十天戒 7. 『 ななつ 涙の 流れゆく 』

 引用は、『 小さいときから考えてきたこと 』(黒柳 徹子 著、新潮社 刊)から。  
 黒柳 徹子 氏:東京、乃木坂生まれ。東京音楽大学声楽科卒業。NHK放送劇団へ、以後テレビラジオで活躍。『窓ぎわのトットちゃん』は出版史上空前の売り上げ記録を作る。


・ 5歳を過ぎて、もう少しで1年生、という頃、足の病気になった。「結核性股関節炎!」治っても、松葉杖は、要るでしょう、と、言われていた。それが治った。「これは奇跡に近いです。1万人に1人くらいしか、こうは治らないでしょう」と言われたとのこと。
 このごろ、小学校1年に入った子が、授業中、ウロウロ歩きまわっていて、ちゃんと机の所に座らない子が大勢いる、と新聞に書いてある。LDとはLearning Disabilities、「学習障害」と訳されている。私もちゃんということを聞かずにウロウロしていたので小学校に入学して3ヶ月くらいでその小学校を退学になった。私には、それなりの理由があった。

・ NHKが放送した「変わった子と言わないで」という4夜連続のテレビ、これはLDの子どもについての番組だった。私はビデオに撮って、しっかりと見た。見終わったときに私は泣いていた。泣きたくて泣いたのではなく、自然と涙が止まらなくて、要するに私は泣いていたのだった。

・ 私が『窓ぎわのトットちゃん』という本を書いたのは、私が大好きだった新しい転校先の小学校の小林校長先生のことを忘れないうちに書いておこうと思ったからだった。
 私は校長先生に「大きくなったら、この学校の先生になってあげる」と約束していた。それなのに、とうとうその約束も実現しないうちに先生も亡くなってしまい、私は違う道を選んでしまった。私はその約束のためにも、こういう、本当に子どもを愛し、どんな子どもにも、才能や、すぐれた個性があるのだと心から信じて、情愛を持って子どもに接していた校長先生がいたのだ、と書いておきたかった。
 そんな訳で、普通の小学校に入った私が、どういう訳で、すぐ退学になり、母が必死で探してくれた、この校長先生のいるトモエ学園に入ったかをキチンと書いた。

・ 窓のところに立っていたのは、チンドン屋さんを待っていたからだった。私はチンドン屋さんが大好きだった。チンドン屋さんの演奏が終わると、他の子どもたちは机に戻るけれど、私は窓の所にそのまま立っている。先生が「どうしてそこにいるのですか」と聞くと、私は「今のチンドン屋さんが戻ってくるかも知れないし、また違うチンドン屋さんが来るかもしれないからです」と言って、そのまま外を見ていたという。
 こういう退学の理由は、母から聞いたことだけど、LD(学習障害)の子がいると授業が成り立たないとテレビでも言っていた。その通りだった。
 窓の所に行けば、先生の話も聞けるし、外も見られるという自分なりの考えだった。

・ そんなこんなで結局「他の生徒さんへ迷惑がかかるから、よその学校へお連れください」と母が先生に呼ばれて、結局1年生になって数ヶ月で私は退学されることになったのだった。退学になったおかげで、次に入った学校では、心の底から楽しい小学校生活が送れ、自由で伸び伸びと勉強をすることができたのだった。

・ 私がテレビを見て涙したのは、テレビに映っているLDといわれている子どもたちが、小さかったころの私のように見えたからだった。



十天戒 10. 『 とうは とうとき 永久の神 』  

 引用は、『 仏教33 特集 洗脳と回心 』(法蔵館 刊)から。
 高田 明和 氏 : 「釈尊は洗脳しない−回心するのは心か脳か−」、浜松医科大学・生理学
 徳永 道雄 氏 : 「親鸞浄土教における回心」、京都女子大学・仏教学


・ 私も過去において行き詰まってなんとかその魔境を打開しようとしたとき、古来の武道家、芸能家が禅や気に活路を見出し、限界をこえようとしたことを思い、一心に座禅をしたことがある。
 山岡鉄舟も大森曹玄老師も限界を禅により打ち破ることを求めている。

 現代の若者も超能力、限界の打破、さらに"悟り"と"おぼしき"境地による至福感の体得を求めている。このような目的には既存の宗教はまったく役割をはたしておらず、若者には魅力がない。
 若者にとっては真の悟りを得たかどうかは問題ではなく、至福感や精神的満足感が重要なのである。したがってこのような境地をマニュアルで示され、少し実行してみればたしかにその境地を体験できるとなれば若者はかならずそれに引きつけられる。

 若者は至福感、満足感を求め、魂の永遠性の体得を求めているのである。既成の宗教ではたとえ禅といえども対応できないのではないだろうか。つまり邪教が次々におこる可能性はむしろ増しているといってもよい。

・ 今日でも、神秘的な精神の体験を売り物にした宗教集団が台頭し始め、全財産をなげうってでもそういう精神世界に触れたいと願う人々がそこに引き寄せられるという現象が見られる。新・新宗教の存在がそのことを証明している。

・ 禅における白隠のような五百年、千年に一度といわれる大天才が出現して閉塞している宗教界に渇を入れ、宗教界を抜本的に変える以外に方法はないと思われる。(高田)

・ 「回心」とは文字通り心を回転するという意味であって、一人の人間がもつ人生の目標に向かって進むことをいう。

 仏教一般においては、世俗的欲求の満足のみを目指していた心をひるがえし、仏陀によって説かれた真理に向かって人生の方向を転ずるということにほかならない。

 それは、おのれの世俗的欲求の満足のみに憑かれて他者の犠牲を顧みることのなかった罪悪の心を恥じて新しい人生目標に向かうことでもある。

 親鸞の主著『教行信証』の中の「愚禿釈の鸞、建仁辛酉(かのととり)、雑行(ぞうぎょう)をすてて本願に帰す」は、親鸞がその生涯のある特定の時点で、最終的に阿弥陀仏(神仏)の大悲の世界に目覚めたことを証拠づけるものである。

 親鸞の「信」は何よりもいわゆる「自力のはからい」との対決においてとらえなければならない。
 「自力のはからい」すなわち分別理性の手をいくら伸ばしても、手は阿弥陀仏(神仏)の世界に届きはしないが、向こうからのはたらきは既にこちらの領域に届いている。
 したがって、阿弥陀仏(神仏)の大悲に対する目覚めを意味する「信」は、そのまま「自力のはからい」の否定である。
 この否定以外には「信」と呼びうるものはない。

・ このやすむことなくはたらきつづける本願 (神仏の願い、子を思う親の思いともいえる) のほかには何もない。本願 (神仏の願い) を信じ念仏申す (神仏に感謝の祈りを捧げる) 身になったのは、自らのはからいを越えた不可思議のはたらきのなせるところである。
 自己の中には救いや悟りに資するものは微塵もないという このまったき自己否定こそ (親鸞の) 「信」であり、救いは「信」にありということであった。(徳永)



十転戒 4.『 よっつ 欲望 整理せよ 』
 
 引用は、『 マズローの心理学 』(フランク・ゴーブル著、 産業能率大学出版部刊)から。
 フランク・ゴーブル氏:米バークレー校で機械工学専攻。トーマス・ジェファーソン研究センター設立。マズローの膨大な作品を、簡潔でわかりやすくまとめることに成功する。


・ 人間は、人類に普遍的で、明らかに不変で、発生的あるいは本能的な起源をもつ無数の基本的欲求によって動機づけられている。これがマズロー独特の理論的見解における基本概念である。

 欲求(欲望)は、人類の真の内的な本姓であるが、弱くて簡単に歪曲され、また誤った学習・習慣・因習には負けてしまう、とマズローは述べる。

 本能は強固で、変化せず、悪である、という長い間多くの人々によって指示されてきた従来の考え方に、マズローの考えは、挑戦するものである。

 基本的欲求(欲望)は、次のような条件を満たす特徴を持つ。

  1.その欠如が病気を生む。
  2.その存在が病気を防ぐ。
  3.その回復が病気を治す。
  4.他の満足に先がけてこれが選ばれる。
  5.健康な人では、低調で、衰えているか、それともはたらかない。

 基本的欲求には次のようなものがある。
  1.生理的欲求 2.安全の欲求 3.所属と愛の欲求 4.承認の欲求 5.自己実現の欲求

・ アブラハム・H・マズローは、ギリシャ時代からずーっと、心理学に課せられてきた根本問題、つまり、「心とは、何か」という問題を解決するために、その生涯をかけた人である。
 彼は早婚である。彼が20歳、妻が19歳のとき結婚した。

・ 自己実現とは、才能・能力・可能性の使用と開発である。
 自己実現した人々は、自分の資質を十分発揮し、なしうる最大限のことをしているように思われる。 消極的な基準としては、心理的問題・神経症あるいは精神病への傾向をもたないことがあげられる。

・ 自己実現とは、老齢者だけに見られるもので、生涯にわたるダイナミックな活動の過程ではなく、事柄の究極的あるいは最終的な状態、すなわち目標、言い替えれば生成よりは存在と見られる傾向である。

 自己実現した人間は通常60歳かあるいはそれ以上のため、たいがいの人々はこのカテゴリーに属さない。彼らは静止しておらず、到達しきっておらず、成熟へ向かって動いているからである。

 これら卓越した人々に見られる最も普遍的で共通な特徴は、おそらく、人生を明瞭に見る能力、人生を自分が望むようなものとしてではなく、あるがままの姿で見ることのできる能力である。

 自己実現する人間は、卓越した認識能力の故に決断力に富み、善悪を見分けるより明確な観念をもっている。彼らはより正確に未来の出来事を予想できる。平均人に比べれば、うかがいがたい混乱した現実を、より速くより正確に見透かし、かつ見きわめることができる。

・ ウィリアム・ジェームズは、人間の可能性が未開発であることの発見を19世紀の最大の発見と考えた。
 「たいがいの人間は、身体的にも、知的にも、あるいは道徳にも、その可能性のなかごく限られた範囲内でのみ生きていることを、私は少しも疑わない。」



十慈戒 1.『 ひとつ ひと息 腹に貯め 』
 
 引用は、『 ヨガの喜び 』(沖 正弘著、光分社刊)から。
 沖 正弘氏:1921年、広島生まれ。戦前に特別諜報員としての必要上、東西の医療法と各種教派の修行法を修得。とくにヨガを探求、日本での普及に努めた。


・ 「完全呼吸法」

@腰幅に足を開いて立つ。あるいは正座してもよい。

A鼻から息を吸うのだが、まず、横隔膜が押し下がるくらいに、肺の下のほうに息を吸い込む。こうすると腹は前にふくらむ。つぎに、胸を大きく広げ、肺の中ほどに息を吸い込む。 さらに、息を吸って、肺全体に空気を満たす。そして、肩を上げて鎖骨のあたりに息を吸い込む。このとき、下腹部は少しへこむ。この一連の動きを連続して行い、横隔膜から鎖骨までの胸全体を静かに下から広げていく。

Bつぎに、息を少しだけもらしてから、数秒間息を止める。そのコツはつぎのとおり。
まず、肺一杯の空気を少し吐くと同時に、下腹部に押しこむというつもりで行う。そして、肩とみぞおちの力をぬいて、腰、下腹部に力を入れ、残りの息は少し残しておく。舌は上あごにつけ、精神統一する。

Cお腹をひっこめながら息を吐き出す。ただ吐き出すのではなく、足と腹筋に力を入れながら、息を体からしぼり出すようにする。姿勢はやや前かがみになる。

D8割ほどの息を吐き出したら、腹と足の力を少しゆるめ、背筋を伸ばしていく。こうすると、息が自然に入ってくる。

・ もし酸素を断ってしまったらどうだろう。5分たりとも生きていくことはできない。人間は生まれると同時に息を始め、息が止まるとき死ぬ。だから呼吸こそ人間の生命の源であるとも言える。しかし、人は訓練しないと、つねに深く長い呼吸をすることはできない。

 この世の中には、緊張したり興奮しやすくなる原因がたくさんある。 こうして、体が前屈姿勢になると、無意識に呼吸は浅くなる。人間には心をリラックスさせる練習法が必要なのである。
 同時に、姿勢を正しくする訓練もする。姿勢がよければ、完全な深い呼吸ができ、脈と血圧が整って健康体になれる。

 ヨガの呼吸法は、すべて胸腹式呼吸であり、胸式呼吸よりも、はるかに多量の酸素を取り入れることができる理想的な呼吸法である。

 呼吸法練習のコツは、体全体をくつろがせ、あたかも自分がゴム風船になったようなつもりになることだ。吸う息は体全体をゆるめながら吸い込み、吐き出すときには体全体で絞り出すようにするといい。
 また、息を吸うときには胸をできるだけ広げ、吐くときには腹を強くひっこませる。ただし、力むことは厳禁で、力むと血管緊張で頭痛などの異常な状態になることがある。

・ どんなものにも一長一短がある。そのよいところに注目し、すべてを肯定することだ。人の評価というのは一方的なもので、見方を変えれば長所になる。無口な人とは、むだ口をたたかない人でもあるわけだ。

 肯定心とは、事実をありのままに受けとるということで、これを「拝む」心という。雨が降ったら、ただ感謝すればいい。そしてそれを活用するのだ。



十心戒 7.『 ななつ 何度も 失敗し 』
 
 引用は、『 人間はここまで強くなれる 』(謝世輝著、三笠書房刊)から。
 謝 世輝氏:台湾生まれ。台湾大学卒業後、来日。名大大学院で原子物理学博士号。 文明・文化史、歴史学に転身。東海大教授。著書に、『成功の黄金律』、訳書に『信念』他。


・ 中国革命の父といわれる孫文のことばに「有志者意成」というのがある。これは「あることを一途に想い、努力するならば、そのためにあらゆるものが備わってきて、ついにその事業が完成する」という意味である。

・ 742年10月揚州城(今の南京)大明寺の鑑真和尚のところに、普照・栄叡(ようえい)という二人の留学僧がおとずれ、鑑真に日本への渡来を要請した。

 鑑真は55歳の老齢であったために、最初は弟子を日本へ派遣しようとしたが、彼らはどうしても消極的であった。そこで鑑真自ら日本へ渡来する決心をしたのだった。

 ところが、当時の中国(唐)は出国が禁止されていた。 しかし、そのような厳しい状況の中でも鑑真は、天台山の国清寺へ供養に出かけるといつわって、出国を企てたのだが、如海という弟子が密告したため、官憲に捕らえられて、失敗してしまう。

 その失敗にもめげず、鑑真は2回目の出国を企てる。今度は軍用船1隻を用意し、美術工185人を連れ出したが、出発後まもなく大嵐にあい難破してしまう。

 743年12月の3回目の企ても密告により失敗。

 そして翌年、出発の日に、官憲にまたも捕らえられてしまうのである。とうとう「以後、他国へむかうようなことがあってはならぬ」と厳命される。だが、鑑真はそれでもあきらめなかった。

 748年、61歳の鑑真は、5回目の密航を企て、今度は揚州からスタートしたが、またも運の悪いことに嵐にゆくてをはばまれる。しかもこの間に、密航計画の中心人物の1人、 祥彦という弟子が死に、鑑真自身も失明するという最悪の状態に落ち入ってしまった。

 だが、750年、8年ぶりに日本から派遣されてきた遣唐使、副使などが鑑真のもとにやってきた。そして「船は日本側で用意します」という彼らのことばに鑑真はゆり動かされ、なおも密航を企てたのである。
 753年10月13日、日本側の用意した船に鑑真は乗りこんだ。黄泗浦(揚子江岸)から出発し、10月20日沖縄、12月7日屋久島と日本海域に近づき、12月20日、ついに南九州の薩摩にたどりつくことができた。

 そして、太宰府を通過して奈良入りを果たしたのは、翌754年2月4日のことであった。この時、鑑真66歳。
 この日本渡来に最後まで同行し、残ったのは、弟子1人と、最初に渡来を要請した遣唐使の普照だけだった。
 密航が成功するまで、実に12年もかかったのである。その間、多くの弟子は死に、自分も失明するという過酷な状況にたたされたが、その「どん底」の日々を乗り越えられたのは、鑑真の志の強さゆえであることはいうまでもない。

・ たしかに鑑真は信念の強い人かもしれない。しかし、志ある者は必ずそれがかなえられるのである。そのために寿命ものびるし、あらゆるものが用意され、条件も変わってくる。 そして、これこそが「見えざる真理」の働きによるものなのである。

・ 何回失敗しても何回挫折しても、信念をもって頑張る人はついには目標に到達できるのである。
 何回拒否されても、それで最後の道はとざされたというわけではない。
 決してあきらめてはいけないのだ。