十語戒 10. 『 柔が能(よ)く 剛を制する ことを知れ 』

 引用は、『 からだは宇宙のメッセージ 』(青木宏之 著、 地湧者 刊)から。
 青木 宏之氏:1936年横浜市生まれ。中央大学法学部卒業。空手部で2期連続主将。総合的な人間開発のための体術「新体道」創始。世界12カ国に支部を置く。武道家。


・ 私は、子どもの頃、とてもからだが弱く、体力がなくて一緒に飛びまわることができなかったので、みんなと遊べないということで、孤独でした。また第二次世界大戦で私は、母と姉と妹を、正確に言えば兄も失っていたので、少年期というのは本当に淋しい孤独の中で過ごしました。

・ 中央大学法学部二年生の秋、当時空手界では幻の名人とされていた江上茂氏を師範としてお迎えすることになった。
 江上氏は、かつて日本軍に本邦最強の武道家として迎えられたその人で、ほんとうの意味での近代空手道の完成者であった。

 氏は、「空手道に試合はない」として短視的ルールによる絶対的な束縛からの解放を強調していた先師船越義珍氏(近代空手道の祖・沖縄より日本内地へはじめて空手道を紹介した)の直門として、自らは"空手とは自己における内部闘争である"と標榜され、"敵があるとすれば自分自身だ"と、旧来の空手の中に足をつっ込んでいたわれわれに、猛烈な洗脳教育をはじめられた。しかも、その稽古は不思議なくらい明るくラクだった。

  氏は、初めの頃よく、「どうして世の空手は、こんなカチカチなものになってしまったのだろう。もっと柔らかいもののはずだったのだが・・・」と言っておられた。また、「病気の時でも老人になってからでもできるような動きを追及しなくてはいけない」とも言っておられた。

 氏によれば、正しい精神統一をすすめることにより、できるかぎり体からムダな力みを取り去り、ある特定の部分の筋力に頼らず全身の統合された力を使うこと、そして肩に力の入らない柔らかい自然の動きをすること、などであったが、これは本来、武道、スポーツを問わず、あらゆる体技の基本である。

・ 新体道の大基本「栄光」も「天真五相」も、掌をいっぱいに開いて行うが、これがわかるまでにやはり何年もかかってしまった。いろいろな拳の研究の果てにここに辿りついたのである。

 最強の拳をこえるもの、それは、手首を反りかえらせ、手のひらを思いっきり開いた開掌拳だということを発見した。
 両掌を満開した時、人間の生命活動は最高に表現される。エネルギーがおびただしく放出される結果、打ったり受けたりの武術に適用した時、相手に与える打撃といったらなかった。
 これがわかった時、私のよろこびは、まさに大魚を釣り上げたにも似ていた。

 この形は仁王像が何百年も前からやっているのと全く同じものである。

・ 私の恩師の恩師で親和体道の開祖、井上方軒先生も、合気道の開祖、植芝盛平先生も、空手の中興の祖と言われる船越義珍先生も、皆さん身長が150から160センチぐらいだったと思います。普通より小柄でした。船越先生はとくに小柄な方でした。

 そういう方が大の男をポンポンと投げとばすのですが、筋肉は柔らかく、赤ちゃんのように柔らかいからだをしておられて、決して筋骨隆々というからだではありませんでした。そのへんをよく考えなければいけないのです。

 「柔よく剛を制す」というのは、本当のことなのです。



十導戒 6. 『 労すれば いつか必ず 報われる 』
 
 引用は、『 大実業家・蓮如 』(百瀬 明治 著、詳伝社 刊)から。
 百瀬 明治氏:昭和16年、松本市生まれ。『表象』同人、『季刊歴史と文学』編集長を経て、著述業に。主著『日蓮の謎』、『平家物語の舞台』、『「適塾」の研究』、他多数。


・ 父は本願寺第七代の留守識・存如。蓮如はその長男。生母は、西国出身の女性というだけで、名前も伝わっていない。その身分は、本願寺に召し抱えられた下女であった。正妻に迎えられる可能性はまったくなかった。蓮如も長男とはいえ、すんなり存如の後継者になれる保証はなかった。

 父存如が正妻を迎え、蓮如の生母が、その婚儀の前に本願寺から姿を消したのは、蓮如6歳の時。夜の闇にまぎれて忍び出る彼女の懐には、出入りの絵師に頼んで描いてもらった幼い蓮如の肖像が、折りたたまれていた。彼女のその後の消息は沓(ヨウ)として知れず、心ならずも蓮如は、生別したこの生母を、生涯にわたって追慕し続けたという。

・ こうした不幸な境遇にいじけることなく、蓮如17歳の時、剃髪受戒する。それから実に20年間、変化のない歳月がその前を流れすぎた。それは蓮如にとって雌伏の時代であった。部屋住みの身分のまま、貧苦の生活と継母の冷遇にひたすら耐え続けた。

・ 蓮如が「開山(親鸞)聖人の御法流」を振起することを内心に深く思い決意したのは、15歳の時。法流を振起するとは、本願寺を中興するということ。まず何よりも先に必要とされるのは、親鸞の教義をきわめ、その精髄を会得することであった。

 夜は灯油のかわりに薪を燃やし、月夜には月の光を頼りに、黙々と教学の研鑽に打ちこんだ。なかでも親鸞の主著『教行信証(キョウギョウシンショウ)』や、『六要鈔』、『安心決定(アンジンケツジョウ)鈔』など、表紙を読み破るほどに、繰りかえし読み込んだ。独学ではあったが、親鸞の教えの理解度では、当時の最高水準をきわめるまでになった。

・ 嫡子は応玄、下女を生母とする蓮如は庶子。家督争いでは不利であった。しかし、本願寺の復興を固く決意している蓮如は引き下がらなかった。不遇の生活に耐え抜いた蓮如ならではの不退転の精神力で、本願寺中興の大望を果たすべく方策を練り、行動した。

 蓮如の器量能力を認めて力強い味方になってくれたのが亡父存如の弟如乗。
 如円母子の策動の中、土壇場の逆転劇が起こり、敗退した如円母子は、土蔵のなかの経論・聖教をことごとく持ち去り、残ったのは味噌桶一つと小銭だけであったという。時に、蓮如43歳。

・ 長い雌伏の時代を通して、蓮如の頭の中には、本願寺の置かれている苦境の原因が何か、打倒すべきものが何か、勝利への青写真が描かれていた。延暦寺の支配から逃れることを敢行し、本願寺独自の教義を説きはじめた。

 布教の対象とすべき社会層をしっかり見きわめ、「御文」という新媒体を案出、「講」という村の組織を活用、異安心(イアンジン、親鸞の教えから離れた説教)を吹聴していた真宗他派を駆逐、みるみるうちに弱小教団を大教団に変えていった。

・ 人々が切実に欲するものは何か。それは、たとえ極貧であっても、生きていくことに喜びや幸せをおぼえさえてくれる、精神の拠りどころであろう。本願寺教団が急成長したというのは、その教えが民衆の琴線に触れたからである。

 貧苦と不遇に泣かされた蓮如の前半生の生活体験、そこから生まれた不屈の決意と実践が、それを可能にしたといえる。



十念戒9 『 くう 口は 唱えよ 戒を 繰り返せ 』
 
 引用は、『 治る、治る、あなたもきっと治る 』(越智 宏倫 著、PHP文庫 刊)から。
 越智 宏倫 氏:昭和9年、兵庫県生まれ。日研フード(株)社長。日本老化制御研究所所長。主著に『経営者新養生訓』『賢い赤ちゃんの育て方』『男を成長させる悪妻の話』他。


・ 子供の時から、それこそ死ぬ思いで喘息と闘ってきた私です。腕は注射の跡で硬くなり、針が通らないくらいです。食べたい盛りを我慢して、泣きの涙で玄米食を食べた中学時代。お百度参り、朝参り、効くと言われればナメクジまで飲み込み、断食で骨と皮だけになり、ありとあらゆる薬や療法を試し尽くした私なのです。

 勉強して治るなんて・・そんな馬鹿な。しかし、すがる思いで、10日間だけその講義に出ることにしました。
 講義は素晴らしい内容でした。キリストの山上の垂訓から始まって、般若心経、大脳生理学、ストレス学説と、古今東西にわたる広い知識に深い洞察力が加わり、説得力抜群でした。

 1週間過ぎた頃、衝撃的な体験をしました。それは一緒に受講していた同年代の二人の青年が、みるみる回復して行く様子を目の当たりにしたからです。
 そんな二人が、口を揃えて、「越智君、君だって絶対に治るよ。先生の話をよく聞いて、真剣にやったら間違いなく治る・・」ほんのり赤く血の気のよみがえった顔で、笑いながらそう言うのです。

・ 具体的な方法として、巽先生は第一に、「治る、治る、きっと治る」と真剣に念じ、口に出して言い続けることから始めなさい、との指示でした。

 先生は「思い込んだ事は必ず実現する」という事の論拠に、フランスの心理学者エミール・クーエが24年間の研究の結果発見した四つの精神の法則を援用していました。

 1.意志力と想像力が争えば、勝つのは常に想像力 2.3.4.想像力は誘導可能

 他にハンス・セリエの「ストレス学説」、ヴィコフの「大脳生理学からの条件反射」などの講義をされました。
 特に想像力について思い当たる事が多くあり、自分のやって来た闘病法に間違いがあるかもしれないと思いました。

 たしかに長年の喘息を治したいという気持ち、意志は、片時も放棄した事はなかったのですが、想像力の方はどうだったのだろうか?
 あれやこれや、悪い方へ悪い方へと考えて行く想像力ばかり働いていたのはたしかです。
 その想像力を全く逆転させて、いい方へ向けた事は、過去に一度もありません。

「やってみようか?先生の言う通り・・」という気持ちが湧いてきました。それで治らなかったとしても大した損にもならない、とスタートはいい加減なものだったのです。

 さて、実行という段階になると、並大抵でない事がわかりました。

 運転室みたいな所で、窓をあけ、走り去る光景へ向かって、大きな声で、「治る、治る、きっと治る」と10分も20分もやると、不思議な事に大変気分がよくなるのです。希望が湧いて来ました。僅かですが、たしかに効果が出てきたのです。

 起きてから夜寝るまで、唱え続けるようになったのです。
 道を歩いている時も、一歩一歩「治る、治る、きっと治る」と唱えて歩きますと、一歩進むごとに治る目標に近づく気がしてきました。1日に1万回や2万回は唱えたと思います。
 そうして受講を始めてから、3週間目のある日です。奇跡が起きました。

 朝起きると喘息の自覚症状がすべて消え去っていました。

 私は、いつの間にか「オイオイ」大声で泣いていました。
 自分の手で、自分の力で、倒したのです。



十持戒 7.『 しち 七五 信心口唱(シンジンクショウ)  功徳あり 』

 引用は、『 心を鍛える 』(櫻木 健古 著、三笠書房 刊)から。
 櫻木 健古 氏:1924年、上海生まれ。京都大学文学部中退。中日新聞社入社。ドイツ特派員、その後著述家に。著書に、『心が強くなる本』『強運を開く』『新・人望論』他。


・ ふまれても根強く生きる野辺の草 恵みの露を受けし身なれば

 日本では昭和33年ごろまで公娼制度があり、政府公認のいわゆる赤線地帯で、男たちは公然と放蕩をすることができました。若手の新聞記者であった私も、安月給をはたいて、そういうところで大いに遊んだ時期がありました。

 東京は新宿のある遊女のもとにかよっているうち、彼女はたんなる娼婦として以上の感情をこちらに寄せるようになりました。そんなある日、手帳をごそごそと開き、「私の好きな歌」といって見せてくれたのが、この歌だったのです。

 彼女の職業(?)が職業であるだけに、「ふまれても」の一句が、痛いほど心に響きます。たくさんの放蕩児たちにふまれながら、そういう境遇への不平や嘆きは後まわしにして、「恵みの露」を受けている身であることを自覚する。そして、雑草のように根強く生きようとする。「この歌を心のささえにしているの」と語るのを聞いて、体がジーンとするのを覚えたことでした。

 当時精神的な逆境を自覚していた私は、はたちそこそこの遊女がこんな心がまえで生きていることに心うたれ、すぐにその歌を自分の手帳に書きうつして、自分をも励ますものにしようとしました。その手帳はなくしてしまったけれど、歌そのものは忘れないで今日まできたのです。

・ 洪自誠著『菜根譚』は、17世紀初め、中国の明代に書かれた人生訓の書で、江戸時代の日本では知識層の間で、本場の中国におけるよりも盛んに愛読されたという。

 360の箴言風の短文からからなるこの本は、煎じつめれば、「人間は、他人や境遇に支配されるものではなく、自分の心の持ち方、ものごとについての考え方ひとつで、たくましく、自由自在に生きることができる」と説いたものといえる。
 しかし、考えてみれば「人生は心ひとつで・・・」とは、古今のあらゆる哲学や宗教が説いてきたところであった。

 ただし、その心の形成やコントロールはけっして容易ではない。だからこそ、「人生は生涯的な修行の場である」といわれもするわけで、私自身、60をこえてなお、「心の管理」がなかなかうまくいかないことを、情けなく思ったり、当然のことのように思ったりしている次第である。

・ 堪忍のなる堪忍は誰もする ならぬ堪忍するが堪忍

・ なせば成るなさねば成らぬ何ごとも 成らぬは人のなさぬなりけり

・ 世の中の人は何とも言はば言え わがなすことは我のみぞ知る … 坂本竜馬

・ 骸骨の 上を粧ふて 花見かな … 江戸時代前期の俳人、上島鬼貫(カミジマオニツラ)



十持戒 9.『 くう 屈伸(運動) 苦心・決心 決断力 』
 
 引用は、『 自分を鍛える 』(ジョン・トッド 著、三笠書房 刊)から。
 John Todd 氏:アメリカ生まれ。牧師、著述家。自己実現を目指す人々に、知的活力。力強い示唆を与え続けている。本書・人生案内は、必読書としてベストセラーとなった。


・ 毎日の決まった運動が一番楽しいならば、それがなによりもあなたにとって有益である。要するに、規則的な運動をしていなければ、自分に対しても、友人に対しても、世間に対しても、自分自身の真価を充分に発揮し得ないということだ。

 その理由は、
@ 運動のおかげでおそらく寿命が延びる。
A 運動をしないよりもしたほうが人生は楽しい。
B 他人に一層喜びを与えられる。運動は人を朗らかにし、朗らかな友人は貴重である。
C 精神は、運動によって鍛えられる。

 恐れることなく人生の深きものへ飛び込み、高きものをものを目ざして舞い上がり、強きものをしっかりと把握し、積極的に活動するような精神を持ちたいなら…断固として男らしい目的をもって生きていく精神を持ちたいなら…必ず毎日規則的な運動を欠かさないことである。

・ 体が丈夫で体力もある時は精神もそうした肉体に助けられ、根を詰めた長い使用にも耐えられるし、理解力も増し、想像力は生き生きとする。また、思考は広がり、自分の認識を正確に検討し、明確な比較ができる。それによって正確な判断力も身につけられる。

 すなわち、まちがった教育、情欲、不注意、因習、お手本によっておちいった誤りからうまく抜け出すことができ、自分にとって最良のもの、ためになるものを明確に見きわめ、すすんでそれを追及しようと決心し、断固として着実にそれを推し進めていくいくことができるのである。

・ ルターが旅をし、精力的に活動しながら、その間に聖書の完訳を成しとげたというのは、ヨーロッパの人々にとってまさに驚異であった。しかし、それは要するに、ルターが断固たる決意のもとに毎日一歩一歩自らの計画を実行していった。まさにその成果にほかならない。

 ルター自身、この点に関する質問に答えて次のように言っている。
 「一節も訳さない日は、一日もない」と。こうした勤勉さがあったからこそ、数年のうちに聖書を完訳することができたのである。

・ 誰かがある計画を立派に成しとげたと読んだり聞いたりするとすぐに、よし、自分もそれをやってみよう、と決心する人がいる。かの偉人はこうやった、ああやった、だから自分もやってみよう、というのでは意気込みだけで終わってしまう。

・ 何事にせよ頭角をあらわす人物というのは、最初に慎重に検討を重ね、それからしっかりと決意を固めるや、断固たる忍耐力をもっておのれの目標に邁進し、脆弱な精神力の持ち主ならくじけてしまうようなちょっとした難問にも少しも動揺しない人間だけである。

・ 自分の進む道は慎重に、しかもきっぱりと選ぶことである。そしていったん選んだら、何が何でもそれに食らいついて離れないことだ。

・ 人の頭脳にこそ、我々がよく知っている創造主の御力と御業が最も見事に表れている。