『 見えない壁 』 
 
   長い、もう取り返しようの無い、我が半生。
   大きな、厚く、動かない壁があった。
   時が経てば何とかなるかも知れない。
   そう考えていた。   
   半ばは、期待を抱いていたのである。
 
   しかし、期待は、裏切られた。           
   時は解決してくれない。              
   繰り返すばかりである。              
   気付かない、何か見えないものがある。       
   そう実感するに至った。              
                              
   自分独自の個性がある。              
   自分独得のものの見方がある。           
   三子の魂とも言えるようなものがある。       
   そう考えるようになった。             
   どうしようもない大きな壁であった。        
                              
   自分の人生観は、その個性に立脚している。     
   このままではどうしても救われない。        
   このままではどうしようもない。          
   このままでは死を待つばかりである。        
   これは越えられない壁である。           
                              
   本当の意味の反省。                
   心からの反省。                  
   それが必要であった。               
   なんとかなるのではないだろうか、そう考えていた。 
   しかしどうにもならなかった。           
                              
   どこが間違っていたのか。             
   何が悪かったか。                 
   はっきりとさせなければならない。         
   そこから始めなければならない。          
   このままでは、決して望む方向には進めない。    
                              
   解決の道はあるのか。               
   解決の日は来るのか。               
   半生の反省がどうしても必要である。        
   本当の意味の反省が必要である。          
   このままでは、死んでも死に切れない。       
 
                              
          『 暗 夜 』 
 
   長い間、それこそ非常に長い間。
   苦しみから逃れようと、ただそれだけを求めて来た。
   前進しているつもりであった。
   しかし、堂々めぐりをしていた。
   自己破壊的な方向に進むばかりであった。
 
   いじけた子供時代の後に疾風怒闘時代が来た。
   その時代に苦しみを避けようとする習性がついてしまった。
   逃げ腰の人生が以来ずっと続いている。
   自分のことだけを考える人生であった。
   相手の立場に立って考えるということのない人生であった。
 
   他人のことは頭の中に無かった。
   とにかく己のことだけがあった。
   考えるのであるが、いつもただ自分のことばかりであった。
   微笑むことをとうに忘れてしまっていた。
   自己愛だけが、異常に強かった。
 
   遊び心が、自分の本質的な性格である。
   本能というものが自分は強過ぎるのかも知れないとも考えた。
   自己との戦いは常に負ける戦いであった。
   弱さのみを意識する人生であった。
   それでおしまいの自分なのか。
 
   計画は立てたが、実行出来なかった。
   やろうと決めたが、続かなかった。
   気にせず、それを繰り返して来た。
   己が弱さを、まだそれでもまだ認めようとしない。
   間違っている。
 
   皆、悩みがあり、喜びを求めている。
   皆、死に行くものである。
   どれほど多くの人々が悩みを抱いていることか。
   苦しみ、楽しみ。
   万人に於てあるということがどうしても悟れない。
 
   解決への道はあるのか。
   その壁を打ち破ることは可能か。
   解決のために必要なものは何か。
   弱さを悟り、身を預けることの出来るものを持つこと。
   それは出来ることなのか。
 
 
        『 行動を決めるもの 』              
 
   行動がとぎれとぎれである。
   本棚に目をやると、一冊分のすき間ができている。
   そこで一冊の本を取りだしたことを思い出した。
   どこに置いたろうかと見回すと、本はテーブルの上にあった。
   そこに本を置いて自分は何をしたであろうか。
 
   寒くなったのでカーディガンを探したようである。
   カーディガンを着ると、時計が目に入った。
   1時近くであったので、テレビをつけた。
   日曜の昼はいつも見ている「新婚さんいらっしゃい」。
   登場人物の言葉を忘れない内に記録をしておこうと考えた。
 
   T氏が信じられる人ではなかったろうかと考えていた。
   それを書こうとしたところ、突然犬のことが思い出された。
   昨夜は遅く帰宅し、今朝はまだ散歩に連れていっていない。
   何よりもしなければならないことが先であると判断した。
   その時また時計が目に入った。
 
   時計にも自分は操られているではないか。
   行動を起こさせるものは、ただ時計だけではない。
   目についたあらゆるものによって行動が影響されている。
   何を見るかによって行動がコントロールされてきている。
   コントロールするものは、見るという感覚だけではない。
 
   寒さによっても行動が制限されている。
   五感によって行動がコントロールされるということである。
   感覚が行動を規定するのであるが、実は心が感じるのである。
   心に何を思い浮かべるかによって行動が左右される。
   思い浮かべるものをコントロールする必要がある。
 
   犬の散歩から帰ったらこれを書き続ける予定であった。
   所が、散歩の途中で、テレビの録音を思い出した。
   テレビ欄を見ようと居間に入ると、息子が昼飯を食べている。
   自分も思い出して釜から冷や飯をつぎ、お茶を入れる。
   テレビに興味を引かれ、情報を受けまた何かを考えていた。
 
   食事を終えて二階に上がるまでに、かれこれ1時間。
   やりかけのことを思い出したのは部屋に帰ってからであった。
   しっかりした自分がなければ、思いもよらない行動をとる。
   心のコントロールの可能性がふくらんだような思いである。
   外的な条件をシャットアウトするには、何かが必要である。
 
 
        『 逆 境 』  
 
   人を心から愛することのできる人々がいる。
   彼らには、幼くして親と別れた人が多い。
   なぜであろうか。
   親と離ればなれになった人々の中から、
   なぜ愛することのできる人々が多く出たのであろうか。
 
   親を純粋な愛として感じ取ったというのであろうか。
   世の中の人たちの愛情が、特に強く感じ取られたのだろうか。
   親の愛を求めて、考え抜いたには違いない。
   心の奥底で悩んだに違いない。
   そして、人一倍苦しんだに違いない。
 
   彼らは皆、「愛」の大切さに思い至ったに違いない。
   「愛」は、例外なく、全ての人の求めるものである。
   そのことを本当に理解したに違いない。
   愛されていないという痛みがまず先にあったのかも知れない。
   それが、愛されているという「確信」へと逆転したのであろう。
 
   生きているのは、2人の親のおかげばかりではない。
   むしろ、億という単位のその他の人々のおかげである。
   そういう「事実」に、気づいたに違いない。
   世話になるのは、人間だけではない。
   食べ物や、水や空気やその他、諸々のもののおかげである。
 
   あらゆる人たちが本当の「愛」を求めている。
   愛されることを求めている。
   しかし、愛することを求めているであろうか。
   人は皆、自らを愛することを優先する。
   身を犠牲にしてまで人のために努力する人は少ない。
 
   本能的な愛である母親の愛を見ると、これが分かる。
   身を犠牲にし、愛するが故にする「努力」。
   身を捧げる「献身」、これが、「愛」である。
   努力しない人には、愛がないと言える。
   心を病んでいる人たちは、愛することができない。
 
   胸にジーンとくるものがある生活。
   それを常の生活とすること。
   そうすることが、本当の意味で生きることである。
   「愛」がこの世に存在するという確信。
   この確信を得るために、逆境が幸いするかのように思われる。
 
 
        『 客観の目 』
 
   自分には自分なりの生き方がある。
   それが一貫した自分の考えであった。
   はたして客観的に見てきたであろうか。
   否、決して客観的な見方をしてはいなかった。
   主観的な見方をして、自分の存在を是としてきたのである。
 
   見たくないものは見ようとしなかった。
   事実に目をつぶっていた。
   心の底に愛情がないという事実があった。
   「愛語よくよく回天の力あり」とうそぶいてきた。
   「愛語」があるかのごとく振舞ってきた。
 
   自分に打ち勝てない自分を認めようとしてきた。
   認められないものを認めようとしてきたのである。
   自己弁護に終始してきたと言える。
   間違えていた。
   50にして、49年の非を悟るに到る。
 
   勇気ある生徒の批判を有難く受け止めなければならない。
   確かに少しだけではあるが変化が見られるではないか。
   変わることができるのではと感じられるまでになっている。
   頼るべきものを他に求めていた自分を反省するまでになっている。
   自らの中にこそ、頼りとすべきものがある。
 
   客観的な真実の声である。
   無駄にしてはならない。
   よりどころを他に求めてはならない。
   よりどころを内に求めよ。
   大いなる一歩を踏み出せ。
 
   与えられたものを感受すること。
   足るを知ることこそがあるべきありようである。
   為し得ることをなせ。
   精一杯できることをやれ。
   自分が自分であることにエネルギーを使い切れ。
 
   与えられた環境を生かすしかない。
   自分には自分の道しかない。
   主観的に生きることしかできない利己的な自分である。
   しかし忘れてはならない。
   客観の目を保持せよ。
 
 
        『 道 標 』
 
   せねばならぬをせぬままに
   なすべきことができぬまま
   40坂を越えきたが
   何ともならぬはなお続き
   何とも成らず今日となる
 
   翻弄されて毎日を
   自分嫌いで送るより
   愛想つかしてもがきつつ
   みじめな思いしながらも
   求め来った行く道を
 
   自信なきまま劣等感
   無意識層に秘めたまま
   笑顔作れず気を使い  
   なすべき事をせぬままに
   このまま朽ちてしまうかと
 
   したい思いが現実に
   叶わぬことと知った時
   何とかしたいとなお求め
   諦めきれず捨てきれず
   きっといつかと信じ来た
 
   知恵ある人がいたはずと  
   知恵ある人がいるはずと  
   納得できる考えが     
   必ずきっとあるはずと   
   求め来たった30年    
 
   過去の歴史をひもとけば
   学べばきっと分かるかと
   疑問を抱き解求め
   解けぬばかりが原因で
   迷い悩んで30年
 
   どしても欲しい平安が           
   どしても得たい落ち着きが
   客観性を求めつつ
   辿り来たった一里塚
   道標ここにまた一つ
 
 
        『 心の色 』
 
   誰にも心の癖がある
   無くて七癖、なくす癖
   恥ずかしがる癖、威張る癖
   小さい頃から重ね来た
   日毎の習いが癖となる
 
   真白に澄んだ汚れなき
   ハートに徐々に色がつき
   母、父、兄弟、会う人の
   色がそのまま色となり
   己の色ができあがる
 
   重ねてできたその色が
   なかなか抜けないその理由は
   見えぬ心の大きさが
   グラスの中の水でなく
   海の広さの故という
 
   幼きときより日毎染み
   心の色のかたくなに
   深く奥へと広がって
   虚しいあがき取れぬまま
   抜き去り難く離れない
 
   それを充分承知なら
   染め替えなどは夢の夢
   折り返し点を過ぎて今
   ゴールも近く見え始め
   今更何をあがくのか
 
   己れの過去を知るものは
   己ればかりときめこんで
   今度こそはの青蛙
   諦めきれず繰り返す
   変わらぬままの濁り色
 
   大海原の絵模様が
   我が人生の総決算
   いつか真白に塗り変わり
   心のにごり消え去って
   安らぐ時の来ぬものか
 
 
       『 条件反射 』
 
   犬の哭くのが朝の5時
   早起きになるその時に
   条件反射のパブロフの
   鈴鳴るたびに唾が出る
   あの学説を思い出す
 
   学生時代の気持ちでは
   只読み過ごしたことなれど
   犬の哭くのになるほどと
   条件反射の意味付けを
   今更ながら意識する
 
   条件反射が無意識の
   内に起こるを如何とも
   意識で抑えることならず
   脅迫的な神経症
   悩むばかりでままならず
 
   人には人の過去がある
   この状況は只一人
   経験せねば分かるまい
   それをけなされ蹴飛ばされ
   頭痛めて日が過ぎる
 
   思えばいくつか思い付く
   ある条件のその時に
   必ず起こる拒否反応
   悟られまいと気を使い
   相手を受け入れまいとする
 
   甘えた気持ちが原因か
   自信のなさがさせるのか
   自信があれば起こらない
   只そうとしか思えない
   我が身を守る本能か
 
   結論的に言えるのは
   薄皮剥ぐよう剥すよう
   成功経験積み重ね
   条件付けを繰り返し
   克服できるを只祈る
 
 
       『 自然治癒力 』 
 
   年月が経ってしまった。
   客観性がないままに。
   40にして迷わずと言う孔子の言葉は正しいに違いない。
   自分も迷わず信ずる道を行くべきである。
   それが自分の生き甲斐である。
 
   残された半生を有意義に送ること。
   生き生きと生きること。
   生き生きと。
   今日あることを感謝して。
   行動にあらわさなければならない。
 
   裏切ることのないもの。
   万物に当てはまる法則。
   そういうものが在るに違いない。
   信じることに救済がある。
   そう考えるに至っている。
 
   万物を動かすもの。
   目に見えないが、変化を促すもの。
   前へ、上へ、明るいものの方へと動かそうとする。
   それは、力とでも言うべきか。
   そのようなものがある。
 
   自分を動かすもの。
   自分を変化させてきたもの。
   自分を変化させているもの。
   変化させているその力とでもいうべきもの。
   我を支配するもの、そういうものがあるに違いない。
 
   人間の形をした神ではない。
   それは万物を包むもの。
   時空を最大限に考えた包むものとしての存在。
   生まれ出る前とその後とに共通する無限の世界。
   そういうものがあるに違いない。
 
   心の病気も自然治癒力がある。
   そう考えるに至っている。
   心の傷を癒そうと努力している何かがある。
   夢を通して、そうに違いないという認識に至る。
   20代で癒されなかった傷が40代で癒されるかも知れない。
 
 
        『 朝の5時 』  
 
   明け方5時頃、目覚めると興奮している。
   毎日のようにこれが起きる。
   夜中じゅう、1、2時間置きに起きていることだと言う。
   しかし、5時頃は目が覚めて、これに気がつく。
   夜明けと共に体力がみなぎってくる。
 
   5時頃、犬の哭き声につられて早起きをする。
   哭くのは家の犬だけでない。
   小学校の3、4年生位の女の子が小犬をつれて歩いている。
   尋ねると、毎朝5時に起きると言う。
   8時に寝るのだと言う。
 
   雀が鳴き始めるのが、やはり5時頃。
   夜が明けかかる頃、やかましくさえずり始める。
   夜明け時が活動を始める時である。
   犬も、鳥も夜明けと共に活動を始める。
   何万年もの間に出来上がった習性である。
 
   夜明けと共に皆が動き出す。
   日暮れてわが家に帰り着く。
   これは自然の動き。
   女性も朝方興奮するのであろうか。
   朝方5時頃は、活力がみなぎる時である。
 
   朝の5時は不思議な時間。
   早起きをして、身体を動かすと気持ちがいい。
   気功法は、中国3000年の歴史を持つ健康法。
   朝早く起きるのは自然にかなった生活法。
   自然にかなった生活が正解。
 
   人間だけが、夜中まで動き回る癖をつけてしまった。
   夜を昼と間違えて、飲み歩く。
   ストレスを抱えているためか。
   自分も長い間これを続けてきた。
   早寝は今でも難しい。
 
   年頃になると、遅く寝る癖が身についてしまう。
   夜の魅惑は抗し難いもの。
   寝たくないのも色気からのことではなかろうか。
   夜はヨガ、ヨガで身体を揉みほぐす。
   そして、早寝をしたいもの。
 
 
        『 まねごと 』
 
   浜松の旧友の所に一泊した。
   お経を読む声が聞こえてきた。
   朝7時丁度からたっぷり40分間。
   寝る前もお題目とお経を唱える。
   創価学会では誰も皆そうするのだそうである。
 
   彼氏が前と変わっている。
   非常に優しい我慢強い男に変身している。
   信じることが力になるのか。
   続けると言うことが力になるのか。
   長く息を吐くことが気持ちを落ち着かせるのか。
 
   信仰が力を持つことを目の前で見せつけられた。
   自分でも似たことを実践してみてはどうか。
   精神的な動揺を乗り切ることができるようになるのではないか。
   創価学会は少しかじったが、納得できないところがあった。
   しかし、役立つならまねごとをしてみたい。
 
   何か信じるものを持って励むなら救われるということであろう。
   「信じる」と言うことは、「何かを信じる」ことである。
   何かを信じない限り救いはない。
   自分を信じることができない者は、何を信じるべきか。
   出来事のすべてを神の計らいと、「神」を信じてはどうか。
 
   信じるか、実践するかどうかが、問題解決の決定的鍵となる。
   すべては、自分の問題である。
   全身運動で身体を動かす。
   一定時間をかけること。
   短時間では心理的変化が起こらない。
 
   全身の筋肉を隈なくほぐし、酸素を身体中に行き渡らせる。
   吐く息に呼応して、それだけ多くの酸素が流入する。
   身体を動かす柔軟体操に呼吸を併せる。
   肺に残る息を意識的に、吐き出してしまう。 
   只、吐く息を長くせよという。
 
   光の玉か、放射状のものを思い描け。
   精神を一点に集中させよ。
   宇宙の始まり、これをこの世の元として思い描け。
   焦点を定め、意識を集中させる。
   信仰は、実践がすべてである。
 
 
        『 一日一生 』
 
   寝床に始まる、我が一生
   しばらくゆっくり、床の中
   今日は、いかなる一日か
   お酒を飲まぬ、人なのか
   お金を使わぬ、人なのか
 
   母胎を、寝床に見立てれば
   陣痛、目覚しベルの音
   産道、粘ってあと5分
   破水、布団を蹴やぶって
   誕生、床を蹴って出る
 
   おむつで始まる、まずトイレ
   歯が生え、歯磨き顔洗い
   ヨチヨチ、犬と散歩する
   ウマウマ、まずは朝御飯
   ブーブー、仕事に乗って行く
 
   小・中・高と、予習して
   大学、仕事の準備する
   ついに手にした、天職は
   自らのため、人のため 
   端楽にする、仕事なり
 
   節目は三度、やって来る
   就職、最初は朝食で
   結婚、つぎは昼食で
   退職、最後は夕食で
   その間続く、喜怒哀楽 
 
   職を辞すると、暇になり
   使える時間が、できてくる
   テレビばかりじゃ、無駄になる
   自分は、何をしたいのか
   自分は、何ができるのか
 
   寝床について、横になり
   しばらく動かず、振り返る
   知らぬ間に行く、無意識の
   真っ暗闇の、世界へと
   寝床に終る、我が一生
 
 
        『 宗 教 』
 
   納得の行く宗教というものがないだろうか。
   あるならそれを信じたい。
   数え切れない数の宗教。
   どれもがどこかそぐわない。
   理屈に合わない箇所がある。
 
   宗教を必要としている人は多い。
   60億の内の何割になるであろうか。
   宗教人口はかなりの数である。
   その必要性は大きい。
   しかし今の所、自分の納得の行く宗教は見あたらない。
 
   シスコの書店で出合った青年。
   彼も同じ様なことを言う。
   既成の宗教には満足が行かない。
   東洋の宗教に関心があると。
   科学的な宗教、納得できる宗教はないものか。
 
   夜明けと共に起き出して、身体動かし目を覚ます。
   餌を求めて動きだし、食べて突き出す残り糟。
   酸素を吸って血で送り、炭酸ガスを外に出す。
   見るのも聞くのも生きるため。
   汗、熱出すのも生きるため。
 
   先祖は、猿、鰐、ミジンコで、餌を求めて動く物。
   殺して食らうは生きるため。
   攻撃、己を生かすため。
   自分の頭では、絶対に解決できないことがある。
   自分の力で生きているのでは決してない。
 
   動物であることは離れられない。
   死にたくないの欲がある。
   いいもの食べたい欲がある。
   欲しい、欲しいで、欲ばかり。
   叶わず、ストレス、いや勝る。
 
   人として生きていくために、求めざるを得ない。
   求めざるを得ない、この神様のようなもの。
   何か支えになるもの。
   それは、どの宗教でも言っているものである。
   その支えとなるべき宗教を求めずにはおれない。
 
 
        『 決 断 』
 
   確実な、決定的、最終的な決断を下せ。                 
   決断どおりに、行動を起こせ。       
   行動の伴わない決断は、決断でない。                 
   決断する力が、成功ための不可欠の条件。          
   必要なことは、決断することである。     
 
   決断を崩すな。                            
   決断を固守せよ。                           
   決断の理由を、自分に言い聞かせよ。             
   なぜそれを守らなければならないか。                  
   決断に逆らうことはいっさい考えるな。     
                                   
   習慣と潜在意識が決断の遂行に反対する。                
   それは幼児期に由来するものである                   
   幼時に受け入れたものが大きな原因である。               
   13歳から40年間、悩み、学び続けてきた。            
   結果、その悩みの原因、解決の方法が、確認できた。       
                                   
   人間は、生まれつき怠け者である。                   
   できるだけ努力しないですむ方を選ぶ。              
   快を選ぶのが、人間。                       
   幼時から、その快を求め続けてきた。               
   怠けることを快とするのが、人間である。               
                                   
   行動するためには、納得のいく、正当な理由が要る。  
   行動を開始する時、それなりの理由があるということである。   
   理由なしに、目的なしに、働く者はいない。  
   人間が苦痛を選ぶ時、それなりの動機がある。           
   決定的決断をするために、「苦快一如」の確信が必要である。       
                                   
   五感を通して入ってくる情報に、たぶらかされるな。           
   快受容体が反応し、快を得て、自ら満足する。              
   もうわかりすぎるほどに、わかったことである。  
   弱い人間には、強制的な力が必要である。                
   もう、愚は繰り返すな。                        
                                   
   戒に、帰れ。                             
   呼吸法に、帰れ。                           
   悟り、「こころの隠れたところ、内奥に魂がある」、に、帰れ。 
   行動する意志が、その魂と一致したとき、実行が可能となる。    
   決断は、「こころの底の魂」を本当に信じたとき、可能となる。     
 
        『 白い雀 』  
 
   今朝は、ランを散歩につれて行かなかった。
   申し訳ないことをしてしまう。
   意志の弱いこの自分を励ましてくれていた。
   朝起きをさせてくれていたこのランに申し訳ない。
   ランがいなくなったら、朝起きが続けられるであろうか。
 
   白い雀が、大きな声で、朝を告げてくれる夢を見る。
   目を覚ますと、雀の鳴き声が、大きく聞こえている。
   雀が、代わりをしてくれるという、夢である。
   ランにすまないという気持ちが、伝わったのか。
   今朝は、雀の声が、一際大きく、響いて来る。
 
   何もしていないこの自分を、見守って下さる何物かがある。
   愛されているとそう信じることが、生きて行く支えである。
   愛することができないでいる、この自分である。
   その取柄のない自分をも、見守ってくれている。
   そのことに、本当に気づくべきである。
 
   余りにも、自分中心であった。
   行動がすべて、自分のためでしかなかった。
   人をも愛することのできる人間に、変身しなければならない。
   苦しいから、出直したいのである。
   自分のためを、脱しきれないでいる。
 
   すべては、自分のためばかりであった。
   人のために、何をしてきたというのか。
   こし方を振り返ると、ただ申し訳ないばかりである。
   人のためということが、なかった。
   生き生きと、生きていなかった。
 
   何か、自分にもできるのではないか。
   人には、できることがあるはずである。
   自分にできることは、何か。
   それを、はっきりとさせなければならない。
   出直しの人生を、歩かなければならない。 
 
   神様は、白い色をしている。
   全ての色を、受け入れて下さる。
   この見下げるべき、自分をも。
   それに、応えなければならない。
   行き着くところは、そこである。
 
 
        『 ひとすじの白い道 』
 
   心に何を思い浮かべるかを、意識でコントロールする。
   意識できる部分で、思い浮かべるものを、コントロールする。
   心をコントロールして、そして自分の行動をコントロールする。
   第一に考えられなければならないことは、そのことである。
   心の持ちようとは、心をどんな思いで満たすかということである。
 
   心に意識できないことも、勿論、強く行動をコントロールする。
   意識できない部分は、取りあえず、後回しにするしかない。
   思い浮かべるものを、具体的に、コントロールすることである。
   それを、常の思いとすること。
   その気になった猿だけが、立ち上がって人間になったという。
 
   森進一の歌手生活30周年記念コンサートが、行われている。
   自分の心の歴史が、森進一の歌手生活と、重なっている。
   この40年間、変遷はあったが、今、自分の胸の辺りは暖かい。
   自分も、その時その時に、励ましてくれる人と出会ってきた。
   「今は最高に幸せである、皆に感謝している」と、語っている。
 
 
        「ひとすじの白い道」        
 
                       作詞作曲 中山 大三郎
                       歌    森  進 一
 
    わけもなく悲しみが 胸うつ夜は   
    思いでの数々が うかんで消える   
    ふりむけば ひとすじの白い道だった 
    風に泣き 雨にぬれ ひたすら生きた 
    泣くのはよそう 笑って行こう    
    思い出に生きるなんて まだ早い   
                   
    若さゆえ何回も 迷子になった    
    男ゆえその度に 空みて泣いた    
    あの人も あの人も はげましてくれた
    こころから感謝して 今日まで生きた 
    これから先を みていてほしい    
    それだけをたった一つ 伝えたい   
                   
    ただとおい ひとすじの白い道がある 
    何がある 何が待つ ひたすら行こう 
    両手を広げ こころを広げ      
    愛だけを うたいながら どこまでも 
 
 
        『 コスモソウル 1 』 
 
   時間的、空間的に最大なもの。
   それに合致することが真の喜び。
   自分にもあると感じられるもの。
   自分にもあると証明出来るもの。
   コスモソウル - Cosmosoul - 。
 
   それは啓示のように思われる。
   前向きであるということを心に銘記したい。
   八方ふさがりではない。
   道はあると思えるに至っているだけ有難い。
   早足で歩こう。 
  
   自分の考えが本当に正しいのであろうか。
   猛反対がある。
   当然、気になる。
   しかし、歩くのは自分である。
   自分の道は自分で歩くしかない。
 
   自分で歩こうとしているが、すぐ弱気になる。
   為すべきを為さず、自己批判をせざるを得なくなる。
   一人だけが歩いているのではない。
   たくさんの道をたくさんの人たちが歩いている。
   しかし、自分の道はあくまでも自分で歩くしかない。
 
   相手が好かぬ態度を取るとき、こちらの気が落ち込む。
   自分に気付かず、相手の態度に対してのみ反応している。
   相手の態度にはかまわず、こちらが調子のいい時がある。
   相手の態度に影響されるということがない時である。
   よく考えてみれば、こちらの態度いかんである。
 
   人間的になること。
   為すべきことを為すことができる人間らしい人間になること。
   それが全てであるように思われる。
   「生まれてきて良かった」と心の底から言って死にたい。
   遠からずその日はやって来る。
 
   無限大の宇宙に比べればこの自分は無きに等しい。
   しかし決してゼロではない。
   それを証明しなければならない。
   それを確信して進まなければいけない。
   コスモソウル − これに合致することが真の喜び。
 
 
        『 祝 福 』
 
   決心が効果を表したのか。
   周りの人のせいで元気が出ているのか。
   とにかく、こころのコントロールが初めてできたと言える。
   初めてコントロールできた日としてこの日を祝福したい。
   かなり強い決心がこれを可能にしたということである。                                  

   退職前のS先生が話しかけてきた。
   本音で話しかけてきているというのが分かる。
   世の中間違うちょると、批判ばかりを口にする先生であった。
   ドゴールのプライドの話がかなり納得できるものであった。
   世の中捨てたものではないという感じを与えられた。                              

   Iという生徒が英語の添削を受けに来る。
   何となく気が合うと思っているのであろうか。
   心理学に興味があるように言う。
   引きつけておきたいと欲なことを考える。                
   大事にしたいと、本心思う。       

   K.K.先生が自分に感心を示しているように感じる。
   何かが原因しているに違いない。
   自分は試されているのだという強い意識があった。
   豪快な笑い方をする体格のいい明るい女性。
   彼女の応援はとても有り難く感じられる。                                     

   M.N.、H.T.、明るく純朴な所がある、真面目が好きな女性。
   M.K.、お嬢さんで、アル中の旦那に苦労している、誠実な女性。  
   K.Y.、お嬢さんで、妹思いのどこまでも優しい感じがする女性。
   Y.I.、いつも笑顔で、育てる優しさがある、聖母のような女性。
   T.I.、いつも笑顔で、色気を振りまいている妖精のような女性。  
                                    
   T.I.、正義派で、一徹な所から諦め易いが、夢を秘めている男。 
   T.T.、静かな正義派で、孤高は保ち、優しい遠慮がちな貴公子。
   I.F.、あどけなさのある、努力を惜しまぬ、負けん気の熱血漢。
   A.M.、ゆっくり観察し判断する、義務感強く意志を通す事務官。
   E.M.、姿勢を崩さない、負けぬ気の、正義派、スポーツマン。
                                    
   H.M.、温厚、純朴素直で、意見を率直に述べる気の若い好々爺。
   K.A.、正義派で、バイタイティー溢れる、小柄な、山男。
   A.S.、穏やかさ、優しさがある美術制作で生徒指導する芸術家。
   S.F.、苦情を言わず、早起きを継続している恩を忘れない男。
   I.G.、明るく、健康的で、一喜一憂しない、真面目な警備員。 
 
 
        『 神様に近い人たち 』 
 
   朝3時半過ぎに毎日出かける前の老夫婦。
   真冬も、酷い雨の日も、暗い内から、よく頑張るものである。
   5時過ぎに帰ってくるその夫婦にときどき出くわすことがある。
   とても仲のいい老夫婦である。
   そこの若夫婦も実に気持ちがいい。
 
   タクシーの運転手を定年でやめてからのゴルフ場の球拾い。
   2人で働くので、結構金になると言う。
   しかし、時間が時間である。
   雲水の修行の時間の暗い内から出かけての仕事である。
   修行僧のような夫婦が自分にはひどく立派に思える。
 
   押しつけがましいところが少しもない。
   口数はごく少ない。
   孫をとてもよく可愛がる。
   甘やかすというのでなく、本当に優しいのである。
   孫達がまたできがいい。
 
   Kちゃんはとても気だてのいい、かわいい女の子である。
   その兄ちゃんS君も男らしいきりっとした感じである。
   兄妹で庭に出て母親からよく剣道の指南を受けている。
   母親は、厳しい指導をしている。
   父親は、傍らでそれをじっと眺めている。
 
   翻って、自分の家庭はどうであろうか。
   父親らしい父親でいたであろうか。
   ふがいない父親に見えたのではないか。
   頼り甲斐のない父親に見えたに違いない。
   よく酒を飲み、よくタバコを吸った。
 
   子たちは、苦しんだに違いない。
   立派に成人しているように思えることが嘘のようである。
   どのような父親像を抱いていることであろうか。
   本当に反省の気持ちがあるのであろうか。
   未だに反省せず自分勝手な生き方をしている父親である。
 
   これを期に本当の反省をしてはどうか。
   どのようにすればいいかが分かったはずである。
   心を入れ替える必要がある。
   改心の必要がある。
   神様のような人たちに学ぶべきである。
 
 
        『 信じ得るもの 』
 
   Agape それは 神の愛              
   Books 著者は 知恵の人              
   Child 子供の 純粋さ             
   Dream 心が 現れる  
   Endorphin の 心地よさ              
 
   Flower 花の 美しさ            
   Gravitation 魅力あり           
   Humor ものには 明るい面              
   I 愛するは 己から               
   Joy は喜び 心から       
 
   Key あり 人生方程式                
   Life 生き生き 生きよかし            
   Music 心の 音楽堂       
   Nature 恵みの ありがたさ
   Oxygen 無料の 動力源
 
   People 人が いればこそ
   Question 解くのが 即人生
   Rainbow 七色 七不思議
   Sudden Death には 覚悟せよ   
   Teardrops には 真実が
 
   Universe には 意志がある
   Vocation には 使命感
   Work 苦労は 楽招く
   Xーray 人には 見えぬもの
   Yesterday は 過ぎた過去
 
   Zoo 色々が 面白い
   信じ得るものがある、そのことを、頭の中に植え込もう。
   今までは、中途半端であった。
   確信がなかった。
   信頼に足るもの、それがある。
 
   喜びは、心の輝き。
   雨が降る、涙は心の雨。
   鳥が鳴く、朝日が昇る。
   出会いがある。
   別れが、来る。
 
 
        『 真・善・美・快 』
 
   「認識上の真と、倫理上の善と、審美上の美。
   人間の理想としての普遍妥当な価値をいう。
   これに聖を加えることもある。」
   以上は、広辞苑第四版に書かれてある言葉である。
   「聖」でなく、「快」を加えてはどうであろうか。
 
   快を、なぜか、人間は、求める。
   快は、人間の理想の一つであるとは言えないだろうか。
   快は、人間の真実を表しているとは言えないだろうか。
   快にも、普遍妥当な価値が認められるのではないか。
   快を求めるのは、人間だけではない、確かに、動物も求める。
 
   「純粋な快」は、普遍的な価値があるのではないか。
   犬は、忠実な動物である。
   犬は、人間を裏切らない。
   真実味がある(true)という点では、人間よりも上をいく。
   犬の方が、へたな人間よりもずっと「真」を求めている。
 
   犬は、人間に安らぎを与えてくれる。
   これは、少なくとも、「善」と言える部分ではなかろうか。
   子犬の可愛さは、人間にもわかる。
   犬の母親が、「美」を感じることができるということである。
   真・善・美を、犬に当てはめるなんてと、言われるかもしれない。
 
   快楽主義という言葉で、快は誤解されてきたように思う。
   誤解してならないのは、利己的な快楽である。
   快楽の快は、必ずしも良い印象ばかりは与えない。
   しかし、心地よいといった意味の快は、悪いものではない。
   自然な心情としての快、それはむしろ、求めるべきものである。
 
   快を求めることをよしとしない、禁欲主義というのがある。
   その対極にある、快楽主義。
   その両方が、快をよくないものと感じさせてきたのではないか。
   快を求めることに、もっと積極的になるべきである。
   快を求め合うことにも、もっと積極的になるべきである。
 
   自分だけが、快を求めているのではない。
   みんなが、快を求めているということがわかる。
   快を求め合う、与え合う、そんな関係に憧れる。
   快を求めるのは、人間の本性である。
   真・善・美・快、この四つを、人間の理想の価値と考えたい。
 
 
        『 ABC優先順位 』
 
   人間は、忘れやすい動物である。
   忘れやすいということをすら忘れる。
   よくよくのことでした決心を忘れてしまう。
   決心はなぜ長続きしないのか。
   忘れないように何か工夫が必要である。
 
   人間は、楽をしたがる動物である。
   人間だけでなく、動物はたいてい楽をしたがる。
   働き者の蟻は、あれでもかなりの遊びの時間があるという。
   働くように見えても、本能的にそういう風にしているという。
   本能的に、楽をしたがるところに問題がある。
 
   生き延びるという一番の目的のために、そうなのではないか。
   動けば、エネルギーを消耗する。
   目的なく、動き回るということは得策ではない。
   餌を求め、異性を求め、糞の場所を見つけようとして動く。
   じゃれて遊ぶことも必要かもしれない。
 
   先に楽なことをしてしまう。
   やっかいなことは後回しにしようとする。
   さぼることで、結局後で苦しみを味わうことになる。
   なぜ、楽を先にしてしまうのか。
   結局苦しくなる道をなぜ選択するのか。
 
   先に楽を選ぶのは、突然の死の可能性を予期しているからか。
   苦の前に死ぬなら、楽を先にしたことは正解だったことになる。
   死の可能性があるということは確かな真実である。
   ただすぐに、その死が来るとは限らない。
   とにかく、今きついことをしたくないのである。
 
   何が大切かを忘れてしまう。
   本当に幸せになる道を選ぶべきである。
   結果を恐れずに今の快楽に走るのは、目的を忘れるからである。
   優先順位づけABC方式というのがある。
   できるだけ楽をしたい人間向きの、行動指針である。
 
   明日したいことを列記して、次のようにABCをつける。
   Aは、一つ、最優先にこれだけは今日中にやり上げたいこと。
   Bは、二つ、この二つまでできれば、今日は満足できるとする。
   Cは、二つ、これまでできれば、今日は上出来という、ABC。
   Aだけは確実にすませること、それだけでも、前向きである。
 
 
        『 ABCタイプ人間分類 』
 
   人には、大きく分けて、タイプに三つの要素があるという。
   大方は、昆虫型、次に、勝者型、彫刻型、この三つである。
   人間の大多数は昆虫型で、これは勝者型に支配されて生きる。
   勝者型と彫刻型の間には、常に強い闘争が行われている。
   彫刻型よ悩むな、とその本には書いてある。
 
   これを細かく、次のように、分類してみた。
   Aは、Animal 動物で普通の生活をするタイプ。
   Bは、Beat で相手をやっつけようとするタイプ。
   Cは、Carve で彫る、即ち自らを彫って磨き上げるタイプ。
   そのような三つを要素として、次のように9タイプに、分ける。
 
   ABタイプ、最も多く、普通の人で、負けない方がいいと思う人。
   ACタイプ、普通の人で、人のいい、まわりにやさしくできる人。
   BAタイプ、負けたくないが先にあり、ABタイプの上に出る人。
   CAタイプ、彫刻型ではあるが、いまいち自信のない人。
   CBタイプ、自らを磨く中で人に負けぬ実力をつける人。
 
   BCタイプ、勝つことを優先、努力し、嫌われることもある人。
   B[BB]、負けん気が強くまわりからは煙たがられる人。
   A[AA]、動物的な生き方をし、死んでも惜しまれない人。
   C[CC]、自らと闘い、強い倫理観を持つ英雄的な人。
   このCタイプが自分から見ての理想のタイプである。
 
   しかし、自分はまだCBタイプからもほど遠い存在である。
   実は、CAタイプのつもりでいる。
   しかし、ACタイプですらないかもしれない。
   むしろ、ABタイプであるかもしれない。
   実のところ、Aタイプでしかないと言われるかもしれない。
 
   このタイプ分類は、自分の、他人に対する評価である。
   だから、失礼な分類法と言われるかもしれない。
   あの人はこうだと、当てはめて考えてみる。
   すると、腹が立たなくなることが多いのである。
   そんな利点があることが、敢えてこれを出してみた理由である。
 
   一日の内で、自分がいろんなタイプに変化している。
   生き甲斐を持って生きたい。
   生き甲斐を感じながら生きたい。
   自分を磨くためにこの分類法、役に立つのではないか。
   人のことをとやかく批判する時間は惜しい、そんな生き方がいい。
 
 
        『 1冊の本と3枚の絵 』
 
   『人間苦と人生の価値』という本が、残っている。
   父の書棚から引き抜いたもので、今は自分で大事にしている。
   父が死んだとき、なぜか、悲しさがなかった。
   父が死んでも、涙が出なかったのである。
   父に対する自分の思いの、いかに薄いかを感じざるを得ない。
 
   自分には、涙がないというわけではなかった。
   犬のランが、それからほぼ1年後に死んでいる。
   この時は、数日前から、その痛々しさに、涙を流している。
   死ぬ二日前、地震で埋ったランを一番に助け出す夢も見た。
   愚かにも、犬とのつながりの方を、自分は大事にしていたのか。
 
   果たして、自分にとって、父親とは何であったろうか。
   父の死後、1年を経て、やっと考えが動き始めている。
   死ぬまでは見たことがなかった父の夢を、死後は、4度見た。
   潜在意識は、父を意識していたということであろう。
   自分は、父のことを、あまり高く評価できないと考えていた。
 
   自分の思い込みは、かたよっていたかもしれない。
   少しは、違った考え方をしてみる必要があるのではないか。
   帆足理一郎著、初版大正12年の、その本。
   父が、19歳の時のものである。
   昭和6年に、第1回目を読了、とサインがある。
 
   その本の内容が、今の自分の気持ちにぴったりくるので、驚く。
   その考えが、結論めいた今の考え方に似ているのにも、驚く。
   19歳の父は、老境に入ってからの父とはまったく違っていた。
   著者の意見に反対して、自分の言葉を書き込んでいた。
   なるほどと、納得のいく反論であった。
 
   結婚以前の父の考えを、理解できたような思いがした。
   運命ということもある、父自身の責任ということもある。
   結婚後、母からの影響で人生観が変わっていったのか。
   その本は子供の頃から、ずっと目の届くところに置かれていた。
   傍線とか、カッコのつけ方とかが、自分ととてもよく似ている。
 
   書類の間に挟まれていた絵が3枚、いずれもミレーであった。
   『晩鐘』、これは、今、自分の部屋に、額に入れて飾ってある。
   『毛を刈られた羊』、見ていると、こころが静まってくる。
   『ニワトリに餌をやる女』、こんな女性を求めていたのか。
   見ていると、父の気持ちが伝わってくる。
 
 
        『 コスモスの花 』
 
   自分が、いのちの乗り物として生まれる瞬間は、知りがたい。
   ただ、確実に、母の体内で、いのちの乗り物として出発する。
   受胎のその瞬間から、成長が始まる。
   二つに分裂し、分裂した細胞、それぞれが、成長する。
   取り込むことで成長し、分裂し、成長し、分裂する。
 
   分裂と成長は続き、設計図通りに、自分の身体が形成される。
   最終的には、60兆ほどの細胞からなる一個の身体になる。
   この個体は、色々な元素からなっている。
   それら元素は、外から、色々な形で取り込まれたものである。
   それらの元素は、もともと、どこからきたものであろうか。
 
   赤ん坊は、必要なものを、母親の母体から、取り込む。
   母親は、食事と呼吸で必要なものを、外から取り込む。
   成長のために取り込まれるCや、Hは、どこからきたものか。
   Hや、Oが、何かが変化してできたということは聞かない。
   ずっと昔から、地球にあったものもということではないか。
 
   地球形成の時からのHやOが、今に残っているのではないか。
   太陽系外の遠くから飛んできたものもあるのではないか。
   2028年、直径1.6キロの小惑星が、月と地球の間を通過する。
   隕石は、大昔から、そして今も、大小、地球に落ちてくる。
   自分を作る元素の一部は、宇宙の彼方から飛んできたものか。
 
   人間が死ぬとき、それはいのちの乗り物としての役が終わる。
   焼かれると、空のかなたへと昇っていく部分もある。
   長い目で見れば、この身体は、宇宙へ帰っていくと言える。
   乗り物であるこの身体から、元素は解体されて、宇宙へ帰る。
   この身体は、無限大の宇宙へと戻っていくと考えられる。
 
   自分という人間は、宇宙がこの一身に集まってできあがった。
   自分という人間が死ぬと、すべてがまた宇宙へと帰っていく。
   自分とは、宇宙が集まって、宇宙に帰っていく存在である。
   「宇宙、即、我」は、ヨガの悟りの境地である。
   宇宙が我が身と一体であると感じられるということである。
 
   物質としてみた自分もまた、宇宙と一体ではないか。
   コスモスの花を見ていると、宇宙を、感じさせられる。
   コスモスの花には、確かに、宇宙を、感じさせるものがある。
   生駒高原の、あのコスモス畑は、本当に、素晴らしかった。
   コスモスの花は、しあわせを感じさせる花である。
 
 
        『 夢の分析 』
 
   夢は、不思議なもののひとつである。
   夢の不思議なことは、昔からであった。
   夢は、潜在意識の現れであるという。
   夢が不思議というとき、その夢の内容が不思議なのである。
   不思議であるというのは、意識では、理解しがたいからである。
 
   現実は、起こった出来事が連続している。
   自分で考えて作った物語ではない。
   うそがない。
   ところが、夢は、起こったできごとではない。
   言えば、フィクションである。
 
   もう一人の自分というものが、物語を作るのであろうか。
   夢の内容は、直前にふと見たりしたようなことが関係している。
   常日頃、強く思っていることである場合もある。
   夢の内容が、自分のためにならないということはなかった。
   それは、断言できるように思う。
 
   酔っぱらって、車にぶつかり顔が血で染まったこともある。
   飲み過ぎて倒れて、宴会場から、運ばれて出たこともある。
   人の協力で、間に合ったこともある。
   人の助言で、座る席が取れたこともある。
   本当は、騙されているという警告もあった。
 
   アイデアの提案もあった。
   犬の気持ちを教えるものもあった。
   自分の内心を教えるものも多かった。
   もっと頑張らねばダメであるというのもあった。
   言いにくいことを、言葉で教えてくれるというものもあった。
 
   56歳にしてついにやったりという上から響いてきた声もある。
   本当にそうありたいという心の願いが現れたものに違いない。
   56歳で何かが起こるように、潜在意識が仕向けているのか。
   何とかしたいという思いは、死ぬほどに強いものである。
   これは神からの啓示であると、できるなら本当にそう思いたい。
 
   自分の方から、実現に向けての懸命の努力をしていきたい。
   もう一人の自分、頼りになるというのが、最近の結論である。
   非常に智恵が多い、洞察力もあると感じられる。
   これからも、夢からの忠告を期待する。
   神からの啓示とも考えられる夢の忠告、有り難く受けとめたい。
 
 
        『 潜在意識 』
 
   敵を意識すると、潜在意識が働き防禦または攻撃体勢に入る。
   そのための身体の大きな変化の一つが呼吸器官の硬直である。
   コントロールできない状態が続くから、どうしょうもなくなる。
   飲まれて取った自分の行動に潜在意識の恐ろしさを感じる。
   自分の潜在意識の責任を取る必要のあることを認識するに至る。
 
   これまで解決を求めてきた、最後の拠り所である呼吸法。
   また改めて、これに目を向けることになった。
   思い至ったのが、腰を中心に身体を下向きに左右にねじる方法。
   下腹下部に力を込め息を吐きながらゆっくりと左下後ろ方向に、
   左足の後ろを見るように、身体をねじる。
 
   ねじりながら、息をゆっくりと吐いていく。
   精一杯押し出すように、息を出し切る。
   吐き終わり頃には腰より上を少し前にかがめるようにする。
   ねじることと前にかがむこととで息を大きく吐くことができる。
   吐き切ったら身体を戻して息を吸い、リラックスする。
 
   今度は右側方向にも同じことをする。
   左右を一度にできれば肛門を閉じるのと同じような結果となる。
   下腹で息を吐き出してリラックスすることが可能になる。
   自律神経である呼吸をコントロールすることが可能になる。
   飲まれて取った行動に辟易しての、思いついた工夫である。
 
   そうすることで、潜在意識につながりを持つことができる。
   人間のこころの中には、鬼も住んでいるが、神も住んでいる。
   そのことを本当に認識するまでにえらく時間がかかった。
   酔いつぶれての行動を記憶していないことが何度もあった。
   なぜか、同じ愚かな行動を取り続けてきたのである。
 
   酔って我を忘れた時の自分を、自分ではないとしてきた。
   潜在意識の行動には、自分で責任を感じてなかったのである。
   飲まれた瞬間から自分ではなくなっていたのである。
   意識では、確かに、認識できない潜在意識の部分である。
   潜在意識を自分のものとしなかったことは、間違いであった。
 
   潜在意識には、善を求める神の部分もある。
   そのこともまた、信じることができないできた。
   自己のすべてに、責任を取らなければならない。
   潜在意識の中には、自分を守る働きもあったのである。
   弥勒菩薩にも等しい、ミクロコスモソウルの存在があった。
 
 
        『 エンドルフィン 』
 
   体内でモルヒネに類似した物質が作り出されることが判明した。
   ほんの20数年前、1975年のことである。
   内因性モルヒネ様ペプチド、総称してエンドルフィン。
   その鎮痛作用は、モルヒネよりはるかに強力であるとのこと。
   鍼を打つことで、脳内のエンドルフィンが増えるという。
 
   エンドルフィンは、痛覚を抑えたり、解消したりする。
   痛みが伝わってきたという信号で、すぐに、作り出される。
   性生活に至るまで、この脳内モルヒネが関係するとされている。
   分娩の時、予想ほど痛みを感じないのはこのためであるという。
   女性の、長時間の快感維持も、これに関係があるかもしれない。
 
   心臓は、生まれたときから、その鼓動をやめない。
   勿論、やめれば、ただちに死んでしまうからである。
   肺呼吸についても、同じ事が言える。
   生まれてからこのかた、一度もその運動をやめたことがない。
   やめれば、ただちに死んでしまうからである。
 
   手の平を、しばらく閉じたり、開いたりしてみる。
   すぐにわかることは、疲れてくるということである。
   ものの、5分も続けられるであろうか。
   心臓の鼓動に、これを当てはめてみるとわかる。
   疲れてきても、やめるわけにはいかないのである。
 
   胃に食べ物が入ると、消化液が出るのと同じである。
   疲れを癒す働きが、生まれてきたということである。
   エンドルフィンは、心臓、肺に留まらない。
   駆け足をしてみるとわかる。
   筋肉の中にも、エンドルフィンが働くということが理解できる。
 
   エンドルフィンは、一種のホルモンである。
   このホルモン、身体全体で、発生するに違いないと思われる。
   このホルモンの発生に対して、受容体が存在するという。
   モルヒネ受容体は、脳に、腸壁に、精管壁に、作られている。
   ヨガでも、ジョギングでも、同じ作用が発生するに違いない。
 
   気功法は、中国で、3000年の歴史がある。
   中国では、朝早く、4時、5時から、人々が公園でこれをする。
   リラックスし、エンドルフィンが出て心が落ちつくのであろう。
   生存するために、そのような機能が生まれてきたのである。
   Endorphin(END or FIN)に行きついたということか。
 
 
        『 光源瞑想法 』 ( 火 → 光 )
 
   五感は、見る・聞く・触る・味わう・嗅ぐ。
   その五感の刺激に対して、こころが反応する。
   もしこの五つの感覚を遮断すればどうなるか。
   当然、反応が起こらない。
   意識は外には向かわず、内に向かうことになる。
 
   瞑想では、意識を、我が内なる欲求に向け続けることになる。
   瞑想では、自分の欲求を、内から主体的に観察する。
   刺激に対する単なる反応は、「受身的なありよう」である。
   瞑想により、意識が主となる「能動的なありよう」に変化する。
   習慣化されると「主体的な生き方」ができるようになるという。
 
   そういうことが起こりはしないかという期待感がある。
   不幸感を脱するには、主体的な生き方をすることである。
   欲求に操られるのでなく、欲求を操る生き方をすることである。
   主体的な生き方ができれば自然、幸福感も増してくるであろう。
   瞑想によってその主体性を体得する必要がある。
 
   TVカメラに太陽光が入って、六条の放射光が映ることがある。
   この六条の光を不思議に感じるようになっている。
   大きく輝くその六条の光を、TVで見るたびに思うのである。
   なぜいつも六条なのか。
   しかも、少しだけ角度がよじれている。
 
   天体望遠鏡で見た宇宙の星の光はなぜか十字である。
   光源が遠いと、十字になるのであろうか。
   それとも光源が小さいと、十字になるのであろうか。
   光が不思議なものであるということは、昔も今も変わりない。
   太陽または光を崇拝の対象とする宗教が多いのもうなずける。
   
   太陽が宇宙の中心ではないということは明かである。
   しかし、光そのものは、やはり神々しいものである。
   不思議なものの代表として永遠に存在し続けるであろう。
   瞑想の時、その集中の一点に、六条光を思い描いてはどうか。
   この六条光に、精神を集中するように訓練してはどうか。
 
   母親のまたその母親のと、辿ると、いのちの源に行き着く。
   その源から輝き出ている光、六条光になって光っている。
   女性のシンボルもまた、六条光からイメージできる。
   共に、生命が誕生してくる所と考えると、同じように尊い。
   人生は、楽しいもの、尊いものであるとイメージすべきである。
 
 
        『 呼吸法 1 』  ( 風 → 呼吸 )
 
   聖音、"AUM"というのがある。
   オーとかアーとかいう下腹に響く言葉をくり返し続けてみる。
   そうすると、精神的に心が落ちついてくるということである。
   「みょうほうれんげきょうー」は、オーオーオーとオーが続く。
   「なんまいだー」では、アーアーアーと、アーが続く。
 
   コスモソウルというマントラは随分前に思いついたものである。
   納得のいくものであるので、唱えてもどうということはない。
   これを利用して、聖音として唱えてみるのはどうであろうか。
   コー(ス)モーソーー(ウル)、コーモーソーーと、唱えるのである。
   親鸞が法然を信じたように、只信じて行じてみてはと考える。
 
   腹式呼吸では、息を吐くときに、意識を下に持って行く。
   頭(コー<コーベ) →胸(モー<ムネ) →背(ソー<セ)、
   腰(コー<コシ) →腿(モー<モモ) →足(ソー<ソク)と、意識を下に送る。
   孔子(コー) →孟子(モー) →ソクラテス(ソー)、コーモーソーと、
   孔子、孟子、ソクラテスに、意識を、集中することもできる。
 
   コオームオーソーー、 コオームオーソーー、 コオームオーソーー、...
   ただ一心不乱に声に出してまた心の中で唱えてみてはどうか。
   実践できるなら、悩みが解消できるのではなかろうか。
   続けて唱えてみてはどうであろうか、自己流である。
   「火風水の戒」とは、別に、唱えるのである。
 
   マントラは発声時の振動効果が肉体に大きく影響するという。
   叡智のもとに文字と音節が組み合わされたものであるという。
   マントラは、リズムと意識の集中をもって発音される。
   その時私たちの体内にパワフルなエネルギーが目覚めてくる。
   肉眼では見えない高次元の力と共振させる事ができるという。
 
   発声と、性エネルギーは関係が深いということもある。
   性腺とのどにある甲状腺は密接なつながりがあるそうである。
   性腺の活動が活発になる14歳頃には、声変わりがある。
   声変わりと性の目覚めは、確かに時期的にも一致している。
   ボーイソプラノを保存するために去勢が行われていたという。
 
   発声の呼吸法には、見えない何かの意義が隠されている。
   エンドルフィンが出るに違いないと思われる。
   オーという声が、胴体と頭によく響くように工夫する。
   響きが、頭の芯にまで届くようにする。
   何とも言えないエクスタシー感が味わえるようにしていく。
 
 
        『 全身動体法 』  ( 水 → 身 )
 
   動物は、身を動かしてこそ動物である。
   人間が植物のような生活をしていては身心のためによくない。
   睡眠を取り、食べるものを食べ、運動をする必要がある。
   朝晩、適度な運動を続けること。
   散歩にヨガに、ストレッチ、何でもいいから、継続すること。
 
   犬のお陰で、朝晩散歩をし早寝早起きができるようになった。
   自然に従うことの大切さを、犬から学ぶことができた。
   何よりも犬が信じるに足るものであると思う様になっている。
   信じ得るものがあるという考えは、年を経てできあがった。
   犬のおかげとても大きいと思われる。
 
   犬は、勇気がある。
   犬は、きれい好きである。
   犬は、恋に生きている。
   犬は、習慣を守る。
   犬は、徹底する等々、多くの点で、犬は我が師である。
 
   神信心が、犬のお陰でできるようになるかもしれない。
   「変わるためには何が必要であるか」という問に対して、
   「それはある決心をすることである」という返事が得られた。
   夢も信じられるものの一つであるという考えは前からあった。
   朝の散歩でも「火風水の戒」を唱えるようになったのである。
 
   9月始めに始めてから、半年になる。
   大きく変化が感じられる思いがする。
   創価学会等の朝晩の勤行に学んだ形である。
   幸いにして、自分なりの「戒」もでき上がった。
   その内容のほとんどは読んだ本からの受け売りである。
 
   偶然に、神の加護としか思えないようなことが起こっている。
   戒を唱えることをとにかく実践しようと踏み切ったのである。
   戒の内容を守るまでには、まだ至っていない。
   これでは、ご利益もまだ少ないかもしれない。
   とにかく必ず唱えるということを続ける決心でいる。
 
   犬のお陰であるということだけは言える。
   dogはgodが姿を変えて現れてくれたものかもしれない。
   口の前に十本の指を合わせることで叶うという字ができる。
   叶うことを信じて、祈りたい。
   戒を唱えながら、散歩とヨガのストレッチを続けていきたい。
 
 
        『 呼吸法 2 』
 
   顔の緊張を弛める。
   背を伸ばし、肩の力を抜き、腹に一息、吸い込む。
   この時、肋骨はほとんど動かさず、横隔膜は下向きに膨れる。
   腹式呼吸で、『肺の下部』に、息を吸い込む。
   肩は上がらず、胃の辺りから下は、膨れる。
 
   次に、鼻の奥から、『肺のまん中』に、胸に吸い込む。
   乳の辺りの肋骨を、両上腕の内側にくっつくまでに膨らます。
   乳の位から上部の背骨を、やや後ろに反らせる形で吸う。
   上方に胸と後ろ頭を引き上げる感じで実際に胸を引き上げる。
   肋骨には外向きに力が入り、胸は膨れるが、肩は上がらない。
 
   今度は、鼻の奥から、息を脳天に吸い上げる感じで息を吸う。
   『肺の上部』に、息を満たしていく。
   右手を大きく右上方向に伸ばす(感じ)、時間は少し。
   上に吸い上げながら首の辺りから上方に頭も右側上に伸ばす。
   乳の位置から上を右に傾ける感じで鼻の奥で息を吸い上げる。
 
   続いて右同様、左手を左上方向に伸ばす(感じ)、時間は少し。
   頭を引き上げ、左上方に鼻の奥で息を引き上げるように吸う。
   扇の左右の線に沿い左右上に身体を伸ばす感じで吸い上げる。
   腕は上げなくてもできるが、上げて考えた方がわかりやすい。
   背筋は上に延びて、背は後ろに反る感じ。
 
   左右上に伸びた腕を、扇の半円に沿って、真上で合わせる。
   息を、脳天に、最後に吸い上げる。
   背筋は、特に乳の辺りの線から上が、後ろに反る感じ。
   あまり無理に吸い込まないが肺一杯上中下に、空気を入れる。
   スパイラル式に胸がグルグル回って上に息を吸い上げる感じ。
 
   右に揺れ左に揺れ、伸ばした首を反るように、後ろに揺れる。
   いつもは使わない、肺の上部の肋骨と筋肉を使うことになる。
   そうするとエンドルフィン(快感物質)が出るように思われる。
   吸い終わったら少し貯めて、脊髄の上にある脳天から今度は
   背骨を真っ直ぐ下にゆっくりと、息を吐いていく。
 
   最後は丹田の下辺りに、吐いた息を集める。
   そして、下腹で息を押し出す。
   左に体をよじるように吐き、右に体をよじるように吐く。
   中央下で、身を前にかがめてみぞおちを押し下げ、吐き切る。
   最後は腰を反る感じで、最後の残りの息を吐き出すのである。
 
 
          『 呼吸法 3 』
 
   大の字に寝て、練習する。
   吐く息で、両脚を下に真っ直ぐに伸ばす。     
   両ももの付け根内側を引きしめ、下腹を押し息を吐き切る。
   吸う息で両腕を左右水平に、伸ばして、肩胛骨を合わせる。
   両手脚釘付けのキリストをイメージし、吐いて吸っていく。
 
   吐く息では、へそより下の部分を腹で押していく。
   下腹を、押して引き締め、緊張させる。
   終わり頃に、両腿(モモ)の内側の付け根に、力を込める。
   両脚を下に真っ直ぐ遠くに伸ばしながら、力を込める。
   ももの内側の付け根、肛門の近くを引き締める感じにする。
 
   吐く息では、両脚を揃えて真っ直ぐ伸ばす。
    ドルフィンキックのように腰を揺すって押し出す。
    魚になって、水の中を泳ぐような感じになる。
    セックスの最後の瞬間を、連続して行うような感じである。
    身体全体で、突き出すようなしぐさにする。
 
    横笛のその名人は、太鼓と鐘に合わせて演奏していた。
    舞台中央に出て、大きく身体を使って吹いていた。
    上下に前後に揺するように大きく身体を動かしての演奏。
   明らかに、会場全体が、エクスタシーに包まれていた。
    会場全体が興奮し、陶酔し切っていたのである。
 
    呼吸法が頭の中にあったので身体の動かし方に注意した。     
   呼吸法を、セックスにつなげて考えていた。
    両脚を伸ばしきって両ももの付けねに力を集めて息を吐く。
    それが、エクスタシーにつながる。
    そのようにその時自分には感じられ、納得したのである。
   
   呼吸法は、やすらぎ、エクスタシーを求めている。
   エクスタシーは、恐怖や不安の対極にあるもの。
    吸う息で、両腕を左右に伸ばして、胸を広げ引き上げる。
   肩胛骨を合わせ、羽ばたくように、胸を出すように吸う。
   鷲になって、大きく空を飛ぶつもりになる。
 
    若いときによく見た空を飛ぶ夢はセックスに関係している。
    胸を広げて、両腕を翼にして、大きく空に舞う。
   鷲が翼を広げて羽ばたくように、息を吸って吐いていく。
   吐くときは頭を打ち振るように吸うときは頭を振り上げる。
   できるようになったら、起きて椅子に座った状態で行う。
 
 
        『 呼吸法 4 』
   
   両目を閉じる。                        
   閉じたら、ブランコに乗っているところを想像する。           
   閉じたまま見上げてブランコの二本の綱の付け根に目をやる。
   遊園地の普通のブランコよりもずっと、ずーっと長い綱である。      
   その二本の綱は上の方に果てしなく延びている。             
   
    とても長く、果てしなく延びて、先は見えなくなる。        
    その端は、そう、神様の指に結びつけられているのだ。
    綱はとても長く、最初は、前後に、なかなか揺れない。
   綱が短いつもりで揺すってみると、揺れてくる。             
    揺れるようになったら段々綱を伸ばしていき、ゆっくりと揺らす。
 
    吸う息で、前に、漕ぐ。
   吐く息で、後に、漕ぐ。
    座って漕いでもいい、立って漕いでもいい。             
    ただ、後ろから押してはもらえない。             
    自分の力で、自分の身体を使って、ゆっくりと漕ぐ。         
 
    息を吸って前方上に来たとき、胸が張り、肋骨が上がる。 
    息を吐いて後方上に来たとき、腹がへこみ上半身が前にかがむ。
    胸から上が、前に、そして後ろに、揺れる感じ。         
    胸を張った状態で吸って吐き、胸の筋肉と横隔膜をマッサージ。   
   横隔膜の動き、胸の張りの、両方が意識し、ゆくっりと揺らす。  
 
   遠い昔、ゆっくりと揺れていたゆりかご。
   気持ちのいい、眠気を誘うような、あのゆりかご。
   宇宙ブランコは、ゆりかごを思い出させる。
   生まれでてくる前、母親のお腹の中でも、やはり揺れていた。
   母親の呼吸のたびごとに、ゆっくりと揺れていた。
 
   あの揺れが、潜在意識に、焼きついているに違いない。
   心地よかったことを、覚えているに違いない。
   何も心配のないかのような、安堵のある、あの心地良い感じ。
   思い出すだけで、エンドルフィンが出てくるのではないか。
   ゆっくりと、吐いて、吸って、吐いて、吸って。
 
   快楽を求める、人間の本性。
   そして生まれた、エンドルフィンという快感物質。
   エンドルフィンは、考えるだけでも出てくる、脳内麻薬。
   意識呼吸で、自己按摩ができる。
   意識は、吸って、吐いて、宇宙ブランコ。
 
  
        『 こころと魂[Soul] 』
 
   精神的、身体的欲求の強まりを感じるようになった13歳の頃。
   その頃から、意志の弱さを実感するようになった。
   二十歳の頃から、 魂[Soul]という言葉に、引きつけられいた。
   意志の弱さに悩んでいたことへの反動であったのかもしれない。
   自己を意識するようになって、以来40年ほどが経過している。
 
   こころの奥底には、「魂」と呼ばれるようなものがある。
   そういう思いは、若い頃から何とはなしにあった推測である。
   25歳の頃、ホイットマンの詩集、「草の葉」を読んだ。
   読後、「魂への信仰(Belief in Soul)」という感想文を書いた。
   魂という言葉に、非常に強く、印象づけられたのである。
 
   行動は「魂」というようなものからはほど遠いものであった。
   思うようにならない自分を、何ともすることができなかった。
   苦しい立場に立ち、苦い思いをすることが続いた。
   自分を信じたいにもかかわらず、自分が信じられなかった。
   そのような思いが、ずっと続いてきたのである。
 
   救われる日がくるのではないか、期待する思いがあった。
   「魂」というようなものに何か憧れのような思いがあった。
   そんな思いが、自分を支えてきてくれたように思う。
   「魂」のようなものが、ときどき顔を出していた。
   「魂」の片鱗が、夢に現れていたのである。
 
   人はみな、世の中に役立つ者となる必要がある。
   人はみな、満足してこの世を去る必要がある。
   脳の中の「環境と教育」というソフトは取り替えがきく。
   取り替えさえすれば、自分は、変わることができる。
   夢の中で、この「魂」は、そう教えてくれたように思われる。
 
   ソフトは、取り替えることができるというのである。
   今までの考え方のソフトを、入れ換えよというのである。
   これまでのような考え方では、生きて行けないからという。
   経験を通して、こころがそのことを、悟ったというのか。
   こころの底から悟るということであるのかもしれない。
 
   「魂」のようなものへの、憧れとも言うべき思い入れがある。
   信じたいという思いが年齢とともにいよいよ強まってきている。
   こころの底の「魂」、それは神聖なものである。
   それは、神にも似たものである。
   近頃、そのことを、確信するようになっている。
 
 
        『 こころと宇宙[Cosmos] 』
 
   こころは、いのちが あって初めて息づく。
   このいのちは、その親のまたその親のと果てしなくさかのぼる。
   このいのちの流れは、遡ると、宇宙の始まりにまで行き着く。
   宇宙の始まりは、すべてのものの始まりである。
   人のこころも、そこに源がある。
   
   人間は、宇宙から生まれ出た存在である。
   宇宙存在そのものが、人間のこころの生みの親である。
   宇宙存在そのものを、いわゆる「神」と考えることもできる。
   それが最も合理的で、一般的な考え方ではなかろうか。
   そのような考えが、自分の結論であった。
 
   宇宙がすべてのものの生みの親であると、長い間考えてきた。
   神が宇宙を生みだしたという考えには、同意できなかった。
   「宇宙が生みの親である」とする考え方とは、
   「宇宙を生んだ親が神である」という考えと同じではないか。
   と、これは最近になっての考えの変化である。
 
   宇宙の始まりについて現在の科学では、まだ、説明できない。
   これを解きあかすことは、永久に不可能なのではなかろうか。
   科学者たちの中には、「ビッグ・バン説」を唱えた人もいる。
   しかし、「ビッグ・バン説」は、納得しがたい。
   「ビッグ・バン」の前には、何もなかったのか。
 
   「無」から「有」が、生まれるものか。
   そんなことはあり得ないというのが、自分の判断であった。
   物質そのものの存在しているということが、不思議である。
   降る雨も、咲く花も、考えようではすべてが不思議である。
   すべてが奇跡であると、ホイットマンは「草の葉」で詠った。
 
   自己誕生の時点で、宇宙を認識し始めた、この私という人間。
   宇宙開闢以来、その終焉に至るまで、ただ一回切りの存在である。
   他の誰とも、他の何ものとも異なる、唯一無二の、存在である。
   このいのちが尽きる時、宇宙を認識するこのこころも途切れる。
   宇宙は自己と一体のものである、共に生き共に死ぬとも言える。
 
   「宇宙と自己とは一体のものである」、これはヨガの考え方。
   宇宙のこころと、人間のこころとには、相通じるものがある。
   宇宙にも、我がこころにも、人間を越えたものが存在する。
   人間を越えたものの存在を認めると、すべてが氷解する。
   こころと宇宙共に、人間をこえた何者かの所産ではなかろうか。
 
 
        『 コスモソウル[Cosmosoul] 2』
 
   いのちの大先輩、アメーバは、人間と同じDNAを持つという。
   人間と同じいのちを、共有していたということである。
   35億年前に、すでに複製力、遺伝情報を持っていたのである。
   それは、記憶力そのものがあったということでもある。
   記憶力、判断力のもと即ちこころのもとを持っていたのである。
 
   「源」からの「こころ」の流れは、あらゆるものに及んでいる。
   犬の振るしっぽ、きれいに咲くコスモスの花の中に現れている。
   大宇宙の分身であるすべてに、大宇宙のこころが伝わっている。
   すべてのものに、その宇宙のいのちとこころが表れている。
   共通して表れている宇宙のこころとも言うべきものがある。
 
   それを言葉で表した「コスモソウル(宇宙の魂)」。
   そのようなものの存在するということの不思議さを考える。
   悉有仏性はすべてのものに仏性があるという教えである。
   「コスモソウル」が万物に行き渡っているとするのも同じ考え。
   自分のこころ、花、星、あらゆるものに、それが感じられる。
 
   宇宙はマクロコスモス、人間のこころはミクロコスモス。
   マクロコスモソウルが、全体を包む宇宙の魂である。
   ミクロコスモソウルが、個々のものに存在する魂である。
   ミクロコスモソウルは、我がこころの神であると言える。
   ミクロコスモソウルは、我がこころの守護神と言える。
 
   弘法大師と共に歩く「同行二人」という考え方がある。
   守護霊があるという考え方も、納得のいくものとなる。
   いつも自分を見守ってくれ励ましてくれている守護神がいる。
   そう思うことができるなら、こころ強いに違いない。
   それならば、是非、そのように考えていきたい。
 
   我がこころの中に、確かに、善の部分がある。
   その善の部分を、確かなものとして、信じて生きる。
   安堵感を覚え、こころが落ち着いてくるのではなかろうか。
   「鰯の頭も信心から」というではないか。
   この二様のコスモソウルを信じてはどうか。
 
   自分で確かに納得がいくなら、それでいいのではないか。
   コスモソウルは、二様に働いているが、一つのものである。
   祈りの焦点を、そこに当てて、生きてみてはどうか。
   弥勒菩薩の微笑みに、コスモソウルの面影がはっきりと見える。
   そのような微笑みをたたえた人を目指していきたい。
 
 
        Cosmos Road  

     "The Invisible Power"
 
    There was a door in front of me.
    I continued to push it, and pull it.
    I just wanted to get through the door.
    I expected the door might open in time.
    I hoped the time would come.

    Time passed.
    But time didn't help me settle my problem.
     didn't grow wiser through experience.
    I repeated the same things.
    Again and again I continued to push and pull the door.
 
    The door in my way was terribly thick and heavy.
    I wondered why the door wouldn't open.
    Was it because of my own personality?
    Was it because of my own way of thinking?
    I felt the invisible power on the door. 

    The power is invisible.
    I've come to think so.
    I cannot get through the door.
    I just want the door to open.
    Will the door open when I die? 

    I expected the door to open.
    But the door wouldn't open.
    Why will the door not open?
    How can I open the door?
    How will the door open? 

    What was wrong?
    Where was I wrong?
    I must make it clear.
    I must know why the door won't open.
    I just want to open the door. 

    Is there any solution to my problem?
    Will the door open at all?
    I must reflect on my life.
    I must reflect on what I have done so far.
    I wish to get into the flower garden.

 

     "No Sense of Sin"

 
   I did as I pleased.
    I grew up spoiled.
    It may be true.
    Many children are spoiled.
    I may have been brought up by my indulgent parents. 

    The parents won't take the responsibility.
    They have no sense of responsibility.
    They are not really responsible for it.
    They don't have to feel responsible for it.
    They bring up their children with affection. 

    Why, the warmth of my heart is not enough.
    I cannot help thinking I'm a little too selfish.
    I read a lot of books.
    The books were very persuasive.
    After all, I didn't change at all. 

    I have no sense of sin.
    If I admitted my sin, the door would surely open.
    Straightforwardly a man said so.
    I probably could not really understand what he said.
    I won't admit my sin easily.     

    He did feel sinful.
    He became a Christian.
    He had the chance.
    I cannot become a Christian.
    I think in a different way. 

   I couldn't find the way out.
    I was in a tunnel for such a long time.
    It was quite a long and dark tunnel.
    I was struggling and trying to get out of it.
    I was always heading for self destruction. 

    I hear the touching song.
    I see the beautiful sunset.
    I feel the soft breeze.
    I smell the fragrance of the flower.
    I have a miraculous dream at dawn sometimes.