天啓戒T か 『 感謝して 生きよ 神あり 仏あり 』

 引用は、『 信念 』(ロバート・シュラー 著、謝世輝訳、三笠書房刊)から。  ロバート・シュラー氏:現在アメリカの新しい思考法”ニューソート”の第一人者。主著に『いかにして自分の夢を実現するか』『積極的な考え方で成功する』などがある。


・ 人種、皮膚の色、先祖、生まれた時代、どれをとっても自分が選んだものはない。人生の基盤をあらかじめ決めている、ある種の運命があったのである。私はその運命を「神」と呼んでいる。
 今あるがままのこの自分を作ってくれた偉大な力、今ある自分は、神がそのご計画通りに作られたものであると感謝して生きることで、私の体の中に感動的な力が生まれてくるのを感じる。
 教師、親、親戚、牧師、友人…私の人生を形作るために、ある偉大な力がこれらの有用な人々を私に与えてくれたことを感謝する。
 私の眼を開き、私を高める機会を与えてくれたことに感謝し、私の心の中に知力と美に対する感性を備えてくれたことにお礼を申し上げる。

・ あるとき、リンカーン大統領はある補佐官に、「あの男の顔はどうも気にいらないね」と言ったと伝えられている。 「だれでも、持って生まれた顔はどうしようもございませんよ、閣下」と補佐官は答えた。 「いや、心がけの問題だよ」と大統領は言ったということである。心がければ、心も顔も美しい人間になるということである。確実な効果を期待できる美容術は次のようである。

 ・慈愛深く寛大な心を持つ。信念による希望の光が眼もとに輝く。
 ・人々の一番の長所を認める。
 ・お互いに人間同士だから、だれに対しても友好的な態度で接する。
 ・下品な顔つきの人間にならないように心に誓う。

・苦難と苦痛、災難と病苦、これらはすべて、親切や思いやりの心を培うのに役立つ経験であることを信じる。
 やがて、あなたに会う人々は、あなたの顔つきが晴ればれとして美しいと言ってくれるようになるであろう。背筋を伸ばし、正しい姿勢で歩こうではないか。
 リンカーンはもともと人相が悪かったことで有名である。しかし、人相はその人の努力によっていくらでも変わるのである。リンカーンは不断の努力によってついに品格のある立派な顔に一変した。顔は人格をあらわす。隠すことはできない。

・ アメリカ大統領の地位は世の中でいちばん孤独なポストである。大統領は最終責任者であり、責任を他へまわすことはできない。
 たった一人で打席に立っている。一人対全世界の対決である。
 信念とはもともと非常に個人的な事柄である。だから、私たちの場合でも重要な意志決定は、だれか他の人にまわすわけにはいかない。あなたが、自分一人で決めなくてはならない。
 あなたの前には対戦チームの9人が布陣しており、スタンドにあふれた観衆は、あなたをじっと見つめている。あなたは孤独のバッターなのだ。

・ ハンディがあるからこそ人生は発展する、というのが真実である。ハンディばかり見ないで、自分の恵まれている点を見出し、それに感謝しよう。



天啓U け. 『 決断を 下せ見切って 発車せよ 』

 引用は、『 人間はここまで強くなれる 』(謝世輝著、三笠書房刊)から。
 謝 世輝氏:台湾生まれ。台湾大学卒業後、来日。名大大学院で原子物理学博士号。文明・文化史、歴史学に転身。東海大教授。著書に、『成功の黄金律』、訳書に『信念』他。


・ わたし(ロバート・シュラー)の母の押し入れの中の棚に正絹の布地が一反のっていたのを、わたしはいまでも覚えている。これは、宣教師として中国にいっていた母の弟が、母のためにお土産としてもち帰ってくれた中国産の高級布地だった。この布地で何をつくろうか、と母はよく話していた。しかし一方では、この布地にふさわしいものをつくりたいと思うあまりに、もし布地を仕損じでもしたら、とたいへん危惧していたのである。母が八十近い高齢で死んだとき、この布地は相変わらずたなのうえにのっていた。
 母はとうとう何もつくらなかったのである。その布地をひろげたところ、その周囲はもう色があせていた。とうとうこの高価な布地は何の役にも立たなかったのである。

・ 愚かな者でも一個のリンゴの中の種を数えることができる。しかし、一粒の種の中のリンゴの数を数えることはできない。

・ わたしは幼い頃から身体が脆弱で、高校生になっても、体重は32キロしかなかった。まさに骨のうえに皮があるていどで、生きているのがやっと、というような状態であった。
 ところが高校2年のとき、ある宗教書を読み、「人間の生命エネルギーは無限で、身体が脆弱でも必ず大成できる」ということを知るに至った。このとき、ふと自信めいたものが、身体の奥底からわき出てきたのである。
 「身体が丈夫でなくても、人間はすぐ死ぬとはかぎらない。よし、頑張って生きてみせるぞ」という強い気持ちになった。するとどうしたことか、高校3年から大学1年にかけて、急に体重が増えはじめ、40キロをこすことができたのである。
 台湾から出国し、日本の大学で物理学を志すまでの3年間の課程は、それは筆舌に尽くしがたい熾烈な戦いであった。その戦いを通して、わたくしは一つのある大きな真理を悟ることができた。
 それは「たとえ条件が悪く、一見不可能にみえることでも、希望を抱いてぶっつかっていけば、必ず突破できる」ということであった。

・ 技師たちは、8シリンダーエンジンは理論的に不可能であるとフォードに勧告した。しかしフォードは「どんなことをしてもつくるのだ」と指示した。「何度でも挑戦するのだ。わたしには、どうしてもそれが必要なのだ」と。
 「不可能」なことを「可能」にするのは、「何としてでもやり遂げてみせる」という、強い信念である。

・ どんな宗教を信仰してもかまわないと思っている。仏教でもよし、キリスト教やイスラム教でもよし。要は、信念のともなった祈りをすることがいちばん大切なのだ。

 自分がいま、本当に欲しているもの、本当に必要としているものを強く、心の中で常に想うことだ。「どうしても・・が欲しい。こうなりたい」と判断し決定することが大切なのだ。本当に、自分がそれを希望しているのなら、強く心の中で叫びたまえ!そして毎日くり返すのだ。そうすることで、しだいに信念が強くなっていくのである。

 要するに、信念のともなった想念が重要なのだ。そして、それを信じるか信じないかが、その人の別れ道にもなるのである。



天啓戒U か. 『 確信が 善実践の 基盤なり 』

 引用は、『 ダルマの実践 』(スティーブン・バチェラー著、四季社刊)から。
 スティーブン・バチェラー氏:スコットランド生まれ。インドで3年チベット仏教僧、スイスの僧院で5年、韓国の僧院で3年修行修学。後還俗、英国へ。妻とフランスに住む。


・ 決意を固めることのうちには、志を立てること、価値を認めること、確信をもつことが含まれている。つまり、目覚めようという志を立て、目覚めの価値を認め、目覚めることは可能であるという確信をもつことである。それは全人格的で、焦点の定まった行為なのである。

 志を立てるということはそれを知的に欲求するのと同じくらいそれを身体で切望することなのだ。価値を認めるということはそれを好むのと同じくらいそれを情熱的に欲することなのである。

 確信をもつということは、理性を働かせて結論であるのと同じくらい直接的な直感の産物なのである。 自分が取り組もうとする目的がいかなるものであれ、こういう感情がわき起こってくるときはじめて、人生に意味が注ぎ込まれたといえるのである。

・ 苦悩は自分の人生がいま、現にそうであるものとは違った別なものであって欲しいと貪るように望むところから起こってくる。
 苦悩を生み出してしまうものとはほかでもない。現にそうである人生がそうでないようにと渇望することなのである。われわれはこうして悪循環におちいってそのなかをぐるぐる回っている自分を見出す。
 苦悩が強まれば強まるほど、いっそう強くそれを取り除きたいと欲する。しかし、それを強く望めば望むほど苦悩は増していくばかりなのである。

 こういった行動は、簡単に振り捨てることができるような単なる愚かな誤りではない。それはわれわれのなかに根深く入りこんだ習慣、あるいは常習(なんども繰り返して習慣のようになっていること=依存症)である。それが自分自身にとって実害があると気づいているときでさえ、しつこく存在し続ける。それに対抗するには、それとは別な生き方をするのだという、その習慣の力と同等の力をもつ不屈の決意が必要である。

 しかしそういう決意をしたからといっても、自分の感じ方がすぐさま変わるようなことはまずありえない。

 ダルマの実践は決意のうえにはじめて成り立つ。だが決意をするといってもそれは、感情的な理由で回心(あるきっかけで従来の生きかたを悔い改め新しい信仰に目覚めること)することでもないし、自分のやり方が間違いだったと痛烈に実感することでもないし、善良でありたいという絶望的なまでの思いに駆りたてられることでもない。
 それは何が最も優先されるべきことなのか、何が最も価値のあることなのか、生きる目的はいったいなにであるのかについての、たゆまない、心の底からの熟考なのである。
 われわれは感傷的ではない、断固とした仕方で自分の人生を吟味し見極め続けていかなくてはならないのだ。

・ 夜明けは太陽が昇ってくる先駆けである。それと同じく、善き友とのまじわりこそが聖なる八つの道(八聖道)を起こすにあたっての先駆けなのだ。 …仏陀

 ダルマの実践は決意と誠実さを私的に個々人のこころのなかで育成するという個人の内面だけにとどまるものではない。それは善き友とのまじわりのなかで具現化されるべきものである。



天啓戒V Ka. 『 環境が 己がこころの 産みの親 』

 引用は、『 自分が好きになる20の方法 』(L.ホール/L.コーン 共著、光文社 刊)から。
 Lindsey Hall氏はスタンフォード大学で心理学を、夫Leigh Cohn氏は、N.Western大学修士課程で英語学を専攻。さまざまな心の病と治療法の講演でアメリカ中を巡っている。


・ 近年、アメリカでは、心に病をかかえた人たちが急増しています。その人々のかかえる心の問題は多様です。

 <問題>をかかえているのは、あなただけではありません。じつに多くの人々が心の空虚さにさいなまれ、ありとあらゆる気晴らしでそれを満たそうとしています。
 心の病の辛さ、みじめさは、日本もアメリカもあまり変わりはありません。

 今、心の病から立ち直りたいと本気で取り組んでいるたくさんの人々は、みな自分の心の奥深くを探り、何があったのか、どうしてこうなったのかを知ろうとしています。

・ これら<問題>をかかえた人々に共通しているのは、自分を好きだという気持ちがないこと、つまり自分のよさを認識していないということです。

 あらゆる悩みの中で、自分のよさを認識できない、「自分に価値がない」と思うことほどみじめなものはありません。

 自分は価値のない人間だという感情は、どうして生まれてくるのでしょうか。
 その原因は、主としてあなたの家族関係にあると言えます。
 なぜならふつうの人は18歳ぐらいまで、起きている時間の80%以上をずっと家族といっしょにいて、たっぷり影響されながら育つからです。いちばん感じやすい幼児期には、もっとも長くべったりと家族(特に母親)にくっついています。

 私たちは家族が自分にどう接しているか、自分がどういうふうに思われているかを通して、そこから自分を見いだそうとします。
 つまり、家族に自分を映して、そこに自己像を見つけていくのです。

 ところが、その時、もし家族が誰も自分自身を好きでなかったらでどうなるでしょうか。
 自分を好きでない人間は、人に愛を教えることはできない、と私たちは考えます。

・ 不安や恐れは、私たちが持って生まれたものではありません。
 それは育っていくうちに身につけたものです。置かれた環境に影響されてできあがるものです。

・ ずっと昔に学んだことは、よかれあしかれ、こうすべきこと、しなくてはならないこと、当然のことといった観念になり、現在の私たちの考えや行動を左右し、「枠」をつくっています。

  自分はひどい人間だと信じるようになっているとすれば、家族や他人からそう扱われた結果、やむなく納得するようになったのかもしれません。
 深く意識下に根差しているその人独自の信念や、やり方、価値観といったものは、必ずどこかでその人を縛っているものです。

・ 要は、環境があなたのものの考え方をつくったということです。人は、肉体的にも精神的にも、生き延びるためなら、どんなことだってするのです、順応するために。
 心の痛みを麻痺させてくれる「何か」を見つけ出し、そこに救いを求めてしがみつこうとするであろうということです。



天啓戒V き. 『 期限切れ 決めよ自分の 締め切り日 』  

 引用は、『 あなたはいまの自分と握手できるか 』(A. ロビンズ著、三笠書房刊)から。
 アンソニー・ロビンズ氏:個人の未開発のままになっている能力をいかに引き出すか、その画期的な方法で世界的に有名な「ロビンズ・リサーチ・インスティチュート」社長。


・ 落胆した人を見分けるのはさほどむずかしくない。
 彼らはみな、うつむき加減に歩き、肩を落とし、弱々しく呼吸をしている。

 気落ちした状態を一新するには、背筋を伸ばして立ち、胸をはり、腹の底から深く息を吐き、頭をあげてみるのがよい。気力が充実してくるはずである。身体が気力の横溢した状態にできるなら、心だけ意気消沈しているというわけにはいかない。

・ 先に身体をコントロールするのがコツである。
 「できることならやってみたいが、どうしてもできそうにない」と考えている夢や希望はないだろうか。
 想いを寄せる人がいるのに近づけない。そのような、気弱なために、自分に不可能だと思われるようなことに直面したら、姿勢、呼吸、声の調子を変えてみるがよい。これならできるはずである。
不可能と思える問題もやってのけられそうに思えてくる。

・ 正しい問題解決のためには、惰性的な生活習慣、お決まりの固定した行動パターンを打破することも不可欠である。
 私たちはみなマンネリズムにがんじがらめに縛られている。
 必要なのは、その行動パターンを断ち切るためのきっかけを与えることである。

・ 惰性的な行動パターンを断ち切るいちばん効果的な方法は”ショック療法”である。

 人がこうした陳腐な行動パターンに陥るのは、それ以外にどうしてよいかわからないからだ。
 また、ある人が物思いに沈みすっかりふさぎこんでいるとすれば、それは、周囲から心配してもらいたい、思いやりの手をさしのべてもらえると期待しているからかもしれない。当人にとっては、それが周囲の関心を引くためにできる精一杯の努力なのだ。

 彼に同情を寄せ、なぐさめの言葉をかけたなら、相手の憂鬱な状態は一時的には癒されるかもしれない。しかし結局のところ、それは彼のお決まりのパターンをいっそう補強するものでしかない。
 そして、彼は、その有害な習性を永遠につづけていくだろう。

 彼を完全に無視するのもよい。彼のふがいなさを面前で痛烈に罵倒してやるのも一方法だ。

 いずれにせよ、いままでの習性をつづけていたのではもはや誰にも相手にされなくなることを、はっきり思い知らせてやるべきなのだ。

 彼はショックを受け、混乱するだろう。どうしたらよいかわからなくなるだろう。だが、その混乱を通過しなければ、彼は自分の行動パターンを自分の力で変えていくことはできない。
 惰性的な行動パターンを断ち切るには、”ショック療法”が一番と先人が教えている。

・ なにかをやろうとするときには、なぜそれをやりたいのかという理由が重要になってくる。
 なぜそれをしたいのか。それを絶対に達成することがいかに大切であるかを自分に言い聞かせることだ。充分な理由さえあれば、人はどんなこともできるものだ。

・ その道の大成功者ならどう考え、どう行動するかをつねに頭の中に入れ、次の一手を考えよ!

・ 目標を達成したときの自分を思い描け!

・ 自分の夢、目標を定めたら、必ず期限をつけよ!



天啓戒V Ko. 『 行動には 移るに足りる 動機あり 』

 引用は、『 時間を生かす 』(メリル・E・ダグラス 著、三笠書房 刊)から。
 メリル・E・ダグラス氏:アメリカ生まれ。心理学博士。タイム・マネジメント・センター所長として時間の生産性・仕事の能率化について研究。著書に『時間は語る』他多数。


・ 長く続いてきた習慣をかえるためには、かえたいという「欲求」がなくてはならない。かえたいという「気持ち」が内から湧いてこなければ駄目である。

 自滅的な習慣を排除し、それらを自己強化的な習慣とおきかえる努力を進めるために、次の5つを勧めたい。

 1.かえたい習慣はどのような行動か。どの点をかえたいのかをはっきりさせる。
 2.新しい習慣を慎重に決める。どのようにかえたいのかをはっきりさせる。
 3.新しい行動を、できるだけ強固な意志をもって開始する。
 4.新しい習慣が確立するまで、誘惑に負けないようにすることを第一に考える。
 5.習慣として定着するまでは、自分にできることは何でもやってみる。

・ 最も重要なこと、つまり自分の目標にとって役立つ大事な行動をすべきであるということは、誰もが知っている。ところが、人は必ずしもその通りにはやらない。往々にして、自分の気に入りの仕事、あるいはおもしろいと思う仕事をやりたがる。

・ われわれは何かをする時、どんな基準で、時間配分の優先順位を決めているだろうか。
 1.やりたくないことは後回しにして、やりたいことからする。
 2.自分にとって興味のあることを先にする。
 3.重要なことよりも急ぎのことを先にする。
 4.期限がきているものを先にする。期限が近づくまで本腰を入れては動き出さない。
 5.目の前に出現した順序に沿ってとりあげる。
 6.自分自身にとっての必要事より、他人から言われた用件を先にする。
 7.やりやすいことから先にする。
 8.やりかたのわかっていることを先にする。
 9.時間のかからないことからする。
10.計画の立っていることを先にする。 等々

・ 適切な生き方は、自分が真っ先にやろうとしていることがほんとうに最も大事なことかどうかを確認することである。最も大事なことを今すぐやり、重要性の低いことを後回しにするように努力することである。しかし、そこには、性格、感情、気分、時間に対する姿勢といった「邪魔もの」が入り込む。

・ あなたは子どもの頃、いつ宿題をやっただろうか?いつも締め切り期限の前の晩(時には、期限の1時間前)ではなかっただろうか?もしそうだとしたら、同じパターンは大体において大人になっても続き、それは仕事の場にまで入り込んでくるはずである。

・ 「あとでやる癖」を「今すぐやる癖」にかえるためには、積極的な行動が必要である。今ここでその気になる必要がある。手紙を開封したらすぐに返事を書く。あとで書こうととっておかないこと。「何とかしなければいけないな」と思った時にはいつでも、それをその場で何とかすること。あとにまわさないことである。

・ 引き延ばし癖は心理学的な問題であり、その征服は事実上心理学的な征服である。



天啓V け. 『 計画を 立てよ5分が 生きてくる 』

 引用は、『 人間はここまで強くなれる 』(謝世輝著、三笠書房刊)から。
 謝 世輝氏:台湾生まれ。台湾大学卒業後、来日。名大大学院で原子物理学博士号。文明・文化史、歴史学に転身。東海大教授。著書に、『成功の黄金律』、訳書に『信念』他。


・ さて、自分の将来の目標・願望を設定し、かつ具体的なことを空想したら、次ぎにそれを遂行していくための計画をたてなければいけない。これは、現在しなければならないことを、合理的にかつ現実的に考えていくための計画なのである。

 さて、綿密な計画を立てたら、それに向かって、直ちに行動を起こさなければいけない。計画通りに自分の道を進めるには、一日一日、いやいまの1時間というものが非常に貴重になってくる。アクシデントがいつ起こるかもしれない。そのときのために、あいている時間を有効に使わなければいけないのだ。

・ その強固な信念を培養し、保持していくためにはどうすればよいのであろうか。そう言ったことが書かれている本を、一日、5分でも10分でも読むことも、一つの方法であろう。さらに、その本の中に自分の気に入ったことばがあったら、小ノートに書き写すのもよい。1日、数行しか書けなくとも、1年経てば、1冊の小ノートが信念を強めることばによって埋め尽くされるであろう。  また、その信念を強めることばを暗記して、道を歩いているときでも、電車に乗っている間でも暗記するのも有効な方法だ。あるいはその小ノートをくり返して(1回1分間)読むのである。これらの方法が、自己暗示の最良の手段である。

・ 「どうしてもこれをやりたい。いや、どんなことがあっても、絶対これをやるんだ」というような、多少気違いじみたクレージー精神を持つのもよいだろう。  鉄鋼王と称されたカーネギーや自動車王とよばれたフォード、成功した人々の多くは、みな、「わたしは、この道に関しては、必ず一人前になってみせる。必ず成功してやる」といった、クレージー精神的な一つの信念を持っていた。そしてそれに対して、徹底的に情熱を捧げてきたのである。

 ジョン・レノンは、エレキ・ギターだけはたいへん好きであった。そして、クレージーともいえるくらい、徹底的にロックンロールを愛し、自分のすべてをそれにそそぎこんだ。やがて、彼のその熾烈な想念が、後にビートルズを誕生させ、世界中に一大センセーションを巻き起こしたのである。

 後年、ジョン・レノンは、ビートルズの大成功について、アメリカのある音楽雑誌のインタビューに次のように答えている。  「オレは、キリストもブッダも、マホメットも信じない。オレにとっての神はロックンロールさ。ロックンロールがオレのすべてだ。ロックンロールがおのオレを導いてくれた」

・ 背水の陣をしくことだ。この難関に屈したら、もうオレは完全にダメになってしまう、と考えると、得てして人間というものは、半分開きなおりの精神が生まれ、逆に燃えるような意欲が生じてくるものだ。なぜか。「もう引くに引けない」という背水の陣の精神が、「よし、やるしかない」という攻勢の精神に変換するからともいえよう。

・ まだ可能性は残されている。まだ多くの可能性の道はある。そう答えたい。



天啓W2こ. 『 攻撃は かわせ 心の 肥しなり 』

 引用は、『 マズローの心理学 』(フランク・ゴーブル著、産業能率大学出版部刊)から。
 フランク・ゴーブル氏:「トーマス・ジェファーソン研究センター」設立。マズローの膨大な作品をわかりやすくまとめる。アブラハム・マズロー氏:最も著名な心理学者の一人。


・ 人間は、人類に普遍で、明らかに不変で、発生的あるいは本能的な起源をもつ無数の基本欲求によって動機づけられている。これがマズロー独特の理論的見解における基本概念である。これは明らかに、本能は強固で、変化せず、悪である、という長い間多くの人々によって支持されてきた従来の考え方に挑戦するものである。欲求は「善か中立的なものであって、けっして悪ではない」ととらえている。

・ 次のような条件を満たす特徴をもつものは、基本的欲求と考えられる。すなわち、

 @それが得られないと病気を生む。
 Aそれが充足していると病気にならない。
 Bそれが得られると病気が治る。
 C他に先駆けて求められる。

主要なる基本的欲求は、次の5つである。

 1.生理的欲求…人間のすべての欲求の中で最も基礎的で強力な欲求。即ち食物、飲物、保護、   性、睡眠、酸素への欲求。

 2.安全の欲求…生理的欲求が、十分に満足された後に現れる欲求。いじめにあっている子どもと   かで、この欲求がよく分かる。  

 3.所属と愛の欲求…愛とは、深く理解され、深く受け入れられること。性的行動には、純粋に生理   的欲求としての性的欲求だけでなくこの愛の欲求が含まれる。愛の欠如は、成長と可能性の発   達を阻害する。良い人間関係では、不安もなく、この欲求が充足されている。  

 4.承認の欲求…人間は2種類の承認の欲求を持っている。
   @自尊心は、自信・能力・熟練・有能・ 達成・自立、そして自由などに対する欲求、
   A他者からの承認は、名声・表彰・受容・注目・地位・評判そして理解などである。十分な自己    承認をもっている人間は、より自信があり、有能で、生産的である。この自己承認が不十分であ   ると、人間は劣等感や無気力を抱くことになる。その結果、絶望したり、神経症的な行動を起こ   したりする。  

 5.自己実現の欲求…「人はなれる可能性をもつものになる必要がある。」

・ 攻撃に関する理論は、二つの主要なカテゴリーに分類できる。つまり、攻撃は本能的あるいは遺伝的な人間の性質であるという人々がいる一方、そう信じない人々がいる。
 多くの行動主義的科学者、特にフロイトは、敵愾心や攻撃性は、人間の性質のうち遺伝的なものであると考えてきた。これは、動物たちが攻撃的で、破壊的であるという観察に基づいており、人間もまた動物であるから、人間もまた暴力への本能を持っているというのである。マズローはこのように考えない。
 攻撃的な動物も少しはいるが、そうでない動物の方が多い。動物界におけるある種の動物の中の凶暴性や攻撃性は、たぶんあたりまえというよりは例外である。更に、人類に大変近いと思われるような種の動物たちでは、動物の中の攻撃性という本能を証拠立てるようなことはほとんどない。しかし、ある孤立的な動物、ある種の動物については、凶暴性や攻撃性が特徴的と見えるということは、マズローも認めている。

・ 攻撃というのは、基本的な欲求の欲求不満に対する反応、あるいは基本的欲求が満足できないということの現れであるとする。本能というより、一つの反応なのである。



拝天戒 し. 『 信あれば 迷うこと無し 死ぬるまで 』  

 引用は、『 人間はここまで強くなれる 』(謝世輝著、三笠書房刊)から。
 謝 世輝氏:台湾生まれ。台湾大学卒業後、来日。名大大学院で原子物理学博士号。文明・文化史、歴史学に転身。東海大教授。著書に、『成功の黄金律』、訳書に『信念』他。


・ マホメットはもとはごく平凡な人間であったが、40歳になって神からの啓示を受けた。そして彼の出身地であるメッカ市でイスラム教をひろめようとしたのだが、52歳までは災難続きであった。

 メッカ市は当時、貿易の中継地点として繁栄していたが、人々の貧富の差は激しかった。マホメットはそういう状況を憂え、人間の平等を主張したのであるが、当然のことながら、市政府の権力を掌握している貴族から弾圧を受けたのである。

 メッカ市において信者が増えていたにもかかわらず、マホメットは52歳のとき、市から追放されて流浪の旅に出ることになった。50歳を過ぎて苦難の人生がはじまったかにみえた。しかし、そのとき奇跡が起きた。

 メッカ市の北にある沿岸都市、メディナ市の使いの者に出会ったのである。メディナ市の人々は、マホメットを探していたのであった。

 当時メディナ市は市民が二派に分かれてあらそっていたが、この状況を平和に導けるのはマホメット以外にいないということで、市民は彼を仲裁者として迎え入れようと考えていたのだ。平和がおとずれた。

 その恩に報いるために、メディナ市はイスラム教を信仰する人々をことごとく受け入れることにしたのである。おかげで、メッカ市で受難していたイスラム教の信徒は、すべてメディナ市に疎開することができた。621年、イスラム紀元元年のことである。それはマホメット52歳のときだから、当時とすればもう老人であったといえよう。やがて、メディナ市においてイスラム教のグループが発展し、それから何年か後、メッカ市を攻略するにいたり、イスラム教が中近東全域にひろがっていった。

・ ツィオルコフスキーは、60歳を過ぎてからやっと芽が出た男であった。あくまでも希望を求める人には、チャンスは必ずめぐってくるものである。

 宇宙開発の先駆者といえるツィオルコフスキーは、9歳のとき、猩紅熱にかかって聴覚を失い、小学校へいけなくなった。ところが、読書好きで父の蔵書で独学を始めたのである。教師を12年間つとめたがもっと勉強したいという情熱と、出世したいという野望があった。その意欲が彼に多くの論文を書かせた。

 『宇宙旅行の力学』という論文はいままで誰も考えたことのない、そして発表されたことのない新しいものであった。1918年、ロシア革命が起きた直後、すでに61歳になっていた彼をレーニンが科学アカデミーに招請したのである。レーニンは、国家のために将来性、可能性のある人物を集めて役立たせようと前むきの姿勢をもっている人間であった。

 第二次大戦後、アメリカに先がけてソ連がロケットを発射させることができたのは、このツィオルコフスキーの業績に多くを依存していたのである。

 積極的にならなければいけない。消極的になったら、その人の人生は開花することができない。何回打撃を受けようとも、そこで後退したり、意気消沈してはならないのである。

・ コロンブスは、地球は丸いと信じていた。ポルトガルの国王ジョアン二世に申請、6年後、NOの返事。今度はスペイン国王イサベル女王に、4年後に、NOの返事。再び申請、またも否決されたが、1492年、事態は一変、逆に女王から航海の申し入れがあった。
 最後まで積極的にやり通せば、願望は絶対にかなえられるということである。



拝天戒 す 『 睡眠は 十時からとれ 五時起きで 』

 引用は、『 自分を鍛える 』(ジョン・トッド 著、三笠書房刊)から。
 John Todd氏:アメリカ生まれの牧師、著作家。その卓越した発想は、自己実現を目指すすべての人々に知的活力・力強い示唆を与え続けている。本書はその大ベストセラー。


・ なんとなく仕事をしたくないという気持のする場合、いったいどうしたらいいのだろうか?
 たいていの者はそういう気持をもった(誘惑を受けた)ことがあるだろうと思うが、そのたびごとに屈するようなら、その根本原因は、疲労というよりはむしろ怠惰であるというべきだろう。

 もしあなたが、筋肉を動かしたり、ものを書いたりする前に嫌気がさすのなら、その責任は健康にあるのではなくて、あなたの精神にあることになる。

 特別に体に故障がない場合には、仕事をしたくないというその原因は、精神の放縦に帰せられるべきであろう。精神に問題有りである。

 仕事をしたくないという気持は、すべての人が常に経験する、心の奥底に横たわっている強い欲望を満足させたいという感情的な迷いである。

 消極的な引き延ばし主義と積極的な即行主義とは、たいていの場合、二者択一的な問題である。どちらを選ぶかを決するのは、あなたの精神状態である。

・ われわれはすべて、なにか実質的な報酬という「はげみ」が与えられれば短時間うちに多くのことをやりとげるということを知っている。報酬はべつにお金である必要はない。

 それにはいくらでも方法がある。たとえば、皿を洗うにはたいてい30分はかかるだろう。しかしあなたが突然映画や音楽会にさそわれたとしたら、その仕事を半分くらいの時間で仕上げてしまうかもしれない。仕事を仕上げたらなにかおまけがつく、そんなように、自分でなにか報酬をきめて、仕事を早くやりとげなさい。

 そして仕事が終わったらその報酬を喜んで受け取りなさい。

・ 大統領になにかの問題を持ち込む場合には、大統領は、遠まわしにものをいったりなんかせず、明瞭な、簡潔な形で提出されることを望んでいる。彼は午前中にできるだけたくさんの約束事を果たすように時間を整理しているから、彼の個人的な注意をよぶ多くの問題は、午後に研究できるようになっている。つまり、他の多くの多忙な人と同様に、大統領には、1分1秒もムダな時間がないのだ。

・ 予算案と几帳面な節約方針によって新しい毛皮のオーバーや旅行や自動車などを買うことができるように、一日の時間を巧妙に使う予算案のおかげで、あなたは必ず、すばらしい生活と人生の真実の喜びを楽しむことができるはずである。

・ ドワイト博士(アメリカの外科医)は人々に対して常に「夜の12時以前の1時間の睡眠は、それを過ぎた後の2時間分以上に相当する」と言っていた。

 あなたも夜10時までには消灯することにして、きちんとそれを守るようにしなさい。

 それで朝5時に起床すれば7時間の睡眠がとれるわけで、これがまさに自然の理にかなったことなのである。

 いやしくもこの世で何かを成しとげたいと思うならば、 この習慣を身につけることが絶対必要なのだ。それもできるだけ早い時期に身につけるにこしたことはない。もしそれが金で買えるものならばいくら払っても高すぎるということはないぐらいである。



四自戒 2.『 自覚せよ 自己の能力 価値・使命 』

 引用は、『 わがままな脳 』(澤口 俊之著、 筑摩書房刊)から。
 澤口 俊之氏:1959年、葛飾区生まれ。北大理学部生物学科卒、京大霊長類研究所助手等を経て、北大教授。専門、認知神経科学、霊長類学。著書に『脳と心の進化論』他。


  ・ 脳には異なった働きをするシステムがたくさん集まっている。しかも、それらは別個に働くことができる仕組みになっている。このことを脳システムの「多重性」と言う。そして、私たちはそれぞれ得意とする脳内システムが異なっているのが普通である。しかも、その得意なシステム・能力はかなり遺伝性が高い。

 作家や音楽家、あるいはスポーツ選手を排出する家系があるのは決して環境要因のせいだけではない。だから、子供の教育に当たって、その子の優れた能力を伸ばしたければ、なるべく早くその子の得意とするシステムをみつけ、育むことが大切になってくる。自分自身の得意とするシステムを見つけることも、職業選択に当たってはかなり重要なはずだ。さらに言えば、「自分らしく生きる」「自分の能力を最大限に発揮して人類に貢献する」といった生き方を求める場合にも、自分が両親からどのような優れたシステムを受け継いでいるかを見極め、それを育むように努力することが大切になってこよう。

・ 今ではあまり流行らなくなったマルクスだが、私が学生だった頃にはまだ魅力があった。とくに妻イエニィとマルクスとの関係など、学者になろうと思っていた私には感じ入るところがあった。良家の娘に生まれたのに、マルクスと結婚したばかりに赤貧洗うがごとき生活に耐え、子供にもどんどん死なれたにもかかわらず、明るくのびやかにマルクスを信じ支えた女性。そして、それに応えて、全世界の労働者を幸福にすべく、不朽の名著『資本論』などを書いたマルクス。
 ところが、近年になって明らかになった情報によれば、マルクスはお手伝いさんに私生児を産ませて、しかも、そのことをひた隠しにして、罪も子供もエンゲルスに押しつけたというのだから、「まったく、男ってやつは」と、男ながら嘆きたくなる。(信じたくないが、どうやら事実らしい)。
 それはともあれ、いきなりマルクスを持ち出したのは他でもない。「宗教はアヘンである」という、思わずうなりたくなるようなことを彼が言ったからだ。

 私自身は思うところがあって自分で勝手につくった「宇宙教」という宗教(?)の信者なので(信者はもちろん私だけ)、「科学からみたら宗教はけしからん」なんて、聞いた風なことは言わない。
 「かなり独特の価値観と教義に支えられている」という点では、科学も宗教と一脈通じるところがあると思ったりするので、なおさらだ。
 宗教、とくにその修行というのは、脳科学からみれば、「脳内物質を努力して変化させること」とほとんど同じことなのだ。「宗教の修行というのは、脳を望ましい状態に変化させる」というようそがたしかにある。そして、この変化のベースには、脳内モルフィネを含めた脳内物質の変化(量や分泌のされ方)があるのだ。
 意識を変える、というのは、脳を変えるということで、脳の変化には否応なく脳内物質の変化が伴う。外部からではなく、自分で脳を変えるには、脳内物質を変えるそれなりの「修行」が必要なのだ。

・ ヒトは実は、基本的には多妻型なのである。現在でもヒトの社会(人口ではなく)の少なくとも80%は多妻型かそれを許容する社会である。 



四自戒 4.『 自若たれ 自ら克って 自信持て 』

 引用は、『 自信 』(加藤 諦三著、三笠書房刊)から。
 加藤諦三氏:1938年生まれ。東京大学教養学部大学院修了ハーバード大学研究員、早稲田大学教授。『自分を嫌うな』他著書、『自分に負けない生き方』他訳書多数。


・ われわれは戦いによって自信を得ていくのである。戦いの機会を避ける者はけっして真の自信を得ることができない。戦うことが自信を得るうえに大切なのであって、負けるか勝つかが問題なのではない。血みどろになって戦った者は、たとえ負けても自信を得ているはずである。自分が正しいと思うこと、それを主張することで憎まれることも、人間にとって大いなる戦いである。憎まれるのが恐くて自分を主張するのを避けることは、戦いを避けたことになる。  皆が排斥する者を愛している時、その愛している人をかばうのは戦いである。自分の愛を守るための戦いである。その人への同情からではなく、その人への愛から、皆が不当にその人を排斥する時、正面きって皆と対立することは立派な戦いである。  戦いの場が自信にとって必要だというのは、戦いにおいて自分の依存心を捨てていかなければならないからである。依存心がある限り、真の戦いを戦いぬけない。

・ 自己を主張するためには、相手への依存心を切り捨てなければならない。そして、相手を利己的にしはいしようとする気持を、同時に切り捨てることでもあるのだ。  自信とは自分が自分に依存していることである。甘えとは自分が心理的に他者に依存していることである。甘えているものが自信の欠如に苦しむのは当然なのである。他人の是認あるいは賞賛なしには、自己確立できないからである。そして戦いこそが、この甘えの真理を切り捨ててくれる。他者によって与えられていた自己評価を脱出できるからである。

・ 子供べったりで生活してきた親に育てられた子供は、心理的に親に取り込まれている。親が心理的に去年も二依存しているが、子供も親に依存している。こんな時、親の自己中心的な期待を裏切って、自分の望みに目覚め行動することは、真の戦いである。自分の側にある親への依存心を捨てない限り、親の死は意欲に太刀打ちできない。この戦いを「親孝行」という美名のもとに避ける子供は、永遠に自信をもつことはできない。永遠に自分の中に依存心を残し、屈折した感情で生きるしかない。

 友情における戦いも、上役との戦いも、すべて相手への依存心を切り捨てることによってしか戦いぬけない。  親との心理的依存関係があり、その親からの期待にこたえて、どのように成功しても、その人は自信をもつことはできない。逆にいずれノイローゼになっていく。どのように成功しても期待の重圧感に苦しむからである。その依存関係は一般的他者との依存関係にも拡大し、他者への盲従的姿勢とさえなる。  「依存のルール」を拒否すること。これなしには自信はありえない。

・ とにかく身体を動かさなければならない。まず姿勢を正しくして歩くこと、身体のかまえを直すことである。

・ 大切なことは、自分の側から何かを仕掛けることである。あなたは何年もただ待っていたのではないか、もう自分から何かを仕掛ける時である。