コスモスの歌


         『 見えない壁 』 
 
   長い、もう取り返しようの無い、我が半生。
   大きな、厚く、動かない壁があった。
   時が経てば何とかなるかも知れない。
   そう考えていた。   
   半ばは、期待を抱いていたのである。
 
   しかし、期待は、裏切られた。           
   時は解決してくれない。              
   繰り返すばかりである。              
   気付かない、何か見えないものがある。       
   そう実感するに至った。              
                              
   自分独自の個性がある。              
   自分独得のものの見方がある。           
   三子の魂とも言えるようなものがある。       
   そう考えるようになった。             
   どうしようもない大きな壁であった。        
                              
   自分の人生観は、その個性に立脚している。     
   このままではどうしても救われない。        
   このままではどうしようもない。          
   このままでは死を待つばかりである。        
   これは越えられない壁である。           
                              
   本当の意味の反省。                
   心からの反省。                  
   それが必要であった。               
   なんとかなるのではないだろうか、そう考えていた。 
   しかしどうにもならなかった。           
                              
   どこが間違っていたのか。             
   何が悪かったか。                 
   はっきりとさせなければならない。         
   そこから始めなければならない。          
   このままでは、決して望む方向には進めない。    
                              
   解決の道はあるのか。               
   解決の日は来るのか。               
   半生の反省がどうしても必要である。        
   本当の意味の反省が必要である。          
   このままでは、死んでも死に切れない。       
 
   
                           
          『 暗 夜 』 
 
   長い間、それこそ非常に長い間。
   苦しみから逃れようと、ただそれだけを求めて来た。
   前進しているつもりであった。
   しかし、堂々めぐりをしていた。
   自己破壊的な方向に進むばかりであった。
 
   いじけた子供時代の後に疾風怒闘時代が来た。
   その時代に苦しみを避けようとする習性がついてしまった。
   逃げ腰の人生が以来ずっと続いている。
   自分のことだけを考える人生であった。
   相手の立場に立って考えるということのない人生であった。
 
   他人のことは頭の中に無かった。
   とにかく己のことだけがあった。
   考えるのであるが、いつもただ自分のことばかりであった。
   微笑むことをとうに忘れてしまっていた。
   自己愛だけが、異常に強かった。
 
   遊び心が、自分の本質的な性格である。
   本能というものが自分は強過ぎるのかも知れないとも考えた。
   自己との戦いは常に負ける戦いであった。
   弱さのみを意識する人生であった。
   それでおしまいの自分なのか。
 
   計画は立てたが、実行出来なかった。
   やろうと決めたが、続かなかった。
   気にせず、それを繰り返して来た。
   己が弱さを、まだそれでもまだ認めようとしない。
   間違っている。
 
   皆、悩みがあり、喜びを求めている。
   皆、死に行くものである。
   どれほど多くの人々が悩みを抱いていることか。
   苦しみ、楽しみ。
   万人に於てあるということがどうしても悟れない。
 
   解決への道はあるのか。
   その壁を打ち破ることは可能か。
   解決のために必要なものは何か。
   弱さを悟り、身を預けることの出来るものを持つこと。
   それは出来ることなのか。
 
 
        『 行動を決めるもの 』              
 
   行動がとぎれとぎれである。
   本棚に目をやると、一冊分のすき間ができている。
   そこで一冊の本を取りだしたことを思い出した。
   どこに置いたろうかと見回すと、本はテーブルの上にあった。
   そこに本を置いて自分は何をしたであろうか。
 
   寒くなったのでカーディガンを探したようである。
   カーディガンを着ると、時計が目に入った。
   1時近くであったので、テレビをつけた。
   日曜の昼はいつも見ている「新婚さんいらっしゃい」。
   登場人物の言葉を忘れない内に記録をしておこうと考えた。
 
   T氏が信じられる人ではなかったろうかと考えていた。
   それを書こうとしたところ、突然犬のことが思い出された。
   昨夜は遅く帰宅し、今朝はまだ散歩に連れていっていない。
   何よりもしなければならないことが先であると判断した。
   その時また時計が目に入った。
 
   時計にも自分は操られているではないか。
   行動を起こさせるものは、ただ時計だけではない。
   目についたあらゆるものによって行動が影響されている。
   何を見るかによって行動がコントロールされてきている。
   コントロールするものは、見るという感覚だけではない。
 
   寒さによっても行動が制限されている。
   五感によって行動がコントロールされるということである。
   感覚が行動を規定するのであるが、実は心が感じるのである。
   心に何を思い浮かべるかによって行動が左右される。
   思い浮かべるものをコントロールする必要がある。
 
   犬の散歩から帰ったらこれを書き続ける予定であった。
   所が、散歩の途中で、テレビの録音を思い出した。
   テレビ欄を見ようと居間に入ると、息子が昼飯を食べている。
   自分も思い出して釜から冷や飯をつぎ、お茶を入れる。
   テレビに興味を引かれ、情報を受けまた何かを考えていた。
 
   食事を終えて二階に上がるまでに、かれこれ1時間。
   やりかけのことを思い出したのは部屋に帰ってからであった。
   しっかりした自分がなければ、思いもよらない行動をとる。
   心のコントロールの可能性がふくらんだような思いである。
   外的な条件をシャットアウトするには、何かが必要である。
 

 
        『 逆 境 』  
 
   人を心から愛することのできる人々がいる。
   彼らには、幼くして親と別れた人が多い。
   なぜであろうか。
   親と離ればなれになった人々の中から、
   なぜ愛することのできる人々が多く出たのであろうか。
 
   親を純粋な愛として感じ取ったというのであろうか。
   世の中の人たちの愛情が、特に強く感じ取られたのだろうか。
   親の愛を求めて、考え抜いたには違いない。
   心の奥底で悩んだに違いない。
   そして、人一倍苦しんだに違いない。
 
   彼らは皆、「愛」の大切さに思い至ったに違いない。
   「愛」は、例外なく、全ての人の求めるものである。
   そのことを本当に理解したに違いない。
   愛されていないという痛みがまず先にあったのかも知れない。
   それが、愛されているという「確信」へと逆転したのであろう。
 
   生きているのは、2人の親のおかげばかりではない。
   むしろ、億という単位のその他の人々のおかげである。
   そういう「事実」に、気づいたに違いない。
   世話になるのは、人間だけではない。
   食べ物や、水や空気やその他、諸々のもののおかげである。
 
   あらゆる人たちが本当の「愛」を求めている。
   愛されることを求めている。
   しかし、愛することを求めているであろうか。
   人は皆、自らを愛することを優先する。
   身を犠牲にしてまで人のために努力する人は少ない。
 
   本能的な愛である母親の愛を見ると、これが分かる。
   身を犠牲にし、愛するが故にする「努力」。
   身を捧げる「献身」、これが、「愛」である。
   努力しない人には、愛がないと言える。
   心を病んでいる人たちは、愛することができない。
 
   胸にジーンとくるものがある生活。
   それを常の生活とすること。
   そうすることが、本当の意味で生きることである。
   「愛」がこの世に存在するという確信。
   この確信を得るために、逆境が幸いするかのように思われる。
 

 
        『 客観の目 』

   自分には自分なりの生き方がある。
   それが一貫した自分の考えであった。
   はたして客観的に見てきたであろうか。
   否、決して客観的な見方をしてはいなかった。
   主観的な見方をして、自分の存在を是としてきたのである。
 
   見たくないものは見ようとしなかった。
   事実に目をつぶっていた。
   心の底に愛情がないという事実があった。
   「愛語よくよく回天の力あり」とうそぶいてきた。
   「愛語」があるかのごとく振舞ってきた。
 
   自分に打ち勝てない自分を認めようとしてきた。
   認められないものを認めようとしてきたのである。
   自己弁護に終始してきたと言える。
   間違えていた。
   50にして、49年の非を悟るに到る。
 
   勇気ある生徒の批判を有難く受け止めなければならない。
   確かに少しだけではあるが変化が見られるではないか。
   変わることができるのではと感じられるまでになっている。
   頼るべきものを他に求めていた自分を反省するまでになっている。
   自らの中にこそ、頼りとすべきものがある。
 
   客観的な真実の声である。
   無駄にしてはならない。
   よりどころを他に求めてはならない。
   よりどころを内に求めよ。
   大いなる一歩を踏み出せ。
 
   与えられたものを感受すること。
   足るを知ることこそがあるべきありようである。
   為し得ることをなせ。
   精一杯できることをやれ。
   自分が自分であることにエネルギーを使い切れ。
 
   与えられた環境を生かすしかない。
   自分には自分の道しかない。
   主観的に生きることしかできない利己的な自分である。
   しかし忘れてはならない。
   客観の目を保持せよ。


 
        『 道 標 』

   せねばならぬをせぬままに
   なすべきことができぬまま
   40坂を越えきたが
   何ともならぬはなお続き
   何とも成らず今日となる
 
   翻弄されて毎日を
   自分嫌いで送るより
   愛想つかしてもがきつつ
   みじめな思いしながらも
   求め来った行く道を
 
   自信なきまま劣等感
   無意識層に秘めたまま
   笑顔作れず気を使い  
   なすべき事をせぬままに
   このまま朽ちてしまうかと
 
   したい思いが現実に
   叶わぬことと知った時
   何とかしたいとなお求め
   諦めきれず捨てきれず
   きっといつかと信じ来た
 
   知恵ある人がいたはずと  
   知恵ある人がいるはずと  
   納得できる考えが     
   必ずきっとあるはずと   
   求め来たった30年    
 
   過去の歴史をひもとけば
   学べばきっと分かるかと
   疑問を抱き解求め
   解けぬばかりが原因で
   迷い悩んで30年
 
   どしても欲しい平安が           
   どしても得たい落ち着きが
   客観性を求めつつ
   辿り来たった一里塚
   道標ここにまた一つ

 
        『 心の色 』

 
   誰にも心の癖がある
   無くて七癖、なくす癖
   恥ずかしがる癖、威張る癖
   小さい頃から重ね来た
   日毎の習いが癖となる
 
   真白に澄んだ汚れなき
   ハートに徐々に色がつき
   母、父、兄弟、会う人の
   色がそのまま色となり
   己の色ができあがる
 
   重ねてできたその色が
   なかなか抜けないその理由は
   見えぬ心の大きさが
   グラスの中の水でなく
   海の広さの故という
 
   幼きときより日毎染み
   心の色のかたくなに
   深く奥へと広がって
   虚しいあがき取れぬまま
   抜き去り難く離れない
 
   それを充分承知なら
   染め替えなどは夢の夢
   折り返し点を過ぎて今
   ゴールも近く見え始め
   今更何をあがくのか
 
   己れの過去を知るものは
   己ればかりときめこんで
   今度こそはの青蛙
   諦めきれず繰り返す
   変わらぬままの濁り色
 
   大海原の絵模様が
   我が人生の総決算
   いつか真白に塗り変わり
   心のにごり消え去って
   安らぐ時の来ぬものか


 
       『 条件反射 』

   犬の哭くのが朝の5時
   早起きになるその時に
   条件反射のパブロフの
   鈴鳴るたびに唾が出る
   あの学説を思い出す
 
   学生時代の気持ちでは
   只読み過ごしたことなれど
   犬の哭くのになるほどと
   条件反射の意味付けを
   今更ながら意識する
 
   条件反射が無意識の
   内に起こるを如何とも
   意識で抑えることならず
   脅迫的な神経症
   悩むばかりでままならず
 
   人には人の過去がある
   この状況は只一人
   経験せねば分かるまい
   それをけなされ蹴飛ばされ
   頭痛めて日が過ぎる
 
   思えばいくつか思い付く
   ある条件のその時に
   必ず起こる拒否反応
   悟られまいと気を使い
   相手を受け入れまいとする
 
   甘えた気持ちが原因か
   自信のなさがさせるのか
   自信があれば起こらない
   只そうとしか思えない
   我が身を守る本能か
 
   結論的に言えるのは
   薄皮剥ぐよう剥すよう
   成功経験積み重ね
   条件付けを繰り返し
   克服できるを只祈る
 
 
       『 自然治癒力 』 
 
   年月が経ってしまった。
   客観性がないままに。
   40にして迷わずと言う孔子の言葉は正しいに違いない。
   自分も迷わず信ずる道を行くべきである。
   それが自分の生き甲斐である。
 
   残された半生を有意義に送ること。
   生き生きと生きること。
   生き生きと。
   今日あることを感謝して。
   行動にあらわさなければならない。
 
   裏切ることのないもの。
   万物に当てはまる法則。
   そういうものが在るに違いない。
   信じることに救済がある。
   そう考えるに至っている。
 
   万物を動かすもの。
   目に見えないが、変化を促すもの。
   前へ、上へ、明るいものの方へと動かそうとする。
   それは、力とでも言うべきか。
   そのようなものがある。
 
   自分を動かすもの。
   自分を変化させてきたもの。
   自分を変化させているもの。
   変化させているその力とでもいうべきもの。
   我を支配するもの、そういうものがあるに違いない。
 
   人間の形をした神ではない。
   それは万物を包むもの。
   時空を最大限に考えた包むものとしての存在。
   生まれ出る前とその後とに共通する無限の世界。
   そういうものがあるに違いない。
 
   心の病気も自然治癒力がある。
   そう考えるに至っている。
   心の傷を癒そうと努力している何かがある。
   夢を通して、そうに違いないという認識に至る。
   20代で癒されなかった傷が40代で癒されるかも知れない。


 
        『 朝の5時 』  

 
   明け方5時頃、目覚めると興奮している。
   毎日のようにこれが起きる。
   夜中じゅう、1、2時間置きに起きていることだと言う。
   しかし、5時頃は目が覚めて、これに気がつく。
   夜明けと共に体力がみなぎってくる。
 
   5時頃、犬の哭き声につられて早起きをする。
   哭くのは家の犬だけでない。
   小学校の3、4年生位の女の子が小犬をつれて歩いている。
   尋ねると、毎朝5時に起きると言う。
   8時に寝るのだと言う。
 
   雀が鳴き始めるのが、やはり5時頃。
   夜が明けかかる頃、やかましくさえずり始める。
   夜明け時が活動を始める時である。
   犬も、鳥も夜明けと共に活動を始める。
   何万年もの間に出来上がった習性である。
 
   夜明けと共に皆が動き出す。
   日暮れてわが家に帰り着く。
   これは自然の動き。
   女性も朝方興奮するのであろうか。
   朝方5時頃は、活力がみなぎる時である。
 
   朝の5時は不思議な時間。
   早起きをして、身体を動かすと気持ちがいい。
   気功法は、中国3000年の歴史を持つ健康法。
   朝早く起きるのは自然にかなった生活法。
   自然にかなった生活が正解。
 
   人間だけが、夜中まで動き回る癖をつけてしまった。
   夜を昼と間違えて、飲み歩く。
   ストレスを抱えているためか。
   自分も長い間これを続けてきた。
   早寝は今でも難しい。
 
   年頃になると、遅く寝る癖が身についてしまう。
   夜の魅惑は抗し難いもの。
   寝たくないのも色気からのことではなかろうか。
   夜はヨガ、ヨガで身体を揉みほぐす。
   そして、早寝をしたいもの。
 

 
        『 まねごと 』
 
   浜松の旧友の所に一泊した。
   お経を読む声が聞こえてきた。
   朝7時丁度からたっぷり40分間。
   寝る前もお題目とお経を唱える。
   創価学会では誰も皆そうするのだそうである。
 
   彼氏が前と変わっている。
   非常に優しい我慢強い男に変身している。
   信じることが力になるのか。
   続けると言うことが力になるのか。
   長く息を吐くことが気持ちを落ち着かせるのか。
 
   信仰が力を持つことを目の前で見せつけられた。
   自分でも似たことを実践してみてはどうか。
   精神的な動揺を乗り切ることができるようになるのではないか。
   創価学会は少しかじったが、納得できないところがあった。
   しかし、役立つならまねごとをしてみたい。
 
   何か信じるものを持って励むなら救われるということであろう。
   「信じる」と言うことは、「何かを信じる」ことである。
   何かを信じない限り救いはない。
   自分を信じることができない者は、何を信じるべきか。
   出来事のすべてを神の計らいと、「神」を信じてはどうか。
 
   信じるか、実践するかどうかが、問題解決の決定的鍵となる。
   すべては、自分の問題である。
   全身運動で身体を動かす。
   一定時間をかけること。
   短時間では心理的変化が起こらない。
 
   全身の筋肉を隈なくほぐし、酸素を身体中に行き渡らせる。
   吐く息に呼応して、それだけ多くの酸素が流入する。
   身体を動かす柔軟体操に呼吸を併せる。
   肺に残る息を意識的に、吐き出してしまう。 
   只、吐く息を長くせよという。
 
   光の玉か、放射状のものを思い描け。
   精神を一点に集中させよ。
   宇宙の始まり、これをこの世の元として思い描け。
   焦点を定め、意識を集中させる。
   信仰は、実践がすべてである。
 

 
        『 一日一生 』
 
   寝床に始まる、我が一生
   しばらくゆっくり、床の中
   今日は、いかなる一日か
   お酒を飲まぬ、人なのか
   お金を使わぬ、人なのか
 
   母胎を、寝床に見立てれば
   陣痛、目覚しベルの音
   産道、粘ってあと5分
   破水、布団を蹴やぶって
   誕生、床を蹴って出る
 
   おむつで始まる、まずトイレ
   歯が生え、歯磨き顔洗い
   ヨチヨチ、犬と散歩する
   ウマウマ、まずは朝御飯
   ブーブー、仕事に乗って行く
 
   小・中・高と、予習して
   大学、仕事の準備する
   ついに手にした、天職は
   自らのため、人のため 
   端楽にする、仕事なり
 
   節目は三度、やって来る
   就職、最初は朝食で
   結婚、つぎは昼食で
   退職、最後は夕食で
   その間続く、喜怒哀楽 
 
   職を辞すると、暇になり
   使える時間が、できてくる
   テレビばかりじゃ、無駄になる
   自分は、何をしたいのか
   自分は、何ができるのか
 
   寝床について、横になり
   しばらく動かず、振り返る
   知らぬ間に行く、無意識の
   真っ暗闇の、世界へと
   寝床に終る、我が一生
 

 
        『 宗 教 』
 
   納得の行く宗教というものがないだろうか。
   あるならそれを信じたい。
   数え切れない数の宗教。
   どれもがどこかそぐわない。
   理屈に合わない箇所がある。
 
   宗教を必要としている人は多い。
   60億の内の何割になるであろうか。
   宗教人口はかなりの数である。
   その必要性は大きい。
   しかし今の所、自分の納得の行く宗教は見あたらない。
 
   シスコの書店で出合った青年。
   彼も同じ様なことを言う。
   既成の宗教には満足が行かない。
   東洋の宗教に関心があると。
   科学的な宗教、納得できる宗教はないものか。
 
   夜明けと共に起き出して、身体動かし目を覚ます。
   餌を求めて動きだし、食べて突き出す残り糟。
   酸素を吸って血で送り、炭酸ガスを外に出す。
   見るのも聞くのも生きるため。
   汗、熱出すのも生きるため。
 
   先祖は、猿、鰐、ミジンコで、餌を求めて動く物。
   殺して食らうは生きるため。
   攻撃、己を生かすため。
   自分の頭では、絶対に解決できないことがある。
   自分の力で生きているのでは決してない。
 
   動物であることは離れられない。
   死にたくないの欲がある。
   いいもの食べたい欲がある。
   欲しい、欲しいで、欲ばかり。
   叶わず、ストレス、いや勝る。
 
   人として生きていくために、求めざるを得ない。
   求めざるを得ない、この神様のようなもの。
   何か支えになるもの。
   それは、どの宗教でも言っているものである。
   その支えとなるべき宗教を求めずにはおれない。
 

        『 決 断 』

   確実な、決定的、最終的な決断を下せ。                 
   決断どおりに、行動を起こせ。       
   行動の伴わない決断は、決断でない。                 
   決断する力が、成功ための不可欠の条件。          
   必要なことは、決断することである。     
 
   決断を崩すな。                            
   決断を固守せよ。                           
   決断の理由を、自分に言い聞かせよ。             
   なぜそれを守らなければならないか。                  
   決断に逆らうことはいっさい考えるな。     
                                   
   習慣と潜在意識が決断の遂行に反対する。                
   それは幼児期に由来するものである                   
   幼時に受け入れたものが大きな原因である。               
   13歳から40年間、悩み、学び続けてきた。            
   結果、その悩みの原因、解決の方法が、確認できた。       
                                   
   人間は、生まれつき怠け者である。                   
   できるだけ努力しないですむ方を選ぶ。              
   快を選ぶのが、人間。                       
   幼時から、その快を求め続けてきた。               
   怠けることを快とするのが、人間である。               
                                   
   行動するためには、納得のいく、正当な理由が要る。  
   行動を開始する時、それなりの理由があるということである。   
   理由なしに、目的なしに、働く者はいない。  
   人間が苦痛を選ぶ時、それなりの動機がある。           
   決定的決断をするために、「苦快一如」の確信が必要である。       
                                   
   五感を通して入ってくる情報に、たぶらかされるな。           
   快受容体が反応し、快を得て、自ら満足する。              
   もうわかりすぎるほどに、わかったことである。  
   弱い人間には、強制的な力が必要である。                
   もう、愚は繰り返すな。                        
                                   
   戒に、帰れ。                             
   呼吸法に、帰れ。                           
   悟り、「こころの隠れたところ、内奥に魂がある」、に、帰れ。 
   行動する意志が、その魂と一致したとき、実行が可能となる。    
   決断は、「こころの底の魂」を本当に信じたとき、可能となる。     


 
        『 白い雀 』  

   今朝は、ランを散歩につれて行かなかった。
   申し訳ないことをしてしまう。
   意志の弱いこの自分を励ましてくれていた。
   朝起きをさせてくれていたこのランに申し訳ない。
   ランがいなくなったら、朝起きが続けられるであろうか。
 
   白い雀が、大きな声で、朝を告げてくれる夢を見る。
   目を覚ますと、雀の鳴き声が、大きく聞こえている。
   雀が、代わりをしてくれるという、夢である。
   ランにすまないという気持ちが、伝わったのか。
   今朝は、雀の声が、一際大きく、響いて来る。
 
   何もしていないこの自分を、見守って下さる何物かがある。
   愛されているとそう信じることが、生きて行く支えである。
   愛することができないでいる、この自分である。
   その取柄のない自分をも、見守ってくれている。
   そのことに、本当に気づくべきである。
 
   余りにも、自分中心であった。
   行動がすべて、自分のためでしかなかった。
   人をも愛することのできる人間に、変身しなければならない。
   苦しいから、出直したいのである。
   自分のためを、脱しきれないでいる。
 
   すべては、自分のためばかりであった。
   人のために、何をしてきたというのか。
   こし方を振り返ると、ただ申し訳ないばかりである。
   人のためということが、なかった。
   生き生きと、生きていなかった。
 
   何か、自分にもできるのではないか。
   人には、できることがあるはずである。
   自分にできることは、何か。
   それを、はっきりとさせなければならない。
   出直しの人生を、歩かなければならない。 
 
   神様は、白い色をしている。
   全ての色を、受け入れて下さる。
   この見下げるべき、自分をも。
   それに、応えなければならない。
   行き着くところは、そこである。
 

 
        『 ひとすじの白い道 』
 
   心に何を思い浮かべるかを、意識でコントロールする。
   意識できる部分で、思い浮かべるものを、コントロールする。
   心をコントロールして、そして自分の行動をコントロールする。
   第一に考えられなければならないことは、そのことである。
   心の持ちようとは、心をどんな思いで満たすかということである。
 
   心に意識できないことも、勿論、強く行動をコントロールする。
   意識できない部分は、取りあえず、後回しにするしかない。
   思い浮かべるものを、具体的に、コントロールすることである。
   それを、常の思いとすること。
   その気になった猿だけが、立ち上がって人間になったという。
 
   森進一の歌手生活30周年記念コンサートが、行われている。
   自分の心の歴史が、森進一の歌手生活と、重なっている。
   この40年間、変遷はあったが、今、自分の胸の辺りは暖かい。
   自分も、その時その時に、励ましてくれる人と出会ってきた。
   「今は最高に幸せである、皆に感謝している」と、語っている。
 
 
        「ひとすじの白い道」        
 
                       作詞作曲 中山 大三郎
                       歌    森  進 一
 
    わけもなく悲しみが 胸うつ夜は   
    思いでの数々が うかんで消える   
    ふりむけば ひとすじの白い道だった 
    風に泣き 雨にぬれ ひたすら生きた 
    泣くのはよそう 笑って行こう    
    思い出に生きるなんて まだ早い   
                   
    若さゆえ何回も 迷子になった    
    男ゆえその度に 空みて泣いた    
    あの人も あの人も はげましてくれた
    こころから感謝して 今日まで生きた 
    これから先を みていてほしい    
    それだけをたった一つ 伝えたい   
                   
    ただとおい ひとすじの白い道がある 
    何がある 何が待つ ひたすら行こう 
    両手を広げ こころを広げ      
    愛だけを うたいながら どこまでも   < 2005.8. 森々コンビの道は分かれる、 でも、 進む道は一本 >
 

 
        『 コスモソウル 1 』 
 
   時間的、空間的に最大なもの。
   それに合致することが真の喜び。
   自分にもあると感じられるもの。
   自分にもあると証明出来るもの。
   コスモソウル - Cosmosoul - 。
 
   それは啓示のように思われる。
   前向きであるということを心に銘記したい。
   八方ふさがりではない。
   道はあると思えるに至っているだけ有難い。
   早足で歩こう。 
  
   自分の考えが本当に正しいのであろうか。
   猛反対がある。
   当然、気になる。
   しかし、歩くのは自分である。
   自分の道は自分で歩くしかない。
 
   自分で歩こうとしているが、すぐ弱気になる。
   為すべきを為さず、自己批判をせざるを得なくなる。
   一人だけが歩いているのではない。
   たくさんの道をたくさんの人たちが歩いている。
   しかし、自分の道はあくまでも自分で歩くしかない。
 
   相手が好かぬ態度を取るとき、こちらの気が落ち込む。
   自分に気付かず、相手の態度に対してのみ反応している。
   相手の態度にはかまわず、こちらが調子のいい時がある。
   相手の態度に影響されるということがない時である。
   よく考えてみれば、こちらの態度いかんである。
 
   人間的になること。
   為すべきことを為すことができる人間らしい人間になること。
   それが全てであるように思われる。
   「生まれてきて良かった」と心の底から言って死にたい。
   遠からずその日はやって来る。
 
   無限大の宇宙に比べればこの自分は無きに等しい。
   しかし決してゼロではない。
   それを証明しなければならない。
   それを確信して進まなければいけない。
   コスモソウル − これに合致することが真の喜び。
 

 
        『 祝 福 』
 
   何が効を奏したのか。
   周りの人のせいで元気が出ているのか。
   とにかく、こころがハイになっている。
   心のコントロールがかなりできた一日。
   この日を祝福したい。                                 

   退職前のS先生が話しかけて来られた。
   本音で話しかけてきているというのが分かる。
   世の中間違うちょると、批判ばかりを口にする先生であった。
   ドゴールのプライドの話がかなり納得できるものであった。
   世の中捨てたものではないという感じを与えられた。                              

   Iという生徒が英語の添削を受けに来る。
   何となく気が合うと思っているのであろうか。
   心理学に興味があるように言う。
   引きつけておきたいと欲なことを考える。                
   大事にしたいと、本心思う。       

   今日はいつになく気分がいい。
   何かが原因しているに違いない。
   自分は試されているのだという強い意識があった。
   皆の顔が輝いて見える。
   皆の応援がとても有り難く感じられる。                                     

   A さん、明るく純朴な所がある、真面目が好きな女性。
   B さん、お嬢さんで、旦那に苦労している、誠実な女性。  
   C さん、お嬢さんで、妹思いのどこまでも優しい感じがする女性。
   D さん、いつも笑顔で、育てる優しさがある、聖母のような女性。
   E さん、いつも笑顔で、色気を振りまいている妖精のような女性。  
                                    
   F さん、正義派で、一徹な所から諦め易いが、夢を秘めている男。 
   G さん、静かな正義派、孤高を保つ、優しい遠慮がちな貴公子。
   H さん、あどけなさのある、努力を惜しまぬ、負けん気の熱血漢。
   I さん、ゆっくり観察し判断する、義務感強く意志を通す事務官。
   J さん、姿勢を崩さない、負けぬ気の、正義派、スポーツマン。
                                    
   K さん、温厚、純朴素直で、意見を率直に述べる気の若い好々爺。
   L さん、正義派で、バイタイティー溢れる、小柄な、山男。
   M さん、穏やかさ、優しさがある美術制作で生徒指導する芸術家。
   N さん、苦情を言わず、早起きを継続している恩を忘れない男。
   O さん、明るく、健康的で、一喜一憂しない、真面目な警備員。 
 

 
        『隣人 』 

 
   朝3時半過ぎに毎日出かけるその老夫婦。
   真冬も、酷い雨の日も、暗い内から、よく頑張るものである。
   5時過ぎに帰ってくるその夫婦にときどき出くわすことがある。
   とても仲のいい老夫婦である。
   そこの若夫婦も実に気持ちがいい。
 
   定年で仕事をやめてからずっと続いている。
   2人で暗い中を出かけていく。
   時間が時間である。
   雲水の修行の時間の暗い内から出かけての仕事である。
   修行僧のような夫婦が自分にはひどく立派に思える。
 
   押しつけがましいところがない。
   言葉数はごく少ない。
   お孫さんを可愛がる。
   甘やかすというのでない。
   孫達がまたできがいい。
 
   Kちゃんはとても気だてのいい、かわいい女の子である。
   その兄ちゃんS君も男らしいきりっとした感じである。
   兄妹で庭に出て母親からよく剣道の指南を受けている。
   母親は、厳しい指導をしている。
   父親は、傍らでそれをじっと眺めている。
 
   翻って、自分の家庭はどうであろうか。
   父親らしい父親でいたであろうか。
   ふがいない父親に見えたのではないか。
   頼り甲斐のない父親に見えたに違いない。
   よく酒を飲み、よくタバコを吸った。
 
   子たちは、苦しんだに違いない。
   立派に成人しているように思えることが嘘のようである。
   どのような父親像を抱いていることであろうか。
   本当に反省の気持ちがあるのであろうか。
   未だに反省せず自分勝手な生き方をしている父親である。
 
   これを期に本当の反省をしてはどうか。
   どのようにすればいいかが分かったはずである。
   心を入れ替える必要がある。
   改心の必要がある。
   隣人に学ぶべきである。