聞かされたことがあったが、マンゴーは、自分の口にはあまり合わない。
 でこぽんが、みかんでは今、日本で一番人気。
 でこぽんの栽培を、昨年から、佐伯で本格的に始めた知人がいる。当地佐伯では、柑橘類が、よく育つ。でこぽんの栽培を、まちおこしに手がけてはどうであろうか。
 
朝市のくだもの    ホテル歓迎の果物 オランウータンの赤ちゃん

East Indian Company 東インド会社


 日本は、胡椒の3分の2をマレーシアから輸入しており、マレーシアは、現在、胡椒の生産が世界第3位である。
 胡椒は、強い殺菌力がある熱帯地方のみで栽培される香辛料で、大航海時代、金銀並に、珍重されていた。
 当時、胡椒は、「コショウ一粒は黄金一粒」とまでいわれた大変な貴重品。ヨーロッパは肉食の文化であり、まだ冷蔵庫のない時代、それひとつで防腐、消臭、調味の役を果す胡椒は、まさに魔法の香辛料であった。
 その貿易の特別許可を各政府から得た企業が「東インド会社」。
 東洋貿易と植民地支配を目的に当時のヨーロッパ列強、英、蘭、仏が、1600年代初頭に設立した世界最初の株式会社。
 貿易上の独占権のほかにも、対象地域での行政権や徴税権や軍事権を持っていたという。
 ペナン島のコーンウォリス要塞は、「英国東インド会社」の提督Cornwallisが初めて島に上陸した場所に築かれた要塞。ジョージタウンの北東端に位置し、現在は石垣の城壁と、海に向かって置かれた大砲だけが残っている。
 この大砲には、花を供えて祈りをささげると、子宝に恵まれる御利益があると、ガイドさんが説明。
 1786年、「英国東インド会社」の交易商人、フランシス・ライト船長が、スルタン(国王)に、外敵の侵略から島を守ることを約束。
 イギリスは、代わりに、ペナン島の統治権を譲り受けた。

ガイドさんの説明を聞く    コーンウォリス要塞 ライト船長像の前で

Firefly Watching Cruise ホタル鑑賞

 この旅行の目玉のひとつ、ホタル鑑賞は楽しみのひとつであった。ホタルは、昨年初めて、佐伯の本匠のホタルを見て、びっくっり感動した体験を持っていたので、それとの比較ということもあり、どれほどのものか少なからぬ期待感があった。
 
 クアラルンプールより北西に約80km、セランゴール川の河口まで、バスで走ること、1時間。レストランで海鮮料理を楽しんだ後、初めての小雨の中、船着き場に到着する。
 浮き袋を身につけ、グループの10人が屋根付きの小舟に乗り込むと、暗闇の中、小船はすべり始める。モーターの音は気にならない程度に静か。水面が手の届くところにある感じ。
 すぐにホタルと分かる光りが点滅し始める。小さな数え切れないホタルの光の点滅になり、幻想的な光景を見せてくれ始めた。群生しているマングローブの木に群れたホタルのイルミネーションが、とぎれなく続く。20分あまりが、あっと言う間に過ぎる。
 本匠のホタルは、1週間であるが、ここは1年中、これが見られるという。二度と来れない、そんな思いから時間が惜しまれた。
 
 本匠のホタルも、昨年、初めて見た時、言葉に表せない感動があった。その週の内に、妹夫婦を案内し、そして今年も、また出かけた。
 地元の観光資源、これを、もっと売りに出したい。
 「ホッホッ本匠のホタル(見)に来い!」と。
 
多いオートバイ 反対車線に右折待ちオートバイ ホタル鑑賞の入口

George Town ペナン島ジョージタウン

 ペナン島は、マレー半島の西北、マラッカ海峡に浮かぶ島で、大きさは、面積293ku、淡路島の約半分。
 島の形が亀に似ているというのが、バスの中での最初の説明であった。
 亀の右手に当たる部分にあるのが、ペナン州都、ジョージタウン。ジョージタウンのジョージは、イギリスがペナンを獲得した当時のイギリス国王、ジョージ3世にちなんで名付けられた。
 ジョージタウンは、かって「英国東インド会社」の貿易拠点として繁栄、植民地時代の英国風建物や教会など西洋文化が残っている。一方で、当時移住してきた人たちによって建てられた、中国寺院、ヒンズー寺院、ビルマ寺院など宗教的建物が混在、エキゾチックな町である。州都というだけあって、ホテル、ショッピングセンター、市庁舎を始めとする公的機関が林立している。
 
 そのジョージタウンを左に見ながら、全長13.5キロのペナン大橋を、バスで渡る。島からマレー半島側へは通行料金無料、島に戻ってくるとき料金所で7リンギットRM(210円)払う。
 日本の明石海峡大橋は、1,991mの世界最長の橋脚間を誇る吊り橋であるが、13.5キロは、橋の全体の長さのことであった。
 ペナン島は、「東洋の真珠」と言われている。一度は訪れてほしい、マレーシアを代表する国際的観光地である。

ペナン大橋から見たジョージタウン 夜店、お祭り? カメの形のペナン島

Heat 暑さ

 現地に着くまでは、飛行場内等、冷房が効いていたからか、暑さはまったく感じなかった。ペナン島の飛行場から出た時が、外の暑さを感じた最初。ムッとした熱気が感じられ、いよいよ常夏の国に来たか、やはりと覚悟をしたが、それはしばらくのこと。後は暑さはさほど感じないまま、気にはならなかった。
 ホテル等、冷房が効いているので、薄い上着を1枚持っている方がよいということで用意していた。しかし、着るほどのこともないまま。日本の真夏のうだるような暑さを予想していたのに当てが外れた感じ。ずっとTシャツで過ごし、ホテル等では、冷房が効き、快適であった。
 一日の平均気温は26度〜27度、だいたい最高気温が31度から33度、最低気温が21度から23度。それが一年中続く、常夏の国である。
 雨期と乾期がだいたい3ヶ月毎に、繰り返すので覚えやすい。10、11、12月が雨期に当たる、という説明があった。
 雨季でない時でも、マレーシアでは、からからに乾くということはあまりない、高温多湿の熱帯雨林気候。雨は午後から夕方に降ることが多いとあったが、夕刻、一度小雨に会っただけである。
 当地は、赤道に近い、四季のない、常夏の国。
 
 日本では見られない動植物に、たくさんお目にかかった。
 日本の真夏ほど暑くはないのではなかろうか。
そんな感じさえした。

エコパークのインコ エコパークのイグアナ 水上ハウス

Istana Negara 王宮(マレーシア連邦国王の宮殿)

 植民地化される以前は小さな王国の集まりだったマレーシアは、今でもペナン、マラッカ等、4州を除く9つの州にスルタン Sultanと呼ばれる州の長がいて、5年に1回、スルタン会議で国王が決まる。現在、セランゴール州のスルタンが国王となっている。国は、13の州と3つの連邦直轄領からなり、国家元首が国王の、立憲君主制の国である。
 マレーシアの歴史は、中部スマトラから入植した人々が、14世紀末、マラッカ王国を樹立した時に始まる。王国はインドや明国と活発に交易を行い、莫大な富と生活のイスラム化がもたらされ、イスラム社会である今日のマレーシアの原型が築かれた。しかし、順にポルトガル、オランダ、イギリスの支配下におかれ、第二次世界大戦では日本軍の進攻に遭い、その交易と植民地化の歴史の結果、人種と文化のるつぼとしてマレーシアは、発展。宗教から伝統、衣服、料理に至るまで、様々な文化の融合を果たすこととなった。
 1945年、日本が無条件降伏すると、再びイギリスの支配下に置かれ、根強い独立運動により1957年、マラヤ連邦として独立。1953年、シンガポール、サバ、サラワクが統合され、1965年、シンガポールが分離・独立、現在のマレーシアとなった。
 約12年続いたマレーシア独立戦争で没した兵士たちを悼むために建てられたのが、独立記念碑。マレーシアの自由と独立のために戦う、7人の兵士を鋳造したブロンズ像である。

王宮 王宮の正門 独立記念碑

Jaya Times Square Hotel ホテル

 最初に宿泊したホテルの名前が、Berjaya Times Square Hotel & Convention Center Towers 。 jaya は、マレー語で successful。
 到着の夜、時間が遅かったせいか、お湯がぬるく、そのお湯も勢いがない。電話を入れようとしたが、フロントにつながらない。バスタブは使わずになんとか、シャワーで済ませた。部屋に2ヶ所あるトイレの一方が調子が悪く、苦情は言わないままに終わる。
 JTBの格安料金の旅行で、それほど立派なホテルに泊まれるとも考えてはいなかったが、シャワーを使うのが一般的なのか、それで修理もしないままなのかもしれない、と諦めた。
 翌朝、窓を開けると、部屋からの眺めは抜群であった。ちょうど朝日が昇る所で、感動的。外国のリゾート地に来ているという実感が湧いてきた。下には、ミニチュアの車が敷き詰められるように並んでいた。海には釣り船が、朝の漁をしているようであった。27階からの遠望は、異国情緒たっぷりであった。
 夜の内についていたテレビが、朝は映らないというハプニング。NHKが入ると、喜んでいたのに。テレビの操作の説明書がないので、ガチャガチャあたり回し、苦労する。
 3泊目は、クアラルンプールのホテル。歓迎のトロピカルフルーツがテーブルに置かれてあり、最初のホテルよりもずっときれいで、確かにスイートルームであった。ところが、ここでも、チャンネルが合わせられない。テレビの操作に、相当の時間を費やし、結局、テレビくらいいいかと、諦めてしまったのである。

ホテルのバスルーム ホテルの窓から ホテルの窓から朝日

K L Monorail クアラルンプール・モノレール

 マレーシアの首都、クアラルンプールは、19世紀半ばに、錫の採掘集積の拠点として築かれた新しい街である。街の名前 Kuala Lumpur は「泥の川の合流地」を意味し、略してKL。KLは、人口国内最大の150万人、高層ビルが立ち並ぶ大都会である。
 
 ここを走る、KLモノレールは、全長8.6キロ、ごく最近、2年前、2003年8月31日の独立記念日にできたばかり。
 KLタワーは、東京タワーに対応する、ラジオやテレビの通信にも利用されている、421mのタワー。1996年5月に完成。
 小高い丘の上にあり、市内全域を見渡すことのできる回転展望レストランがあり、市内のどこからでも見つけることができる。
 次の「KLタワーからペトロナス・ツインタワーを望む」のパノラマ写真は、西羽潔氏の撮影。
 
http://kobe.cool.ne.jp/nishiha/panorama/kl/index.shtm
 残念ながら、モノレールに乗ることも、タワーに登ることもできなかった。
 
 滞在したホテルの部屋から、見下ろすことのできたのは、クアラルンプールの中心部にある、刑務所であった。外国人でも、麻薬と銃は、絞首刑になる、刑罰が厳しい、とガイドさんから説明を受ける。

モノレール KLタワー(政府観光局写真) ホテルから見えた刑務所

Language Ability of the Guides ガイドさんの語学力

 ペナン島のガイド、リッキーさんは、「キンージョにあるオミセ、何のオミセと思いますか」が、最初の切り出しであった。
 マレーシアで生まれた中国系のジーさん。「ジーは一回だけです。2回言わないで下さい」、と笑わせて、自己紹介。マレー語、英語、北京語、広東語、福建語、日本語の6カ国語を話すと言う。
 ペナン生まれの中華系で、家では福建語を話し、小学校では北京語で勉強し、マレー語と英語を学び、中高ではマレー語で教育を受け、大学で日本語を専攻して、日本企業に就職し英語で業務を行って、5ヶ国語は話せる、などというケースはあるとのこと。
 人口2,000万人のマレーシアは、マレー人60%、中国人30%、インド人その他が10%が入り交じり、多くの人種からなる、東洋と西洋の文化が入り混じった多言語国家である。
 新聞やTV、ラジオなどで、国語のマレー語、共通語の英語、マンダリン(中国標準語)、タミール語(インド)のものがあり、出版、放送されている。
 ガイドさんの語学力が、マレーシアでの一番の驚きであった。マレーシアの表玄関にいる、外交官であるを感じさせられた。
 ジーさんは、丁寧で優しい人柄。最後は、連れの娘たちは気にいってしまい、名残惜しいと写真を一緒に撮らせてもらい、住所も教えてもらった。
 飛行場で別れたあと、振り返ると、かなり遠くに見える上階の下窓から、ジーさんが、腰をかがめて手を振ってくれていた。
 その光景は生涯忘れられない思い出として残るに違いない。

砦で説明するガイド・リッキーさん 青雲亭寺院前のガイド・ジーさん ジーさんをはさんで

Malaysian Dance マレー舞踊

 ツアー最後のお楽しみは、マレー伝統の民族舞踊ショー。
 クアラルンプールを代表するビュッフェスタイルという、マレー料理レストラン、Seri Melayu に入ると、天井が高く、独特の雰囲気、少し明かりを落とした大きなホールがあった。
 20近くの丸テーブルに、まだ客はちらほら。料理がバイキングの形式でぐるりと廻りに並べられてあり、舞台そば左に伴奏の楽団が演奏の準備中であった。前から2番目の左端、バンドの前の丸テーブルに案内され、グループの10人が席につく。
 マレー料理をそれぞれが皿に盛り、運んで来て、食べ始め、30分ほどして、舞踊団の踊りが、4人、10人と、始まる。マレー伝統の民族舞踊は、日本の盆踊りを派手にした感じ。愛嬌を作って笑顔を崩さない男性、年期の入った感じの女性も含めて、舞台を右に左に、華やかにダンサーの踊りが続いた。
 インド系女性の、一人で踊る踊りが一番印象に残っている。グルリとした大きな目の大柄なはっきりとインド風と分かる衣装とメークで、身振り、手振りが妖艶。背筋を伸ばし、目玉を動かさない。両腕を大きく対照的に動かし、身体全体で踊る。その動きは、特筆に値するものであった。日本の神楽とかに相当するものではなかろうか。
 終わりの舞台では、お客に参加するように招待があり、連れの娘が積極的に、壇上に参加。リズムに合わせて、笑顔につられて、一時を楽しむ。明るい雰囲気の内に、ショーが終了、1時間近く。
 出演者と一緒の記念撮影、我々のグループが、一番であった。

伝統民族舞踊 インドの踊り お客参加の舞台

National Mosque 国立モスク

 朝5時半頃、イスラム教のお祈りのコーランがホテルの部屋にいて聞こえてくる。目覚めて、イスラム教の国に来たことを実感。
 イスラム教徒の割合はマレー人が主で50%、他に、中国系の仏教、インド系のヒンドゥー教、キリスト教と、世界の4大宗教が共存。祝祭日に、各宗派の教祖の誕生日等が組み入れられ、多民族、多宗教徒が、仲良く共存している。互いに、干渉しあわないということで、和がたもたれ、信教の自由は、保障されている。
 モスクは、イスラム教の寺院。
 国立モスクは、1965年に完成、東南アジアで最大規模のモスク。8千人を収容する礼拝堂、集会所、図書館の他に、マレーシアの独立に貢献した人々の霊廟が設けられている。
 礼拝堂に入るには、女性は、肌を覆うブルーのスカーフと上着を身につけなければならない。連れの娘たちがその衣装を試し着させてもらい、写真に収める。
 礼拝堂の入口には、世界の時間を示す時計がある。10億人の、世界中のイスラム教徒が、日に5回、メッカに向かって、お祈りをするのである。
 礼拝堂に入る前に身を清めるための、大きな手洗い場を覗く。
 イスラム教の人と結婚すると、イスラム教に入らないといけない。入ったらなかなか出れない。マレーシアでは、マレー系の人は、イスラム教徒であったら、奥様を4人までもらっていいと、ジーさんが説明。現地の人から聞くと、本当にそうかと、うらやましいことであった。

国立モスク入口 礼拝堂入口 大きな手洗い場

Orangutangs オランウータン

 オランウータンの見学は、このツアーの目玉のひとつで、これも楽しみのひとつであった。その島には、大人が14頭、子供が5頭と、数は多くはなかった。
 日本にも、50頭ほどがいるとのことで、確かに見たことはあったが、子供のオランウータンが、とてもかわいいという認識は初めてであった。
 人間に近いということで、昔から、猿、チンパンジーに強い関心をがあり、動物園ではいくら眺めていても飽きなかったが、このたびは、オランウータンを見直すことになった。
 オランウータンとは、マレー語の「森(ウータン)の人(オラン)」からきている。
 見学は、船で、飼育されている島に渡り、人間が網で囲われたコースを通って、人間の方が檻に入った感じで、自由に過ごしているオランウータンを見て回るという形であった。
 柵に電気が通っているので、柵に近寄れないようになっているその柵のそばにバナナが転げている。それを一頭が棒で取ろうとしている所に出くわした。どうするか、見ていると、棒の先に引っかけてたぐり寄せようとしている。電気が通っていることを知っているので、1メートルはあるその棒で、しきりに努力している所であった。棒の先で、逆に遠くに逃げようとするバナナ。それでも諦めずに、とうとう、うまくたぐり寄せ、無事に手にしたので、見ていて感心してしまった。偶然の通りがかりで、見ていた皆が、胸をなで下ろして喜んぶ、貴重な体験であった。

かわいいウータン 物思いにふける? 人間に近い顔をしたウータン

Penang Botanical Gardens ペナン植物園

 Penang(ペナン)は、マレー語で、「ビンロウジュ」。ヤシが生い茂っている島である。
 ペナン植物園は、ペナン島の東北部、ジョージタウンから8キロ、熱帯雨林の谷の斜面を利用して造られた面積30haの、広大な植物園である。1884年に、開園した。
 国の花である、ハイビスカスとか、何百種類もの熱帯植物が栽培されており、野生のサルや美しい鳥も多く棲んでいる。
 散策が楽しめ、ランニングコースにもなる道が、中を巡っており、途中、体力作り等ができる野天のジムもある。
 自分の体重を自力で押し上げる体力作りの器具とか、ペアーで楽しめる運動遊具とかが設置されていて、無料である。
 はまぐり石を縦に敷き詰めた、最後までなかなか歩けない、足裏マッサージの道とかもあった。きつくて途中でやめた人が多い中、やせ我慢をして最後まで歩く。面白い趣向で、楽しめた。
 散策を楽しむ人、木陰でくつろぐ人、ランニングしてる人、体力作りに興じる人、と色々居たので、佐伯の城山も、もう少し工夫ができないだろうかと、思いを巡らした。
 途中でみつけた、ロータリクラブの 金板の "The Four Way Test"。
 「言行は、次の4つに照らして」、というものがあった。
 1.真実かどうか  (Is it the TRUTH ?)
 2.みんなに公平か 
 3.好意と友情を深めるか 
 4.みんなのためになるかどうか

体力作り遊具 足裏マッサージの道 ロータリーの金板

Quality of Gold 22金

 マルコ・ポーロの、「東方見聞録」、その中の黄金の国、あれは、ジパングではなくて、マレーシアのことではなかったか。そう思えるほどに、金ぴかの仏像や、光るものが目についた。
 マレーシアでは、18金の代わりに、22金が普通であるとのこと。それで、一層そう思ったのかもしれない。
 金の値段は、世界中どこでも変わらない。買うのだったら、金製品が、間違いない。マレーシアでは、金は、普通、22金。18金は、ない。18金は、あまり評価されない。アメリカは、14金である。マレーシアは、金が取れる。と、そのような説明のあと、貴金属製品のお店に案内された。
 なぜ、マレーシアは、18金ではなくて、22金が普通なのか。
 アメリカやヨーロッパは、素材よりもデザインの価値に重きを置き、14金は、素材が硬く加工しやすい、それで14金が多い。
 しかし、アジア圏では素材の硬さより金の純度を重視する。それで、22金である。24金の純金のジュエリーもあるとのこと。
 その貴金属店で、森進一が好きという、男性の店員に出会った。自分も森進一が好きであるというと、携帯の着メロが、「襟裳岬」で、それを聴け聴けと言う。他に、何曲か森進一の曲名が、携帯に入っていて、曲名を見るように言う。話しが合った。
 日本の歌がアジアに浸透していると、聞いてはいたが、森進一ということで、恐れ入ってしまった。日本でも少ないのに。人の心というものは、どこかに共通するものがあるというか。
 旅費一人分ほどのネックレスを、連れが買いたそうにしていた。

ビルマ寺院入り口 涅槃物寺院の座像 ビルマ寺院の建物

RM リンギット

 乗り換え待ちの空港で、両替できる場所を探したが、見つけられず、両替できないまま、ペナンに入る。
 空港から宿泊予定のホテルに行くバスの中で、ガイドさんが、両替を準備してくれていると言う。1万円分ずつ、封筒に入れて。こういうことがあると分かっていたのか、気遣いを有り難く感じ、人数分、両替させていただく。
 通貨単位は、リンギット・マレーシア(RM)、Ringgit Malaysia 。1リンギットは約30円。ドルは、マレーシアでは、リンギットを意味し、アメリカのドルの場合は、1USドルという。リンギットの下の単位はセン( Sen )、100センが、1リンギット。
 貨幣は1、5、10、20、50各センがコインで、1、2、5、10、20、50、100リンギットの紙幣がある。
 物価がとても安い感じがする。日本の約3分の1とかいう。
 これは、マレーシアリンギットが、対米ドルの固定相場制をしいていることにも関係しているとか?理由はよく分からない。
 とにかく、色々な身近なもので、物価が安いということを実感する。普通の丼に入った麺類が、70円〜80円。タクシーが、クアラルンプールで、最初の2キロが、2.5RM(70円)。
 日本で年金をもらって、それをそっくりマレーシアに持って行くと、貨幣価値は倍加し、裕福な生活が送れることは間違いない。
 働かず、好きなことをして、貯金が残る。一年中、短パン、Tシャツで、服が要らない。暖房費、水から沸かす風呂代、風邪の医者代など、要らない。ただ、タイガービールは、安くなかった。

3輪自転車タクシー リストバンドの入場券 何を祈っているのかな?

Sleeping Buddha and Standing Buddha 寝釈迦仏寺院、ビルマ寺院

 寝釈迦仏寺院は、タイ系寺院。ペナンの、ジョージタウンから車で約10分。拝観は、無料。極彩色のきらびやかな門をくぐると、前庭に、色鮮やかな龍や猿神像が迎えてくれる。
 本堂に入ると、全長33mの巨大な涅槃仏が、金箔の衣装をまとい、穏やかな表情で横たわっている。その手前には、金箔を貼られた座禅姿の修行僧の金色のミイラが、2体。
 涅槃仏の後ろ側に、自分の干支の仏像にお祈りをすると願いが叶うと書かれた、12体の座った仏像が置かれている。連れの娘たちは、それぞれの干支の仏像の前で、真剣に何かを祈っていた。
 涅槃仏の背中には、納骨棚がいくつも埋め込まれて並んでいる。
 このタイ寺院では、釈迦像が横たわっているのに対し、その寺院のまん前にある、ビルマ系寺院では、黄金のパゴダの本堂に、光り輝く釈迦像が、こちらは立ち姿である。
 日本では見られないような顔立ち、両手のひらがとても大きい。御利益があるようにということであろうか。
 マレーシア最古の中国系寺院、青雲亭寺院を、マラッカで訪問。資材はすべて中国から運び込んだとのこと。形は変わっても熱心な信仰心は、どこの国にあっても同じであることが分かる。
 
 奈良の大仏が、奈良時代、最初に作られた時は、金ピカであったことを、日本に帰ってから、NHKの番組で知らされる。毘盧遮那は、梵語の音訳で、太陽・光明の意味であった。

タイ寺院の寝釈迦仏 ビルマ寺院の立ち仏 中国寺院の前で

Twin Tower ツイン・タワー

 ツインタワー Twin Tower は、首都クアラルンプールの中心地に悠然とそびえ立つ、近代的・先進的なマレーシアを象徴する建築物である。高さ452m、88階建て、マレーシアの国立石油会社「ペトロナス」によって建築された。
 イスラム様式でモスクに似せて作られており、特徴的な尖塔を持つ。建設当時はこの尖塔を含めた高さで、建築物世界一を誇っていたが、2003年10月、台湾の台北国際金融センターに世界一の座を譲り渡した。
 タワー1と、タワー2は、それぞれ、日本と韓国の建築業者が技術を競い合った。日本の建設会社は、「ハザマ」、韓国の建設会社は、「サムソン(三星)」。2本のタワーの41階と42階を結ぶスカイブリッジは、フランスの建築会社の施工とのこと。
 ハザマは、「タワー1」の施工を担当、最先端の技術と、多国籍の人々との連携によって多くの困難を克服し、奇跡的な短工期で、世紀のプロジェクトを完成に導きました、とのこと。
 ツインタワーを建設した「ペトロナス」は、1974年にマレーシア政府によって設立された、国営石油会社。国内の石油天然ガス資源の所有権をすべて保有し、管理を行っている。その事業領域は、多岐にわたり、海外事業にも積極的で、他の国営石油会社のお手本とも言える存在であるとのこと。
 
 夜空にそびえる、二本のタワーを見上げると、ぼんやりと淡く光るその姿が、何とも言えない、とても印象的なものであった。

遠景のタワー 下から見上げたタワー 夜空に浮かぶタワー

Uniforms 制服

 日本でも見かけることがあるスカーフを巻いた、イスラムスタイル。イスラム教では、女性は身体を見せてはいけないから、頭にスカーフみたいなのを一枚被る。ところが、最近被ってないの子も結構いる。マレーシアの回教徒の政府の考え方はだいぶ広げた。政府はうるさく言わない。他のイスラム教徒の国の人と比べると随分違う。色々民族がいるから、とのこと。
 ミニスカートは、イスラム系にはないというか、ほとんどない。多くは中国系である。
 見えるところは目だけという女性に、マラッカで、すれ違った。一瞬のことである。どきりとするような魅惑的な目をしていた。
 学校の制服は、日本よりも厳しい。全国、一緒。水色ワンピースは中学生。高校生は同じ水色で、ツーピース。小学生は紺色。靴まで制服で、一緒、白色。学校の判別は、左側の胸につけたバッジでする。
 小学校は6年。中学校は、今5年。高校生は、2年だけ。後は大学4年。学校は、ほとんど二部制の形を取っている、朝と午後。暑いから。午後部の終わりは7時、午後1時半から。朝部は7時半から、午後の1時半まで。
 日本では、最近急に、詰め襟の黒の学生服が廃止になってきているが、マレーシアでは、まだこれまでの日本のような形態で、全国統一の制服である。

エコパークの女性 モスクの女性用上着 王宮の番兵

Vast Fields of Oil Palms 延々と続く油ヤシ畑

 延々と続く、油ヤシの畑。それが、マレーシア最初の強烈な印象であった。バスの中から見える、これでもかこれでもかと続く、油ヤシ。植えたばかりの、若い油ヤシの畑もある。
 油ヤシは、天然ゴムと並んで、植民地時代に開拓された重要な産物。油ヤシ Oil Palm は、その果肉から「パーム油」、種子から「パーム核油」という2種類の油が採れる。ゴムよりもとても栽培しやすく、利益が大きい。油ヤシから取れる植物油は、現在、世界で、大豆油に次いで多い生産量。同じ面積で、大豆油の約4〜6倍が生産される、安い植物油である。
 熱帯地方が栽培地域であり、季節による生産量の差が無い。
 パーム油で、車を走らせることにも成功しているという。
 イスラム教では豚、ヒンズー教では牛の、動物性の油は好まれないという、宗教的な理由もある。
 日本でも、その輸入量はここ数年、急増している。
 日本に輸入されるパーム油のうち、7割は食品加工用に、3割が洗剤やシャンプーなどの家庭用洗剤、化粧品などに使われる。
 日本では、多くの輸入量があリ、生活のあらゆる所に浸透しているにもかかわらず、普段の生活で目にかかることはあまりない。ために、パーム油は、「見えない油」と、言われている。
 1950年代後半に、インスタントラーメンに、パーム油が使われ始め、ラーメンの消費が年間数億食までなって、現在、油ヤシのパーム油は、日本ばかりでなく、世界中で消費量がまだ増えているとのこと。

油ヤシの林 油ヤシの畑 植えたばかりの油ヤシの畑

Wawasan 2020 経済政策 ワワサン

 「ワワサン2020」は、2020年までに、マレーシアを先進国入りさせようという、国家目標としての、経済政策。
 「ワワサン」は、マレー語で「ヴィジョン vision」 (夢)の意。マハティール前首相が、1991年に、提唱した。
 マハティール首相のことは、大分の一村一品運動を賞賛した親日派で、すばらしいリーダーと聞いていたが、一番偉いのは、マハティールさんよりも初代首相である、とガイドさんが説明。
 長期に渡る植民地時代を抜けて、1957年に、共産ゲリラとの国内戦争の最中、マレーシアは、独立。以来、マレー系、中国系、インド系の、3大民族からなる国家が目指したのは、国民の統一。この「国民の統一」の目標の下に、安定的政権が持続、経済開発が促進された。発展を、3期に分ける説明が、インターネットにあった。第1期は、農村開発、第2期は、民族間経済不均衡調整、第3期は、工業化とマレー人企業・企業家の育成。マハティール首相がリーダーシップを発揮したのは、第3期に当たる、1981年からの、22年間であった。
 天然ゴムやスズといった、一次産品を輸出する国から、工業製品を輸出する国へと、変貌。特にここ数年のマレーシアの発展は、目を見張るものがある。
 2006年1月5日、日本の新しいエネルギー政策指針として、「2030年目標の新エネ戦略」が発表された。経済産業省の新・国家エネルギー戦略。我が国が分野別の数値目標を示した、初めてのエネルギー戦略。24年先を見込んだものである。 

ホテルからの眺め バスからの眺め バスからの眺め

Xavier ザビエル

 聖フランシスコ・ザビエルの像が、マラッカのサンチャゴ砦の丘、セント・ポール教会のそばに立っている。
 遺体が、国に帰る前、しばらくここに安置されていたという。その遺体安置所が、教会の中に掘り込まれてあり、大きな鉄格子が上に置かれている。
 ザビエルは、マラッカで布教中、日本人アンジロー(弥次郎)に出会って、日本渡航を志したという。
 日本に初めてキリスト教を伝えた、イエズス会の創設メンバー。ちょうど500年前、1506年4月7日に、スペインに、誕生。
 1533年、モンマルトルの丘で、創設の7人が、貞潔、清貧、世界への宣教の誓いを立て、キリストと福音に身を捧げることを誓約、イエズス会を、結成。世界の各地へ、多くの宣教師が派遣され、ザビエルは、中国船で、1549年、鹿児島に上陸した。
 京都での伝導は、果たせず、鹿児島、平戸、山口、豊後(大分)で、布教。日本滞在、2年3ヶ月、広東港外で、46歳で没している。
 
 高校時代、遠く南アフリカから来日した宣教師の奥さんに英語を教えてもらった経験がある。ザビエルの活動、宗教的活動の意義、そういうものを、あらためて考えさせられた。

セントポール教会入り口 教会とザビエル像 ザビエル像

Yatai 屋台

 最初の夜は、自由行動。ガイドブックを読んでいた娘たちの意見に従い、近くにあると言う、屋台に、行くことになる。
 ホテルの外に、暗く、車の往来が激しい道路がある。先に渡った二人が、向こうで待っているが、なかなか渡れない。横断歩道でも、車は止まらない。オートバイが、スピードを落とさず、すぐ近くを通り抜けていく。おっかなびっくり、薄暗がりを進むと、夜店の明かりが見えてくる。
 海岸沿いの、薄暗いかなり広い場所に、テーブルが点在。地元の人たちが多く来ている風。案内がないので、戸惑うことしばし。 テーブルを決め、それぞれが、周りの屋台店で、指さし注文とかして、ビールも仕入れる。何とか食べ始めるまでに、2、30分。
 細い麺、太い麺、他にも色々、分け合い、味比べをしながら、いただく。
 ビールは、決して安くなかったが、料理は、値段がとても安い。味も、満足。屋台で食事は、正解であった。
 マレーシアでは、多くの人が、屋台で食事をする習慣があるとのこと。特に若い者が外で食べる。安くできるから。独身は、朝から晩までゼーンブ、外。一食、だいたい100円。100円から200円出せば、飲み物も入れてできる。朝食を家で食べる人は少ない。日本は、夫婦で働いていても、朝起きて奥さんはご飯を作る。マレーシアは、外で食べる。「おしん」とかドラマを見て、日本の女性と結婚したいと思った人が多いと思う、とのこと。

昼間見かけた屋台 屋台で 屋台で

Zoological & Botanical Garden (Eco-park) エコパーク

 熱帯動植物園、「エコパーク」。入口で、入場券でなく、手首に、代わりに紙バンドをとめられる。
 餌を待っている動物がいる。身近にそれらの動物と接触することができる。初めて見る、見たことのない珍しい鳥や、動物が放し飼いにされている。熱帯の動植物を直に感じることのできる、有り難いツアーコースであった。
 これは驚いたということがひとつあった。大きな魚がいるとガイドさんから説明されていた。熱帯魚は、佐伯弥生のミニ水族館で、大きなのを見てびっくりした経験があった。
 あそこにいる、と言われるけれども、濁っていてよく見えない。やっと、見つけて、なるほど大きいと、感心した。ゆっくりと泳いでいる、その魚が向きを変えてなおゆっくりと目の前を通り過ぎかかった時である。水のにごり色と同じで見えていなかった、その見えなかった部分が現れ、瞬間頭から尾までの全体が見えた。
 常識では、考えられないほどの、大きさ。想像していた大きさの、2倍、大きめの鯉のぼりの鯉の大きさ。また消えて行った。
 見ていて、気がつかなかった人も多かったのではなかろうか。

 マレーシアの素晴らしさ、優しさを教えようと努めてくれたガイドさんを始め、多くの優しい人やものに、出会った。
 自己中心の「エゴ」の生活を、反省する。これからは、「エコ」、ecological (環境に優しい)、まわりの人やものに優しい、「エコ」の生活を目指したい。
 まわりに優しくするには、どうしたらいいか、しっかり考えたい。

餌を食べる赤い鳥 リズザルに触れる 確かにいた熱帯大魚