四諦戒 『 ひい ふう みい よう 四諦戒 』

 引用は、『 ダルマの実践 』(スティーブン・バチェラー著、四季社刊)から。
 スティーブン・バチェラー氏:スコットランド生まれ。インドで3年チベット仏教僧、スイスの僧院で5年、韓国の僧院で3年修行修学。後還俗、英国へ。妻とフランスに住む。


・ ブッダは実存的な迷妄状態(無明)という眠りから覚醒したのである。ブッダは目覚めたとき、開悟以前の自分や彼が知っていたすべての人々は比喩的に言えば眠っている状態にあったのだと悟ったに違いない(目覚めてはじめて自分が眠っていたと知ることができる)。

 ブッダは人間が直面しているディレンマ(進退きわまる苦境・難局)がいかなるものであるか、そしてそれをいかに解決していくかということに目覚めたのである。

 四聖諦のうちのはじめの二つの真理(苦悩と苦悩の原因)はそのディレンマそのものについて述べたものであり、あとの二つの真理(苦悩の止滅とその止滅に至る道)はディレンマの解決について述べている。

 彼は抽象的・観念的なものではない「いま」、「ここ」で現に生起している経験に直接根ざした、相互に連関した一組の真理群に目覚めたのだ。

 ブッダはこれらの真理群を人間を気高くするものとして体験した。彼にとって目覚めとは、単により賢明なものの見方や知識を手に入れることではなかった。目覚めることによってブッダの人生にきわめて自然な人格の高潔さ、威厳、そして権威がそなわったのである。
 ブッダは、自分の見出した真理群を医学的な診断・予後・治療法というかたちにして提示したのだった。

・ 最初の真理(苦諦)はわれわれの苦悩に対する習慣的な関係のもちかたに挑戦をしかけてくる。
 生・老・病・死という人生の現実とそれが我々に対して暗にいかなる意味をもつのかということについて、われわれはどれほど完全に知っているだろうか?
 そういう現実に直面することから注意をそらし、それを忘れ去るためにどれほどの時間を費やしているだろうか?
 その心配事をありのままの姿で受け取り、自分の置かれている状況を素直に受入れ、それを完全に知ろうと努めるなどということは滅多にしないのではないだろうか?

 最初の真理(苦諦)がわれわれに要求していることは、われわれが行動不能の状態におちいってしまう前に苦悩を完全に知ることを実践せよということなのだ。

・ ブッダもまず、自分が苦悩という実存状態におちいっていることをみずから認めたのだ。そして、検査の結果、彼はその苦悩の原因が利己的な貪りにあることを見出した。
 次ぎに、ブッダはその貪りを止滅させることが可能であることを現に体験し、さらには実際的な効果のある治療法として、人間が経験するすべての局面を含む非常に包括的な「生きる道(八正道のこと)」をどう育成していけばよいかといういわば「処方箋」を出したのである。

・ 「仏教」は一つの信仰体系である。「ダルマの実践」という言葉はそれが或一連の行為の筋道であることを示唆している。
 四聖諦とは信じるべき命題なのではない。それは実践せよという促しなのだ。