あ. 『 愛語よく よく回天の 力あり 』

 引用は、『人間的魅力の研究』(伊藤肇著、日本経済新聞社刊)から。
伊藤肇氏:大正5年名古屋生まれ。中部経済新聞記者、雑誌『財界』副主幹を経て、評論家に。主著『一言よく人を生かす』、『経営者をささえる一言』、『現代の帝王学』他。


・ 良寛は曹洞禅の関係もあって、開祖道元禅師の「正法眼蔵」に出てくる「愛語」の條を愛誦し、 座右としていた。
 「愛語といふは、衆生を見るに、まづ、慈愛の心をおこし、顧愛の言語をほどこすなり。おほよそ、暴悪の言語なきなり。(中略)『衆生ヲ慈愛スルコト猶、赤子ノゴトシ』のおもひをたくわへて言語するは愛語なり。徳あるはほむべし。徳なきはあはれむべし。愛語をこのむよりは愛語を増長するなり。しかあれば、日ごろ知られず、見えざる愛語も現前するなり。現在の身命の存する間、好んで愛語すべし。(中略)向ひて愛語を聞くは、顔(オモテ)を喜ばしめ、心をたのしくす。向はずして愛語を聞くは、肝に銘じ、魂は銘ず。知るべし、愛語は愛心よりおこる。愛心は慈心を種子(ジュシ)とせり。愛語よく廻天の力あることを学すべきなり。」

・ 「良寛禅師奇話」の著者解良栄重(ケラヨシシゲ)は記している。「師、余が家に信宿(二晩泊まり)、日を重ぬ。上下おのづから和睦し、和気、家に充ち、帰り去るといえども、数日のうち、人おのづから和す。師と語ること一たびすれば、胸襟清きを学ぶ。師、さらに内外の経文を説き、禅を勧むるにもあらず、あるいは厨下(チュウカ、台所)につきて火を焚き、あるいは正堂(座敷)に座禅す。その話、詩文にわたらず、道義に及ばず、優游として名状すべきなし。ただ道義の、人を化するのみ。」

・ 良寛の「戒語」。「言葉の多き、・・、あわただしくものいう、・・、わがことを強いて言いきかさんとする、人の話の邪魔をする、・・、おのが意地をいい通す、・・、悟りくさき話、・・、たやすく約束する、人にものくれぬ先に何々やろう、くれて後 そのことを人に語る、・・」

・ 釈迦が残した名言に「智慧と戒とをもつは沙門なり。智慧あれば戒あり。戒深ければ、智慧もまた深し」というのがある。「沙門」とは「仏の子」つまり人間すべてである。

・ 知恵だけで生きてゆくと、人間は「驕慢」になる。その意味でローマの賢帝、マルクス・アウレリウスの「自省録」はいまだに読みつがれている名著だが、その中の「自戒」は特に参考になる。

 「私は祖父から、善良な行儀と激情の抑制とを学んだ。父からは謙譲と男性的気品とを教えられた。母からは敬虔と仁徳と、そして、単に悪い行いばかりでなく悪い考えも忌ぶべきこと、さらに高者の習慣とは遠く異なった素朴な生活の仕方などを躾(シツケ)られた。 アレキサンダーからは、自分が暇をもたぬということを人に向かってしばしば必要もないのに言ったり、あるいは手紙に書いたりしてはならぬこと、また、それを口実にして、自分と親しい人々との間の交誼に必要な義務を怠ってはならぬことなどを学んだ。エペソ人の文書から、『美徳を行った昔の人々の一人を常に念頭に置け』という訓言を得た。」

 良寛の「自戒」と同じく、一つ一つ、噛みしめていくと、深い味わいが出てくる。
「戒深ければ、智慧もまた深し」とは、まさしく言い得て妙である。



い. 『 いつまでも あると思うな このいのち』

 引用は、『 われわれはなぜ死ぬのか 』(柳澤桂子 著、草思社 刊)から。  柳澤 桂子氏 : 1938年、東京生まれ。コロンビア大大学院修了。サイエンスライター。原因不明の病に倒れ、奇跡の回復。主著に『生きて死ぬ智慧』、『生命の不思議』、他。


・ ゲリラとして捕らえられた青年のこめかみにピストルが向けられている写真がある。次の瞬間には地面に倒れるであろう。死体はそのまま放置されたらどうなるであろうか。

 青年の呼吸は停止し、心臓は弛緩したまま止まる。やがて、からだ中の筋肉が弛緩する。体内にある汚物はからだの外に流れ出てくる。眼はどんよりと開かれ、瞳孔は散大している。筋肉の弛緩は4〜5時間つづき、やがて硬直する。

 24時間後には遺体のいろいろな部分にうっ血した血液が死斑となってあらわれる。やがて、硬直は消え、腐敗がはじまる。まず、屍臭がたちはじめ、死体はふくれあがり、ウジがわく。つづいて、緑色の斑点があらわれ、次第に遺体全体に広がる。

 その後、死体は水分を失い、皮膚は乾いて皮革のようになる。血液が循環しなくなって最初に死ぬのは神経細胞である。

 大脳皮質の細胞は、心臓の拍動が止まってから7〜8分後には壊死をおこす。

 視床下部の神経細胞はやや長く、75分以上生きている。

 引き続き、肝臓、腎臓、腺細胞が変性していく。

 最後まで生き残るのは皮膚の細胞で、死後2〜3日は生きている。

 髪、その他の毛、爪は死後もしばらくのびつづけてから崩壊する。

 やがて、臓器は、悪臭を発するどろどろのものになって、頭蓋、胸郭、骨盤内を満たす。

 肝臓は第3週頃に、心臓は5〜6ヵ月めに消滅する。

 からだの内部にすんでいた細菌、カビ、ウィルスなどの寄生生物の餌食になった遺体は、次に外から入り込む生物によって喰い荒らされる。
 ダニ類やムカデなどの多足類、クモ、昆虫、野ネズミなどが饗宴に加わる。

 化学的にみると、からだの中の水分は、なかに溶解している塩類や細菌とともに地中に染み込んでいく。
 炭水化物は、アルコール、ケトン、有機酸に分解されて地中に入る。 その一部は炭酸ガスやメタン、水素にまで分解されて大気中に放散される。

 一人の成人の死体が放散するガスの量は5立方メートルにもなる。

 脂肪は、アンモニアをたくさんふくんだ低級脂肪酸に分解されて悪臭を放つ。

 タンパク質は鎖状の長い分子であるが、短く切られてアミノ酸になる。その一部は、各種アミンやアンモニアになり、さらに硝酸、亜塩酸に酸化される。

 最後まで残るのは骨である。骨はカルシウムを失い、雨水に溶けて消失する。骨がなくなるまでには普通4〜5年かかるが、場所によっては数世紀かかることもあり、歯が数千年も残っていることもある。


・ ベトナムの一青年の不条理な死は私自身の死にもなり得る。ピストルを発射した男が癌細胞におきかわる可能性もある。死は私たちの身辺に満ちているのである。

・ 死はかぎりなき崩壊である。野ネズミが、虫けらが、細菌が私のからだを完全に喰いつくす。あるいは、私のからだは焼却炉の中で燃やされて灰になる。

・ 私たちの寿命は、受精の瞬間から時を刻みはじめる。産声をあげる10ヵ月も前から、私たちは死に向けて歩みはじめるのである。



う.. 『 受けた恩 生まれ出た恩 測られぬ 』


 引用は、『 正信念仏偈 』(善教寺17代住職 桑門超著 法輪山善教寺)から。
三帰依文:今から約2,500年前、お釈迦さま在世の時、当時のインドの人々は、この三帰依文を唱えて、お釈迦さまの弟子として入門の儀式を行ったと伝えられています。


 人身受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。この身今生において度せずんば、さらにいずれの生においてか、この身を度せん。大衆もろともに、至心に三宝に帰依し奉るべし。(人間として、この世に身を受けるのはむづかしいが、いますでに生命を得た。仏法にめぐりあうことはむづかしいが、今すでに出会い聞くことができた。この自分が生きている生涯において私が救われなければ、どれほど生まれ変わって迷いからめざめるというのだろう。だから、人々と共に心から、仏・法・僧の三宝を尊びよりどころにして生きることを誓います。)・・・

 無情尽深(じんじん)微妙(みみょう)の法は、百千万劫にも,遭遭(あいあ)うこと難し。我いま見聞(けんもん)し、受持(じゅじ)することを得たり。願わくは如来の真実義を解したてまつらん。(この上なく奥深くすばらしい真実の法は、どれほどの長い時のながれを経ても、めぐりあうことはむづかしい。にもかかわらず、わたしは今、ここに見聞きし、出会うことができた。どうか、ねがわくば、如来(みほとけ)の真実の教えの意味がほんとうにわかるように聞きつづけていくことを。) <三帰依文(さんきえもん)>

・  帰命無量寿如来(きみょうむりょうじゅにょらい/ 永遠の仏よ、あなたの呼び声に私は目覚め量(はか)りしれない寿(いのち)に立ち返り)  南無不可思議光(なむふかしぎこう/ 思い はかられない光に敬いを捧げます)・・・  至心信楽願為因(ししんしんぎょうがんにいん/ あなたのまごころは いのちの根源にはたらきかけ 私に まことのこころを おこさせます)  成等覚証大涅槃(じょうとうがくだいねはん/ 私が生きることの意味に目覚めて さとることができるとしたら)  必至滅度願成就(ひっしめつどがんじょうじゅ/ それは、<必ずさとりに至らせる>というあなたの願いが成就しているからなのです)  <正信偈>


・ <食前のことば>        <食後のことば>
   み光のもと            われ今     
   われ今 幸いに         この浄き食を終わりて
   この浄き食をうく         心ゆたかに力 身に満つ
   いただきます           ごちそうさま    


・  『正信偈』は、浄土真宗を開かれた親鸞聖人が、「南無阿弥陀仏」の念仏を通して、そして過去の高僧方の教えによって、仏の心を受けられた感激を歌にされたものです。親鸞聖人が歩まれた仏道の伝統の世界をみなさんとともに確かめて行くことが出来ればと願っています。 <桑門 超>



え.. 『 永劫の 歳月 明日にも 我を待つ』

 引用は、『 フランクルの実存思想(「それでも人生にイエスという」解説)』(山田 邦男、春秋社 刊)から。
 山田 邦男 氏:1941年、大阪市生まれ。大阪府立大学総合学科学部教授。



・ フランクルは次のように言っている。
 「人間とは快楽原則(「快楽への意志」)によって左右される存在であるとしたのは、精神分析医フロイドであり、人間はいわゆる権勢欲(「力への意志」)によって規定される存在であるとしたのは、個人心理学者アドラーである。しかし、実際には、人間は「生きる意味への意志」によって最も深く支配され続ける存在であると言うべきであろう。」

 フロイド的な「快楽への意志」とアドラー的な「力への意志」に対して、フランクルがそれらよりも人間にとってより本来的な意志であるとして提起したのが、「生きる意味への意志」である。

 フランクルは言う、「人間は自分の人生を出来る限り何のために生きるか、その意味で充たしたいという憧憬によって魂(精神)を吹き込まれ、それに従って生きがいある生活内容を得ようと努める。  また、自分の人生からこの意味を闘い取ろうとする。われわれは「生きる意味への意志」が充足されずにとどまる時、ますます多量の衝動満足によってこの内面的不充足を麻痺させ、自分を酔わせようとする。」

 この「生きる意味への意志」は、「快楽への意志」「力への意志」が生理的欲求と社会的欲求であるのに対して、実存的欲求であると言うことができる。
 「快楽への意志」「力への意志」が生きるため、あるいはより多く生きるため、であり、いわば生きる手段の追及であるの対して、「生きる意味への意志」は、生きるのは何のためか、という生きる意味、生きる目的の追求である。
 あるいは「快楽への意志」「力への意志」が動物的要求であるのに対して、これは人間独自の要求であると言い得る。

・ サルのような高等動物には、生理的欲求はもちろん社会的欲求も認められ、ボスザルを頂点とするヒエラルキーの中で、ある種の「力」の追及が行われる。しかし、彼らが「自分の人生」とか、それを「できる限り生きる意味で充たしたい」と思うようなことはない。

・ 「生きる意味への意志」は人間独自の実存的欲求であり、この欲求が充たされなければわれわれは人間として充たされない。そしてまさにその故に、また「その時に限って、人間はますます多量の衝動満足によってまさにこの内面的不充足を麻痺させ、自分を酔わせようと努める」のである。 それでは、「生きる意味への意志」はどのようにして充たされるのであろうか。

 ここで必要なのは生きる意味についての問いの観点の変更である。すなわち人生から何をわれわれはまだ期待できるか、そのことが問題なのではなくて、むしろ「人生が何をわれわれから期待しているか、それが問題である」ということである。

 われわれが「生きること自体、問われていること」であり、われわれが「生きていくことは答えることにほかならない」。しかもこの問いと答えは、そのつどそのつど一回的なものである。すなわち、「一回切りの人生において、何を為しえたか」、それを見ようと未来永劫の歳月が、待っているということである。その日は明日にも、来るかもしれない。




お. 『 鬼も泣く 人のこころの まことには 』

 引用は、『 明治天皇の和歌(9万3032首)』から。
 明治天皇、睦仁:1852年、京都府生まれ。14歳で122代天皇に即位。開国・維新の動乱に立ち向かい、欧米列強に比肩する近代国家への道を歩んだ指導者。在位46年。



あ 秋の夜の月は昔にかはらねど世になき人の多くなりぬる
  あさみどり澄みわたりたる大空の広きをおのが心ともがな
  天を恨み人をとがむることもあらじわがあやまちを思ひかへさば
  あやまちを諌めかはして親しむがまことの友のこゝろなるらむ
  あらし吹く世にも動くな人ごころいはほに根ざす松のごとくに
  荒るゝかと見ればなぎゆく海原の波こそ人の世に似たりけれ

う うもれ木をみるにつけても思ふかなしづめるまゝの人もありやと

お・鬼神もなかするものは世の中の人のこゝろのまことなりけり
  おのがじしつとめを終へし後にこそ花のかげにはたつべかりけれ
  おのが身はかへりみずしてともすれば人のうへのみいふ世なりけり
  おほぞらにそびえて見ゆるたかねにも登ればのほる道はありけり
  おもふこと思ふがまゝになれりとも身を慎まむことな忘れそ
  及ばざる事な思ひそうつせみのみはほどほどのありけるものを

か かざらむと思はざりせばなかなかにうるはしからむ人のこゝろは
  かたしとて思ひたゆまばなにこともなることあらじ人の世の中
  かりそめの事に心をうごかすな家の柱とたてらるゝ身は
  川舟のくだるはやすき世なりとて棹に心をゆるさざらなむ

き きずなきはすくなかりけり世の中にもてはやさるゝ玉といへども

く 暮れぬべくなりていよいよ惜しむかななすことなくて過ぎし一日を

こ こころある人のいさめの言の葉は病なき身の薬なりけり
  ことなしとゆるぶ心はなかなかに仇あるよりもあやふかりけり

さ さしのぼる朝日のごとくさわやかにもたまほしきは心なりけり

た たらちねの親の心は誰もみな年ふるまゝにおもい知るらむ
  たらちねのにはの教はせばけれどひろき世にたつもとゐとぞなる

て 手ならひをものうきことに思ひつるをさな心を今くゆるかな

と 歳月は射る矢のごとし物はみなすみやかにこそなすべかりけれ

な なにごとも思ふがまゝにならざるがかへりて人の身の為にこそ
  ならび行く人にはよしやおくるともただしき道をふみなたがへそ

ひ 開けゆく道にいでてもこゝろせよつまづく事のある世なりけり

ま 学びえて道のはかせとなる人もをしへのおやの恵わするな

め 目に見えぬ神にむかひてはぢざるは人の心のまことなりけり

も もろともにたすけかはしてむつびあふ友ぞ世にたつ力なるべき

ゆ ゆきにたへ嵐にたへし後にこそ松のくらゐも高く見えけれ

よ 世の中に危きことはなかるべし正しき道をふみたがへずば


か.

き.


く. 『 口でなく 身をもってせよ 教師道 』
 
 引用は、『 統帥綱領入門 』(大橋 武夫 著、マネジメント社刊)から。
 大橋武夫氏:1906年生まれ、蒲郡市出身。労働争議で倒産した東京時計(株)小石川工場を再建、独自の「兵法経営論」提唱。戦前、東部軍参謀。主著『名将の演出』他。


・ 統帥(トウスイ)の中心、原動力は、実に将帥(ショウスイ)にして、古来、軍の勝敗はその軍隊よりも、むしろ将帥に負う所大なり。戦勝は、将帥が勝利を信ずるに始まる。(統帥参考抜粋)

・ ドイツ大本営はこの危機において、第八軍のトップ交代を決断。
 1914年8月23日14時、特任された司令官ヒンデンブルグと軍参謀ルーデンドルフが到着。お通夜のように沈みきっていた軍司令部の空気は、二人の到着とともに一変。13万の敗走ドイツ軍はわずか二人の首脳が交代しただけで、輝かしい戦勝軍に一変した。

 こんな例は、われわれの身辺にもある。
 監督が替わっただけで、万年テールエンドのチームが突然優勝チームに変身することがある。多くの倒産会社が、経営者が交代するだけで、不思議なほどの立ち直りを見せる。会社の盛衰は、経営者によって決まるといっても差し支えあるまい。

・ 神秘的な力を発揮するトップの秘密は、その人の統率力である。
 統率は「統御」と「指揮」よりなり、「統御とは、集団内の各個人に、全能力を発揮して指揮されようとする気持を起こさせる心理的工作」であり、「指揮とは、統御によって沸き立たせ、掌握したエネルギーを総合して、集団全体の目標に、適時、集中指向し、促進して、効果的に活用する技術的工作」である。
 トップが神秘的な力を発揮するのは、まず統御の面において、 その人がトップに就任することにより、全組織の人々が奮い立ち、その全能力を発揮するようになることで、これは偉大な働きをする。

・ 戦争においては、百を知るよりも一を信ずるにしかず。百の知識は一つの信念により激倒せらる。死生の巷において一事を遂行する力を有するものは、知識にあらずして信念なり。

・ 軍事活動は、卓越した知力を備えた者でなければ、遂行することはできない。さらに、知識の理性を働かすには、その前に勇気の感情を喚起しておかなければならない。危機に際しては、理性よりも感情の方が強く人間を支配するからである。

・ いかに人徳を備えていても、全責任を負う勇気がなくては、部下を統率することはできない。

・ いかなる名参謀も、将帥の決断力不足だけは補佐することはできない。(クラウゼウィッツ)

・ 参謀は、的確に状況判断をしなくてはならない。参謀は、人間心理を洞察できなくてはならない。参謀は、足で稼げ。事実確認が参謀業務の基礎である。

・ 速戦即決は、孫子以来の戦争指導の根本原則である。(統帥綱領抜粋、統帥の要義)

・ 軍隊士気の消長は指揮官の威徳にかかる。

 いやしくも将に将たるものは高まいなる(気高く、衆に優れている)品性、公明なる資質および無限の包容力をそなえ、堅確なる意志、卓越せる識見および非凡なる洞察力により、衆望帰向(衆人の信望が集まる)の中枢、全軍仰慕の中心たらざるべからず。

 かくのごとくにして初めて士気の作興し、これをしてよく万難を排し、苦難を凌ぎ、不撓不屈、敵に殺到せしむるを得るべし。 



け. 『 継続は 力 血となり 肉となる 』

 引用は、『 人間はここまで強くなれる 』(謝世輝著、三笠書房刊)から。
 謝 世輝氏:台湾生まれ。台湾大学卒業後、来日。名大大学院で原子物理学博士号。 文明・文化史、歴史学に転身。東海大教授。著書に、『成功の黄金律』、訳書に『信念』他。


・ 『仏垂般涅槃略説教誡経』という仏教の経典の中に、次のようなことばが記されている。 「汝らもし勤め励むならば、事として難きものなし。わずかな水も常に流るればよく石をうがつがごとし」

 むかしの家には雨どいのないものが多く、屋根から雨水が落ちる所には平たい切り石が敷きならべられていた。その敷き石を見ると、必ず大小の穴が点々として穿たれている。それは雨のしずくが、何年という間につくったものなのだが、常識的に考えれば、あのごく小さい水のしずくが硬い石の上に穴をあけるなんて信じられないことかもしれない。しかし、その理由もよくよく考えてみると、実に簡単なことなのだ。それは雨だれが、同じ個所ばかり集中して、くり返しくり返し落ちるからである。

 このことはわれわれの日常生活にもあてはまるといえよう。たとえ才能がなくても、また人に言えぬハンディがあったとしても、目標に向けて心を集中して、少しずつでもくり返しくり返し根気よく続けていけば、必ず志を達成することができるのである。

・ 19世紀末にガソリンエンジンが発明された。ライト兄弟はこれを飛行機のエンジンにしようとしたが、当時のエンジニアは「そんなことは、絶対に不可能だ」と、異口同音に言っていた。
 さて、1903年、ライト兄弟はグライダーにガソリンを搭載して、はじめて空を飛んだ。そのときの飛行距離は93メートル、飛行時間は53秒であった。そして、最高高度はたったの3メートルでしかなかった。
 「たったの3メートルしか飛んでいないじゃないか。そんなのは飛んだうちに入らない。棒高跳びの方がよっぽど高いぞ」と専門家達はあざけり笑った。

 だが、それから5年後の1908年、ついに飛行機は、ドーバー海峡(イギリス−フランス間、約40キロメートル)を飛び越えたのだ。
 「やるべきだ」と思ったことは断固としてやるべきである。周囲の人々がいくら反対しても、やるべきことは最後までやりぬくことが、明日の進歩につながる。
 もちろん、それなりの努力と苦労が必要なことはいうまでもない。

・ 私は幼い頃から身体が脆弱で、高校生になっても、体重は32キロしかなかった。まさに骨の上に皮がある程度で、生きているのがやっと、というような状態であった。

 ところが高校2年のとき、ある宗教書を読み、「身体が貧弱でも必ず大成できる」ということを知った。高3から増えはじめ、「死ぬのではないか」という恐怖から逃れることができ、大学で物理学を専攻することができるまでになった。

 台湾から出国、日本の大学で物理学を志すまでの3年間の過程は、それは筆舌に尽くしがたい熾烈な戦いであった。私は一つのある大きな真理を悟ることができた。それは「たとえ条件が悪く、一見不可能に見えることでも、希望を抱いてぶつかっていけば、必ず突破できる」ということであった。



さ. 『 さあやろう こころ新たに 取りかかれ』

 引用は、『 今できることから始めよ!』(A.マクギニス著稲盛和夫監訳 三笠書房)から。
 Alan Loy McGinnis 氏:アメリカを代表する精神科医、人生論のベストセラー作家。著書に、『自信こそは』、『ベストを引き出す』、『フレンドシップ』など多数。


・ ビクトル・フランクル博士の書いたユダヤ人大虐殺についての記述は、博士が当事者であっただけに格別のものがある。著書『人間の研究(Man's Research for Meaning)』は、第二次大戦中のアウシュビッツ、ダハウ、その他の強制収容所での約3年に及ぶ生活を振り返って書かれたものである。

  「どうしてこの人が生き残ってあの人が倒れてしまうのか、ずいぶん不思議に思ったものだ。弱々しいような体質の人が、頑強な体質の人より収容所生活を生きのびるという明らかな逆説を往々に目にした」と博士は語る。  そこで、博士のゆきついた結論とは、生命は精神の状態と大きく関連している、ということである。博士の感動的なコメントを紹介しよう。

<収容所生活を経験することで、人間は行動を選ぶものだということがよくわかった。いろいろ実例を見ていて、無感動な心も溶け、怒りも鎮められるものだと知ったのである。
 そうした例は、英雄的な性質の人が教えてくれたことが多い。人は肉体的にも精神的にもああした過酷な状態においてさえ、精神の自由や自立した心の痕跡をとどめることができるのだ。
 強制収容所でくらした経験の中で忘れられないのは、周りの人間を楽にさせようと小屋の中を歩きまわり自分たちのパンを分け与えていた人たちである。そうした人は大勢の中でごく少数だったとは思うが、どんなことをしても人間からは奪えないものが一つあるということをはっきりと見せてくれた。
 人は自由なのだ。与えられたどんな環境の中でも、どんな姿勢をとるかは本人の選択であり、自分の道を選ぶのは自分であるということを私に教えてくれたのである。>

 強制収容所という恐るべき場においてさえ、残された自分の姿勢を選ぶ自由がある。
 この話の中で博士は、われわれ人間の中にある尊い何かについての最も確かな証拠を示しているのである。愛情で育まれる積極思考のものの見方が悪を改めさせ、苦痛を成長へ変え、生活の悲惨な側面を変形させえるのだ。この能力こそおそれ多いほどのすごい力の証拠である。

 われわれが、現実に強制収容所でくらすことはないだろう。しかしわれわれが生きる上で、似たような選択を強いられる機会をさけることはできない。

 悪と善、自殺と生、憎悪と愛情、その場限りの満足と長期的視野に立った目標…われわれには、これらを選ぶ自由がある。われわれが望むなら、この世を皮肉な目で悲観的に見る立場を選ぶこともできる。あるいは最上のものはこれから先にあると頑固に信じて、希望をもって生きる前向きな立場にも立てる。

 この「姿勢の選択」は、まさにわれわれの「心」一つにかかっているのである。



し. 『 習慣は 第二の天性 本能なり 』
 
 引用は、『 「信念の魔術」の真理 』(謝 世輝 著、KKロングセラーズ 刊)から。
 謝 世輝 氏:1929年、台湾生まれ。台湾大学卒業後、日本へ留学。物理学を教え世界史へ転向。主著に『新しい化学史の見方』『新しい世界史の見方』『信念の魔術』、他。

・ 科学は人間の理性が生み出したものであり、科学によってすべてのことが解決されると人々は信じた。20世紀初頭に現れたフロイトは、心理学の立場からこれに異を唱え、理性万能が成立しないことを明示した。
 フロイトによれば、ひとりの人間の心の約80%が盲目的な潜在意識である。そして残りの20%が理性(思う心)と知覚(知る心)によって占められているという。理性と知覚を合わせてフロイトは表層意識と呼んでいる。すなわち、理性とか知覚というのは表層にある心であり、心の一部分にしかすぎないというのである。そして盲目的な働きをなす潜在意識(奥にある心)が80%という大きなパーセンテージを占めているのである。
 潜在意識は、意識している心とは別物である。
 この潜在意識には、本能や習慣などが含まれている。本能の働きは理性のコントロールをはるかに上まわる強力なものである。よく、心は心では制することはできないなどという表現を使う。若いときの異性への憧れや、親子の情愛を見るときこれがよく分かる。
・ 「習慣は第二の本能である」と、よくいわれる。いったん習慣が形成されると、自分が意識しなくとも、習慣によって束縛・既成されるようになってくる。「タバコがなかなかやめられない」、「酒がやめられない」ということをよくきく。自分の身体に有害と注意され、やめなければならないと思っても、なかなかどうして、いったん習慣になったものはたやすくやめられない。
 「よく読書をする」、「なまける」というのは習慣である。大きく習慣によって自分の生活が動かされているということがわかる。
 習慣も、本能と同じく、盲目的に人を動かす力を持っているのである。
・ 祈るという習慣をつけてみてはいかがであろうか。ここで祈るというのは合掌することである。ただ、そのつもりになって、心の中で手を合わせ合掌する。
 心の中で祈る時間を持つ、その習慣をつけるということである。
 合掌することは霊的アンテナを立てることである。そのアンテナから心の電波が発信される。自分の納得のいく神様・宇宙霊でもよいし、心の奥にお住まいになる仏性でもよいし、潜在意識を含めた本当の自分へということであってもよい。それに向けての発信である。
・ どのような結果がもたらされるか。 それは、私たちの理性、意識している心の範囲外のことである。ただ、祈る習慣がもたらすその効果ははかりしれない。
 過去、多くの人々が祈りを通して、願いを叶えてきた。
 思いがけない助っ人が現れるかもしれない。苦しんでいる病気が治るかもしれない。禁煙が実現するかもしれない。禁酒も実現するかもしれない。
 祈る習慣が信念となり、その信念が一層強まることで、思いもよらない方法で成功へ導かれるということ、そのようなことが可能になるということである。



す. 『 澄む月は 眺むる人の 心にぞ 』
 
 引用は、『 法然 ひとすじの道 』(藤井正雄著、集英社刊)から。
 藤井正雄氏:昭和9年東京、浄土宗布教講習所に生まれる。大正大学名誉教授。主著『現代人の信仰構造』、『仏教儀礼辞典』、訳書にマリノフスキー『文化変化の動態』など。


・ 浄土宗の宗歌、『月影の歌』、「月かげの至らぬ里はなけれども眺むる人の心にぞすむ」は、阿弥陀仏のみ心を、法然が月にたくして読まれたもの。
 『月影の歌』は「観無量寿経」の「真身観文(シンジンガンモン)」の一文で、現在、日常勤行(おつとめ)で「摂益文(ショウヤクモン)」としておとなえされています。「如来の光明はあまねく十方の世界を照らして、念仏の衆生を摂取して捨てたまわず」の意。

・ 法然は、その主著『選択(センジャク)本願念仏集』の第三章「弥陀如来、余行をもって往生の本願としたまわず。ただ念仏をもって往生の本願としたまえるの文」の中で、念仏こそが一切衆生を平等に往生せしめる行であると述べています。

 到達したひとすじの道は、誰でもが、いつ、どこにおいても阿弥陀仏の本願力に乗じて、「南無阿弥陀仏」と唱えれば極楽浄土に往生できるという教えでした。

・ 阿弥陀仏の浄土に生まれることを信じ、阿弥陀仏が本願とされた念仏の願力を信ずるよりほかはない。智慧や学問は心から本願力を信ずる力にはなんの役にもたたない。ちょうど、赤子が無心に母の乳房にすがるように、赤子念仏こそ弥陀の本願力にすがる念仏となると教えました。

・ 法然は、長承2年(1133)4月7日、美作(ミマサカの)国(現在の岡山県)に生まれました。奇しくも釈尊誕生の前日でした。世は平安末期、二十年後には平家がこれまでの貴族にかわって政治の舞台に登場、六十年の後に、源平合戦の末に鎌倉幕府が開かれます。法然の生きた八十年の生涯は、まさに貴族社会から武家社会へと推移する動乱期にあたっておりました。源平の争いに展開された骨肉相喰む人間の悲しい性(サガ)をみ、また、仏教教団の争いに絶望、比叡山を去り、末法の世にとり残された大衆の救われるべき道を求めたのでした。

・ すべての人に救われる道を説くことは亡き父の遺言の実行であったのです。

・ 黒谷の報恩蔵における長い修学生活の中で、唐の善導和尚の『観経疏 (カンギョウショ) 』の中の「散善義」にある「一心に専ら弥陀の名号を念じ、行住坐臥に時節の久近(クゴン)を問わず、念々に捨てざるもの、是れを正定 (ショウジョウ) の業 (ゴウ) と名づく、彼の仏の願に順ずるが故に」の一文を見るに及んで、ついに、称名念仏が阿弥陀仏の本願行であることを悟り、たちどころに余行を捨て、一向専修(センジュ)の教えに帰入されることとなったのです。ここに阿弥陀仏のみ名をとなえることによって、万人が救われる道を見出したのです。時に、法然43歳。

・ 一度も中国に渡ることなく、心の師を求めて三十年、大蔵経をくり返して読み、名僧知識を訪ねても得られなかった教えを、五百年を隔てた中国の善導の書から得られたのです。しかし、善導から教えを直接授けられたのではないという一抹の不安がありました。

 夜夢に、善導和尚現れ、専修念仏を弘めることを勧められ、それによって確証したと、その「夢中の霊感」を自ら語ったことが『源空聖人私日記』などに伝えられています。



せ. 『 背を伸ばし 肩の力を そっと抜け 』
 
 引用は、『 ダルマの実践 』(スティーブン・バチェラー著、四季社刊)から。
 スティーブン・バチェラー氏:スコットランド生まれ。インドで3年チベット仏教僧、スイスの僧院で5年、韓国の僧院で3年修行修学。後還俗、英国へ。妻とフランスに住む。


・ 次のような稽古をやってみなさい。

 まず、静かで快適な場所を見つけなさい。
 寝室か書斎の一隅でかまわない。そこで椅子に座るか、もしその方がよければ床の上にクッションを置いてその上に脚を組んで座りなさい。
 背中がどこにも触れないようにし、体を緊張させないように気をつけて背筋をまっすぐにしなさい。
 あごを引いて頭を少し下に傾けなさい。
 目を閉じ、膝か膝頭の上に両手を置きなさい。
 肩、首、眼のまわりなど、からだのどこかに緊張したところがないかどうか調べなさい。もしあればそこのこわばりを弛めなさい。
 自分のからだが地面と接触していることを意識しなさい。自分の座りが安定しバランスがとれているかどうかを確認しなさい。
 自分のまわりで起こっているいろいろな音の微妙な多声曲に気づきなさい。
 からだに感じられるどんな感覚にも注意を向け、そのときの気分を意識しなさい。
 ただそれらをあるがままに受け入れなさい。
 長くゆっくりした深呼吸を3回しなさい。

 深呼吸のあとは、呼吸に干渉したりそれを制御したりしないように気をつけて、呼吸それ自身が自然なリズムにもどって呼吸しなさい。そしてそのまま呼吸をずっと続けなさい。
 錨をおろした小船が海のうねりといっしょにそれから離れず静かに落ち着いて上がり下がりしているのと同じように、息のうねりにこころを定着させなさい。
 この稽古を十分間おこないなさい。
 この稽古は簡単なことのように思われるが実際にやってみると実はそう簡単なものではないことがわかる。
 息を見守ることが持続できるようになったら、しばらくするとこころが静まりはじめるのに気づくだろう。

・ わたしは後悔することなく死んでいけるような生き方をしているのだろうか?条件がもっと都合よくなるまで自分が「本当に」やりたいことを先に延期し続けているのではないだろうか?

・ 呼吸を1回するたびごとに生命がこっそりどこかに去っていくのを感じるのだ。それは下流に向かってどんどん流されていく舟に乗っているようなものだ。船尾からあたりをながめ、船の後ろに広がる光景に見とれている。そこからのながめに夢中になっているために、自分が何百フィートもの高さのある滝に向かって容赦なく流されて行っているということをすっかり忘れている。

・ ダルマの実践の観点から言うなら、真の友人(善知識、善友、勝友)とは、共通の価値観をわかちあうことができ、自分をありのままの姿で受け入れてくれる人というだけのことではなく、それ以上の人なのである。

 善き友とは、生きるとはどういうことかという問いに対する自分の理解を必ずや洗練し純化してくれるような信頼できる人物のことであり、迷ったときには指針をあたえ、道にかなったやり方を見出す手助けをしてくれ、その人がそこにいるという安心感によって自分の苦しみを和らげることができる、そういう人物のことである。 



た.. 『 立ち向かう 人のこころは 鏡なり 』
 
 引用は、『 哲人宗忠 』(延原 大川 著、明徳出版 刊)から。
 延原 大川氏:明治43年、岡山の生まれ。24歳、母の死に遭って、苦悶と反省。人生を根本から変革したのは黒住宗忠を知ってから。著書に『土と太陽の宗教』他。


・ 「立ち向かう人の心は鏡なり 己が姿を移してや見ん」、これと「御訓誠七ヶ条」は、宗忠の宗教の、主として実践道徳方面の規範として、今なおその教徒たちの金科玉条となっているものである。当初は彼が自身をも含めた庭訓として手書きしたものであった。
 「立ち向かう人の心」を、天照大神の御心の象徴たる鏡になぞらえて、一点の曇りもなきおのが姿を、この鏡に移して見ようという。これは、実に容易ならぬ修行と思わねばならない。若しも相手の心に、あき足らぬものがあったならば、それは外ならぬ自己の悪しき姿の反映であるから、おそれつつしまねばならないのであって、決して相手を責めたりすべきものではないと教えている。

・ 彼が天日とも恃んで来た両親が痢病のため、わずか7日の間に相次いでこの世を去るという痛ましい出来事があった。宗忠の悲しみは、はたの見るのも気の毒なほどであった。
 墓前にぬかづいては慟哭して、絶息することさえも再度に及んだ。悲しみ極まって、ついに労咳(肺炎)となり、再起不能の重体に陥った。備前藩医の浦田将前は、匙を投げた。
 宗忠は、世に在りし間の恩を謝し、従容として自若として死を待った。その時、彼の心中で変化が起こった。陰極まって陽が生じたのである。初めて神の声をきいた。
 「心をひるがえして、万事を面白く楽しく思い、この一心を養うて、心さえ陽気になるならば、病は自然に治るべき道理である。」
 そこで、たちまち心機一転した。見るにつけ聞くにつけ、天地の恩のありがたいことを思い、一向専念、心を以て心を養うことを努めるようになった。彼は、死線を突破して、ついに開眼したのである。

・ 人間及び万物の中に神性を徹見した彼の深い信仰は、あらゆる物に対する敬愛と感謝のつきせぬ源泉であった。宗忠は、精神の奥所を開顕して、天人一致の神理を教え、現世を讃え、人間を礼讃し、有無と生死に悩む人々に、神の恵みの無限を説き、天理の生々不滅を教えて、その精神を鼓舞した。宗忠にありては、現世はあらゆる矛盾を含みつつも、なおかつ結構な神世であり、人は、あらゆる矛盾を蔵しつつも、なおかつ神世の神なのであって、現世は、遠離すべき穢土ではなくて、生々発展してやむ所のない、神の意志のみちわたる高天原世界に外ならぬのであった。

・ 「人欲を去り、正直に明かなれば、日神と同じなり。心は主人なり、形は家来なり。悟れば心が身を使い、迷えば身が心を遣う。形のことを忘れ、日神の日々の御心に任せ、見るも聞くも一々味わい、昼夜、有り難いと嬉しいに心を寄せ、御陽気をいただきて下腹に納め、天地と共に気を養い、面白く楽しく、心にたるみ無きように、一心が生きると人も生きるなり。生きるが大神の道、面白きが大神の御心なり。」と、神人合一への道を説いた。

 「これほどに面白き世に住みながら 苦しむ人ぞ哀れなりける」

 「あら嬉しかかるうれしき浮世ぞと 知らで今まですぎし惜しさよ」



ち. 『 近づけば 富士の山にも ゴミの山 』
 
 引用は、『 知的リーダーシップ 』(鎌田 勝 著 三笠書房・知的生き方文庫)から。
 鎌田 勝氏:大正13年、満州大連に生まれる。NHK、産業教育センターを経て、経営教育研究所主宰。主著に『不思議な会社』、『小集団で企業は生きる』など、他多数。


・ 人間がいかに自分の真価を知ってほしいと願っているかについては、色々な金言があるが、中でも決定版と言えるのは、「士は己を知る者のために死す」という古諺である。
 人は自分の存在価値を高く評価してくれる人のためなら、生命を投げだしても惜しくはないというほど精神的に高揚するというのだから、たいへんなことである。これは日本人だけでなく、すべての国の人に共通している人類の共通項である。

・ 「これをやれるのは君だけだ」というのは最高の殺し文句と言われるが、人はそんなにまでという気持ちで感動し、突進するのである。この人のためにやる気を出そうという気持ちになってもらえば最高であろう。

 それには、相手の存在価値を深く知ることである。 存在価値とは、長所・美点・可能性・善行といったものである。どんな人にも取り柄はある。これはこちらの好意の眼に曇りがなければ、必ず見えてくるものである。
 自分の良さを見つけてくれる人を「知己」と言うのはここから生まれている。

・ 欠点は長所の裏返しであると言ったのは江戸時代の碩学荻生徂徠である。「人材に瑕瑾(かきん)あり、瑕瑾なきは人材にあらず」と言い、「人その長所のみ取らば、すなわち可なり。短所を知るを要せず」と言った。瑕瑾とはキズのこと。欠点のことである。

 どこか人にぬきん出た長所があれば、その凸(とっ)出した分に相当する凹部がどこかにあるもので、その凹凸がないのを凡人というのである。天才偉人英雄豪傑と言われるような人はその凸出部が巨大であるだけに、その分量だけ凹んだ部分も極めて大きい。つまり見方によっては欠点だらけ、一種の気違いではないかと思われるものである。「側近に英雄なし」とはこのことを言っている。そばにいて、その欠点の被害者となっている者には、どうしてこんな人が世間からほめたたえられるのだろうと思うことがしばしばなのであろう。

・ 実際に有名人という人たちに接してみると非常識だったり、鼻もちならぬ面を持っていることがきわめて多い。それだけが眼につくといやになってしまうが、遠くから眺めると富士山のように美しく、神々しく見えるのである。富士山の近くによると汚くて、樹木も生えぬ荒れ山である。どちらを見るか、どう評価するかは各人の好みであるが、どうせ見るなら、良い所だけ見た方が、人生しあわせではないだろうか。

・ 相手の欠点やミスばかり記入するエンマ帳は捨て去って、長所・美点・善行・可能性だけを記入する「エビス帳」を持てと言っている会社があった。その会社を訪ねて、有名な「エビス帳」を見せていただきたいと言うと、見せてくれたのはなんとその会社が毎年配布する会社の変哲のない手帳であった。そしてニッコリ笑って言うことには「持つ人の心がけで、エンマ帳にもなれば、エビス帳にもなります」という答えであった。

・ 友人などを通じて間接的にほめるという手もある。良い噂も、悪い噂も、伝えられる間に次第に増幅されるという性質がある。悪い噂が伝わってくるのは誰しもいやなことであるが、良い噂が聞こえてくるのは直接ほめられるよりずっと感動するものである。 



つ. 『 強くなれ 弱きは常に くじかれる 』
 
 引用は、『 松陰と晋作の志 』(一坂太郎著 ベスト親書)から。
 一坂太郎氏:1966年、兵庫県芦屋市生まれ。東行記念館学芸委員後、萩市特別学芸員。主著に『幕末歴史散歩東京篇』、『高杉晋作を歩く』、『坂本龍馬を歩く』、他。


・ 長州藩は、山口県。本州の最西端に位置する長州藩を統治していたのは、毛利という大名で、城は日本海に面した萩に築かれていました。萩は三方が山に囲まれ、一方が日本海に面しています。阿武川が橋本川と松本川に別れてできた三角州です。毛利がなぜ不便な萩の地に城を築いたのか。それは萩にしか築城が許されなかった、事情があるのです。

 毛利氏は、以前は中国山脈の奥深くに位置する吉田荘(広島県安芸)の地頭職で、小さな山城、郡山城の城主でした。ところが戦国時代になり、風雲に乗じた毛利元就が次第に勢力を拡大します。21歳の初陣から75歳で没するまで、220回以上の合戦を戦い抜いた元就は、大内・尼子を倒し、ついには中国地方のほとんどを支配下に置いてしまいます。

 元就没後、家督を継いだ孫の輝元は、豊臣秀吉と対立しますが、やがて和議を結びました。輝元は秀吉政権下で五大老のひとりに列せられ、中国地方8カ国、120万国の大名として君臨を続けます。城も山陽道の要衝である安芸広島に構えました。

 しかし秀吉没後の関ヶ原合戦で、輝元は西軍の大将としてかつぎ出され、徳川家康率いる東軍と対立することになります。結果は東軍が勝利し、家康の政権が確固たるものになり、江戸・徳川幕府の歴史の幕が開いたのは周知のとおりです。

 実は、この合戦前には、裏取引が行われていました。毛利方の吉川広家は、徳川方と水面下で交渉し、輝元軍の参戦を阻止するかわり、毛利氏の領土保全の約束を取り付けていたのです。ところが家康は、約束を反故にし、敗れた毛利氏の取り潰しにかかります。

 輝元は全領土を没収され、広島を追われました。しかし、吉川広家らが奔走したすえ、毛利氏は領土を大幅に削られながらも、なんとか存続を認められます。家康はあらためて輝元の子である秀就に、周防と長門の2カ国、36万9千石を与えたのです。

 こうして防長の地に封じ込められた毛利氏は、交通の発達した、情報も入りやすい、瀬戸内海、山陽道の防府に城を築こうとします。防府はその昔、周防の国の国府が置かれた地であり、日本三大天満宮のひとつ防府天満宮がありました。

 ところが家康は、あまり便利な場所に危険な外様大名である毛利氏を置くことを認めず、結局選ばれたのは日本海に面した萩だったのです。

 輝元は三角州の指月山の麓に城を築き、急ごしらえの埋め立てを行って城下町を開きました。こうして萩を本拠とする、長州藩36万9千石の歴史がスタートしたのです。

 以後、毛利氏は表面では江戸幕府に従順を装いながら、腹の中では怨念の炎を燃やし続けたといいます。
 長州藩士の家では西に枕を向けて寝るという習慣があったそうです。もちろん足は、幕府のある江戸に向くわけです。

 こうして長州藩は、ひそかに徳川に対する恨みを伝え続けたのです。

 幕末の倒幕のあのエネルギーは、二百数十年前の関ヶ原での敗戦、家康のだまし討ちにあったとの見方がありますが、あながち否定できないところです。



て. 『 定刻の 5分前には 着いておれ 』
 
 引用は、『 海軍人造り教育 』(実松 譲 著、光人社 刊)から。
 実(さね)松 譲 氏:明治35年、武雄市生まれ。海兵51期、海大卒。 開戦時、在米海軍武官補佐官。大本営海軍参謀兼海大教官。主著に『新版米内光政』『大海軍惜別記』他。


・ 日本海軍で、われわれが耳にタコのできるほど聞かされた言葉に「5分前」がある。
 起床時から就寝時までに、「5分前」を何度、耳にしたことだろうか。「5分前」で明け暮れたといっても過言ではないだろう。「5分前!」の号令がかかれば、いまの仕事の片づけにとりかかり、それから5分後の作業に対する準備をはじめる。その準備は、物心両面にわたっていることもあろう。この号令の狙いとするところは、定刻になれば、予定された行事が少しの遅滞なく、いともスムーズにながれだし、その効率を最大ならしめようとするにほかならない。それにしても、どうして帝国海軍は、こうも「定刻5分前」が好きだったのか。

 立派な海軍を築くためには、その基本となる人をつくらねばならぬ。それには、まず第一に躾(しつけ)をよくしなければならない。「5分前」は、万事を整然と実行することが、マネジメントの不可欠な前提条件である、と先人が貴重な体験からのこした平易にして実践的かつ普遍的なモットーであったといえる。

・ 夜間「自習やめ5分前」に、ラッパが鳴りひびくや、生徒は素早く書物を机の中におさめて、粛然と姿勢をただす。当番の生徒が、自習室にかかげられている東郷元帥の筆になる「勅諭五ヵ条」を奉読、ついで、「五省」の5項目を問いかける。

一、至誠に悖(もと)るなかりしか (真心に反する点は、なかったか?)
一、言行に恥ずるなかりしか   (言行不一致な点は、なかったか?)
一、気力に欠くるなかりしか   (精神力は十分であったか?)
一、努力に憾(うら)みなかりしか (十分に努力したか?) 
一、不精に亘(わた)るなかりしか (最後まで十分に取り組んだか?)「シゲキドフ」の順。

・ 海軍精神の百題短話の24「至誠」(福地嘉太郎海軍大佐の心得書):
 牛馬でさえなかなか思い通りに御しがたきに、ましてや万物の霊長たる人間、しかも、百人が百人、顔の違うごとく、性質も意見も異なる人間を御することのむずかしきことは当たり前にして、とうてい吾人のおよぶところにあらずとて、最初から覚悟してかかる人あり。

 天下のこと一つとして「至誠」の必要なきものあらざるも、特に部下統御には、もっともこの至誠が必要なり。至誠をもって部下にのぞめば、いかなる邪悪狂暴者も正当温堅となり、いかなる人物も心服し来り、和気藹々(あいあい)、父子兄弟のごとくなりて、上意おのずから下に徹底し、下意また鏡のごとく上官に写り来るものなり。

 「誠」に徹底すること、「至誠」は、もとより、人生一生の修養にして、その容易ならざるはもちろんなるも、つねに部下統御には、至誠のほか何もなきを銘記し、寸毫も邪念、私欲を起こさず、私情や感情に左右さるることなく、つねに己れを低うして人を高め、実行躬行、一大勇猛心をもって修養せざるべからず。

 青年士官は、この熱意、この努力のみにても、立派に部下を統御し得るものと信ず。
 部下統御…「誠」…修養は、離るべからざるものと知れ。



と. 『 どれほどの 土掘るならば 出るダイヤ 』

 引用は、『 自分を鍛える 』(ジョン・トッド 著、三笠書房 刊)から。
 John Todd 氏:アメリカ生まれ。牧師、著述家。自己実現を目指す人々に、知的活力。力強い示唆を与え続けている。本書・人生案内は、必読書としてベストセラーとなった。


・ まわりは誘惑や危険でいっぱいである。いかにしたらよいか。ややもすると勇気はくじけてしまう。心は、希望と不安、決断と落胆の間を揺れ動いている。過去を振り返ってため息まじりに言うことだろう。なんと多くの時間を無駄にしてしまったことかと。

・ すでに過去の人となった偉人たちは、われわれへの遺産として知識という宝物を残してくれた。しかし、その中でも最も貴重な知識は、金塊同様、自らの手で掘り出さなければ手に入れることはできないのだ。

・ あなたはおそらく天才ではあるまい。したがってひたすら努力せずしては決して人よりぬきんでることはできないのだ。

・ これから後の人生であなたが手に入れるものは、すべて努力…賢明なたゆまぬ努力…の成果であるはずだ。あなたには、励ましてくれる友人や助けとなる書物、そして師がいる。ほかにもさまざまな援助がある。しかし、自分の知力を鍛え養っていくのは、結局あなた自身でなければならない。誰もあなたに代わってこれをやってはくれない。そして、いやしくもこの世で価値のあるものには何であれ、すべて努力という代価が支払われているのだ。
 真にすぐれたものには必ず辛抱強い研究がつきものなのである。

 とにかく、われわれがものを手に入れるには必ず努力をせねばならないのであり、いやしくも自分が所有したり他人に提供したりする価値のあるものには、すべて努力という代価が必要なのだ。この事実には、一切の例外はない。人間の偉大な業績というのは、ささやかな、しかし継続した努力の賜物なのである。

・ われわれにとって怠惰ほど有害で致命的な習慣はない。にもかかわらず、これほど身につきやすく、断ちがたい習慣もない。怠け者はだんだん尻が重くなる。「走るより歩くほうがいい、歩くよりじっと立っているほうがいい、立っているより座るほうがいい、座るより寝ているほうがいい」とは、インド人の格言である。勤勉さとはほど遠い人たちに限って、あたふたとせわしなく動きまわっていることが往々にしてある。然るべき義務や本来の仕事をおろそかにしている人間は、やらなければならない仕事はそっちのけで自分の得になることだけに一所懸命になっているものである。

・ 勤勉な人のほうがかえって時間に余裕を持っているというのは、まぎれもない事実である。時間をきっちりと割りふって、それぞれの時間にやることを決めておくので、仕事が片づけば暇な時間ができるからである。

・ セネカは友人に宛てた手紙の中で「何も書かなかったり、すぐれた本を読み概要をまとめなかった日は、一日たりともない」と言いきっている。人よりぬきんでようとするならまず努力を惜しんではならない。計画を立てて勤勉に努力をしないと、あっという間に多くの時間が流れ去り、気がついて愕然とすることになる。

・ 堕落しつつあることを後悔しながらも、人は欲望の奴隷となる。



な. 『 成すことの 優先順位 決めてせよ 』
 
 引用は、『1日24時間をどう使うか』(R.ジョセフ著 藤井良訳 ダイヤモンド)から。
 Ray Josephs 氏:ジャーナリストを経て、著述家、PRコンサルタント。『1日24時間を〜』(How to Gain an Extra Hour Every Day" (1955))は、250万部のベストセラー。


・ 心理学者のダビッド・シーバリーは、自分のなすべき最初のものを選び出す能力を「第一位順位判断力」と名づけ、こう説明している。

「有能な働き手は、まず最初に自分の頭を整理し、どんな仕事についても、いちばんはじめにやるべきことから真っ先に手をつけるように努力する。たいていの人は何が重要で何が重要でないかは知っているのだが、彼らはそれをどうするかを考えてみようとしないのである。仕事をはじめるに当たって、最初にそれらのことを残らず書き出してみるならば、どうでもいい事と必要な事とを区別することができよう。そうすれば、それを格づけし、最もたいせつなものからそれほどたいせつでないものを順序に並べることができる。次に、まず第一に、いちばん大事なことを真っ先にやる習慣をつけるようにし、人生をつまらぬことによって妨げられないようにすべきである。真実の成果を得られないようなくだらぬ些事と苦闘して、貴重な時間と労力をムダに費やしてはならない」

・ われわれはすべて、なにか実質的な報酬というはげみが与えられれば、短時間のうちに多くのことをやりとげるということを知っている。報酬はべつにお金である必要はない。それにはいくらでも方法がある。たとえば、皿を洗うにはたいてい30分はかかるだろう。しかしあなたが突然映画や音楽会にさそわれたとしたら、その仕事を半分くらいの時間で仕上げてしまうかもしれない。

 ただ仕事が早くできればいいというだけでなく、そのうえになにかおまけがつく…そんなように、自分でなにか報酬をきめて、仕事を早くやりとげなさい。そして仕事が終わったら、その報酬を喜んで受け取りなさい。

・ アイゼンハワー大統領は一時に一事をやる原則を最も強く確信している一人である。その新聞係秘書J.C.ハガティーはこう述べている。

「大統領は、そうしなければならないとなると、どこでそれが起きようとも、すばやく活動を始め、敏速に命令し、直ちに判断を下す。またいつでも、彼の卓上はその日のうちにきちんと仕事が片づけられている。彼は手紙の返事をてきぱき処置するし、今すぐ処理することは一つとして後に回すようなことを許さない。つまり、他の多くの多忙な人と同様に、大統領には、1分1秒もムダな時間がないのだ」

・ あなたが何を書きとめるにせよ、それを整理する方法が本当の秘訣なのである。

・ 静かな瞑想とか、お祈り、そういうものにちょっとした時間を割くことは、気分転換に非常に効果がある。
 毎日数分間ずつあなたの精神を浄める習慣をつけておくことは、あなたがいろいろな困難に遭遇した場合、平静な態度を保つのに役立つものである。学者は早くからこのことに気づいている。分析とか対策を考えるだけでは不十分である。われわれが本当の強さや気迫をもって事に当たるためには、個人よりもはるかに偉大な何物かの意志とか信仰といったものが必要である。



に. 『 二度と来ぬ もう二度と来ぬ この人生 』
 
 引用は、『 大恋愛 』(風間 研 著 講談社現代新書)から。
 風間 研:1946年、東京生まれ。フランス・ブザンソン大学留学。現在、法政大学経済学部教授。主著に『演劇の荒野から』、『パリの芝居小屋から』、『幕間のパリ』他。


・ 朝日新聞を読んでいたら、45歳のおばさんが、生まれてこの方、一度も恋愛をしたことがない。このまま死ぬのは情けない、一度でいいから恋愛したいと切実に訴えている記事にぶつかった。結婚して20年以上たったいま、見合い相手の旦那を、とうとう好きになれなかったと書いてあったが、現実には、こういう主婦は、彼女だけではないだろう。というのも、「恋愛」と「結婚」は、本来、別のものだからである。

・ 一般には、「恋愛」して「結婚」するという風に、いわば、一つのコースとして、二つの言葉を結びつけてイメージしている。「見合い結婚」はダサく、「恋愛結婚」はカッコウいいという風評は、巷に溢れ、「恋愛」という言葉に悪いイメージはない。
 だが、実は、そもそも、「恋愛」とは「結婚」の準備期間ではないのである。

・ そもそも、「恋愛」とは、傷つき、傷つける、いわば傷つけ合いの連続みたいなものなのだ。自分を他人の前にさらけ出すのだ。それも、何年も何年も自分の人生を培ってきたいい大人が、相手の前で生の姿を見せるのだ。自我だってある。プライドだってあるだろう。どうして傷つかずに済むだろう。どうして衝突しないはずがあるだろう。これは、無条件の親の愛とは違うのだ。繭の中で保護されている愛情とは、根本的に違うのである。そういう「他人」を、内面から外面に到るまで、長所も短所も含めて、その全てが好きになってしまうのが恋愛なのである。

・ トリュフォー監督の『隣の女』、ルイ・マル監督の『死刑台のエレベータ』、こういった映画を見ていると、恋愛とは、突きつめれば不倫しかあり得ないのではないか、と思えてきたりする。
 確かに、人生の辛苦を、ある程度なめ尽くした年代になってからの、男女の出会いには、少なからず、『本物』の香りがする。男というものを、女というものを、よく知ったうえでの恋愛なのだ。若い時と違って、自分たちを取り巻く条件が厳しくなっており、払う犠牲のことだけを考えても、そう簡単にできることではない。精神的にも、物質的にも、失うものが多くなっているからである。だから、こういった円熟した恋愛は、なかなか成就しにくい。所詮、人生は計算高いものである。誰だって計算ずくで生きている。計算せずに生きている人間がいたら、それは、むしろ人生の落伍者だと言えるだろう。

・ 恋愛そのものは、はかないものなのである。愛し合う二人の信頼だけが、それを支えるのである。もっと言えば、恋愛とは、自己との戦いなのだ。相手を信頼するということは、裏返せば、自分を信頼するということに他ならない。確かに、恋愛とは、その人の生きる姿勢が直接、問われる行為だろう。現実には、辛いことも多いのだ。面倒なことばかりが起こって来る。そういう面倒を引き受けることから恋愛は始まると言っても過言ではないかもしれない。

・ 恋愛を巡る喜びや悲しみ、そして辛さを知らずして一生を終えるとしたら、それは不幸なことだろう。恋愛によって人間は高められると、過去の人たちも繰り返し語っている。



の. 『 野の花に 学べ 雨あり 嵐あり 』
 
 引用は、『 私の履歴書 昭和の経営者群像1 』(田口利八述、日本経済新聞社刊)から。
 田口利八 氏:明治40年、長野生まれ。高小卒。トラック1台で運送業、田口自動車に始まり、西濃運輸へ。東京−神戸間の長距離路線の免許を得、物流革命のパイオニアに。


・ トラック事業を始める時、自分が完成するまでは決して髪を伸ばすまいと決意し、それ以来、一度も長髪にしたことはない。私はどちらかというと意固地な性格である。坊主頭のほかにも、いくつか頑固に守り通しているものがある。事業を始めた当初の苦しみを心の糧とし、初心を忘れたくないからだ。
 ひとつは、はんこ入れである。開業当初に買ったはんこ入れの袋を今も使っているが、もうボロボロになった。破けたところを糸で縫い合わせているしろものである。
 社長室の机も木づくりの粗末なもので、昭和16年に個人経営から株式会社組織に切り替えて以来使い続けている'由緒'あるものだ。

・ 男二人女4人きょうだいの長子として私の子供時代はわんぱくそのものであった。先生にも手を焼かせた。喧嘩もずいぶんやった。ただ年下の子をいじめた覚えはない。相手はいつも年上のわんぱくたちだった。

・ 母はしつけに厳しい人だった。この母なくて、今日の私はあり得なかったと思っているし、せめてトラック事業を始めてからの私を一目見てほしかったと、母の若死に(42歳)が悔やまれるのである。指に'やいと'(お灸)をすえられるのもしょっちゅうだった。

・ 母が茶の代わりに白湯(さゆ)ばかり飲んでいるのに気づいた。願をかける場合、"茶断ち"という風習がある。私も物事のわかる年代になっていたから、これには胸を打たれた。私に強要するでもなく無言のうちに自分を律していたからである。

 私は、婦人会の集まりなどで話を頼まれると必ずこの例を出して、基礎的なしつけの大切さを強調することにしている。17歳の年には、子供から大人への脱皮ということで、先輩連中が「たばこを吸え」と強要するのが半ば慣例化しているのだが、私は頑として拒否した。というのは、母の茶断ちの一件以来、私も何か信念を貫く決意を固め、せめて「たばこを一生吸わない」という形であらわすことを決めていたからである。

・ 「田口自動車」は、女房が電話番、トラック置き場は隣の空き地、私が経営者兼運転手兼修理屋兼用務員で始まった。翌年にはさらにトラックを一台買い加え、従業員も3人、4人と徐々にふやしていった。昭和12年にはトラックが10台。昭和16年には20台で、従業員50人、私は34歳になっていた。この時使い出した机が現在の机である。

・ 息子の利夫と義嘉寿にも弟の福太郎と同様、スパルタ教育をした。きびしく仕込んだという意味では人後に落ちないつもりである。 入社後は現場で"一兵卒"としての苦労をさせ、現在は利夫が専務、義嘉寿が常務中部主管長になっている。

・ 全財産を投げ出して、たとえ無一文になってもおふくろが帰ってくるならその方がよっぽどいい。故郷に帰り、お袋の同級生という人に会って、つくづくそう思った。

・ 「福寿草は農作業で踏みつけられても、負けることなく再び芽をもたげ、その茎は踏まれれば踏まれるほど太く、たくましくなり、やがて美しい花を咲かせる。人間は野に咲く福寿草でなければならない。」これは、私の事業の底を流れる精神そのものである。



は. 『 』  



ひ. 『 左(ひだり)人 右皆(みな) 人の おかげなり 』
 
 引用は、『 現代の賢者たち 』(清水陽洸 他著 致知出版社)から。
 清水陽洸氏 : 大正9年兵庫県生まれ。シベリアより帰還。28年黒馬シャツ設立、45年BF運動発足。日本青年会議所・日本創造教育研究所講師、BF六甲山麓研修所所長等。


・ 私はシベリアの捕虜収容所で一人の男と出会いました。その男との出会いが私の人生を大きく変えたのです。極寒のシベリアで、森林伐採という重労働を与えられ、周囲には厳重な鉄条網が張り巡らされ、監視哨には機関銃が照準をつけ、おびただしい軍用犬が放し飼いにされていました。伐採に従事した120人の戦友はいまや84人に激減。監視兵の言うままにまともに働いていては自殺するのと同じ、敵国のために働くばからしさを感じ、さぼることを覚えていました。暗黒の生き地獄に無気力に生き続けていました。

・ 私たちを驚かせたのは、新入りの集団の真剣な働きぶりでした。極寒の中で流れる汗をぬぐうこともなく一心にツルハシを振るって作業をどんどん進めていくのです。私たちの3、4倍もの仕事をこなしています。その晩、私は彼らの宿舎に乗り込んでいきました。

 「リーダーはだれだ。話があるから表へ出ろ」と言うと、「私です」と、村中という一等兵で、年のころ35、6歳の招集兵。胸を張って、輝くように鋭い目で私を見つめて立ち上がりました。私は頭からかみつきました。「きさまら、敵サンの仕事に協力して、それでも日本人か!これまで、重労働でたくさんの戦友たちが死んでいったんだゾ、生きるためにはさぼるしかないんだ、一所懸命やってきたために、栄養失調で死んでいった戦友たちの無念さを知らんのか。同じ日本兵なら敵のために一所懸命働くなんてことはやめろ」

 私はこれまでの捕虜生活での経験を話し、いかにソ連人がうそつきであるかを知らしめてやろうと、収容所長の食料横流しの一件、そこでの惨めな処遇を語ってやったのです。

・ その村中という人物は、私の話をひと通り聞くと、その輝くような鋭い目で私を見つめて、しっかりした口調で言葉を発しました。私が目を見張ったのは、彼の目の輝き、彼の生き生きとした迫力でした。
 「清水さん、日本は確かに戦争に負けました。しかし、それは形だけの問題です。われわれはソ連と戦闘して負けたが、何万人と殺してもきました。だから最悪の条件で作業を強いられるのは当然のことです。現在の苦しい作業や悪条件は、天が与えてくれた試練です。私たちは、あなた方のように腐った目はしていない。私たちが負けていないのは、捕虜ではない、日本人なのだという自覚に燃えているからです。闘いに敗れたからといって日本人の希望まで奪い去られたと思うのは間違いです。

 大事なことは目的意識の自覚です。私たちは亡くなった戦友たちの霊と遺志を背負って、祖国に帰り、日本を立派に再建させる義務があるのです。・・」

 村中一等兵の言葉は一言一言が私の胸に突き刺さりました。本当に負け犬になってしまうと、痛切に感じることができました。私はすっかり感動し、一番身近な私たち6名だけ、彼の提案に挑んでみることにしました。

・ すると、監視兵の態度がガラリと変わってきました。あれだけ意地悪だった監視兵が捕虜に敬語を使うようになったのです。数週間が過ぎた時には、私たちの周りから監視兵の姿が消えていました。やがて、行動も自由になり、食事の量も大幅に増えたのです。

・ 夢にまで見た祖国に帰って来れたのは、昭和22年11月も末のことでした。



へ. 平天下 まず身修めの 覚悟から 』
 
 引用は、『 ヨーガとこころの科学 』(スワミ・シバナンダ 著、東宣出版刊)から。
 スワニ・シバナンダ氏:1887年、南インド、バラモンの家に生まれる。1911年医師に、精神的救済を考え修行、僧に。1930年、シバナンダ・アシュラムを開設。


・ 自分の使命は人びとを救うこと、それも肉体的な病気だけでなく、もっと精神的な救済をしたいと考えるようになった。しかし、人びとを救うまえに、まず自分が本当に神を悟らねばならないと知り、インドでの修行の道を選んだ。

 76年の生涯で、300冊以上の本が、書かれたり口述筆記されて印刷されている。アシュラム内で1953年、「世界宗教者会議」を主催し、「真実は一つ、すべての宗教の教えも一つ。狭い心が不必要な争いを起こし、不幸をもたらしている」と全世界に向かって演説した。

 シバナンダの口癖は「レギュラリティ(規則正しさ)」であった。どんなに忙しくても、一日の内、30分の執筆時間は生涯を通して守った人である。毎日、少しずつの積み重ねを実行し、弟子にも自らの生き方そのもので教えを伝えた。(プロフィール)

・ 愛する人びとへ…
 何も恐れることはない。心とは乱気流のように定まらないものだ。しかし、たゆまず瞑想し、宇宙の偉大なパワーを思えば、完全に心の波を鎮めることができる。心の主はあなた自身だ。〜〜 肉体という有限の束縛から自由に解放され、完全な解脱の中にあなたが安息できる日が来ることを祈る。 …オーム スワミ・シバナンダ

・ 「幸せになりたい」という望みは、古来より人類すべての目的であった。人びとは、人生において最高の幸せを手に入れるために日々行動している。だが、人びとは、物質界の目に見える名前や形ある物が、我々に幸せをもたらすという大きな思い違いをしているために、自分の外ばかり幸せを探し求めている。

 本当の幸せは外からは来ない。おのおのの心の内にすでに存在しているのだ。自分の中の神の分身に気づくこと、それこそ真の幸せへの道だ。

 自分の心の主であるためには、まず、心とは何か、心はどう働くか、心はどう欺くか、心をどう鎮めるかの方法を知ることが第一の課題である。

 ヨーガを通して大宇宙の真理を知るためには、何よりもまず心を鎮めなければならない。

・ 大宇宙の魂と人間のあなたを隔てているもの。実は、それは「あなたの心」マインドである。
 その壁を取り去るには、常に「その存在」、名前も形もない大宇宙の純粋意識のことを考え、信じて自分をゆだねることだ。そこで初めて、あなたは大宇宙の力と一体になることができる。

・ プラーナーヤマ、すなわち、プラーナ(生命エネルギー)の制御、呼吸のコントロールは、精神力を高め、思考を深め、精神を豊かにする。さらに、精神集中と瞑想を助ける。不必要な性的興奮を健全な形で抑制できる。もし雑念が湧いてきたら、すぐに蓮華座で座り瞑想する。すると雑念はたちどころに消える。

・ 心を支配するためには、クンバカ(息を保つ)の訓練は不可欠である。毎日、クンバカを練習すること。プーラカ(吸う)、クンバカ(保つ)、レーチャカ(吐く)を規則正しく実行しなければならない。プラーナーヤマによって心は集中する。

・ 「心に勝つことは最高の勝利だ」
  「心に勝てば、世界に勝つ」 … インドの諺



ほ. 『 本物に なる日を目指せ 夢を持て 』
 
 引用は、『 本物の条件 』(山崎 武也 著、大和出版刊)から。
 山崎武也氏:昭和10年広島生まれ。東大法学部卒。ビジネスコンサルタント。(株)インタナショナル・アイ社長。主著に、『一流の条件』『ヘッドハンティング時代』他。


・ 本物の人物かどうかを判断するときに、どの方法がよいかは、人によってそれぞれ得意や不得意があるので、一概にはいえない。ただ、子供のいる人であれば誰でも使えて、かなり実効性のある方法がある。すなわち、自分の子供を預けることができる人かどうかで判断するのである。

 自分が信頼できると思っただけでは十分でない。肩書きや口先に惑わされている可能性があるからだ。自分の子供を任せるとなると、その重要度は決定的である。失敗は許されない。自分の最愛の子供の一生がかかっているので、自分の子供に対して、どの程度まで尽くしてくれるだろうかという推測と期待が中心になった判断になる。したがって、その判断の精度は、かなり高いものである。

・ 歴史上の人物の中から優れた智者を選んで、その伝記を、人間の真実を探求して苦悩した人の歴史として読むと大いに参考になる。智者とは、物事の本質を見る眼力を備えている人で、世の中で何が重要かについて的確な判断を下せる人である。宇宙の中における自分の位置をはっきりと見極め、全体の調和を保ちながら個々の要素の間のバランスをとっていくタイミングが絶妙である。そのような知恵を備えた人が本物である。

・ 「考える」ということに、もっと重点を置いた生活に対する姿勢をとる必要がある。深く考えていく習慣を培っておかないと、いつまでもそのままの現状維持になってしまう。

 自分ひとりで静かに深く考えてみる。 落ち着いて沈思黙考すれば、かなり深遠なところまで考えを至らせることができる。もっと普遍性のある真理の探究に邁進すべきだ。

・ 自然に反している場合には、無理をしている。その蓄積が様々な現代人の苦悩の原因である。最も根本的な睡眠にしても、ほとんどが慢性的な睡眠不足の状態に陥っている。

 睡眠を十分にとるのは、人間の自然な生活にとって最も重要な点の一つだ。しかし、様々な文明の利器が現れたために、十分な睡眠がとれない結果になっていることも多い。

 たとえばテレビだ。ある程度は自分の役に立っているのだが、それで睡眠不足になったのでは、本末転倒だ。テレビによって、人間の自然な生活が脅かされていることになる。

・ 自分のしてきた経験と同じ経験をした人は、ほかにはいない。
 この広い世の中で一人だけである。それだけに、それを世のために役立てるのは、社会の一員としての義務だ。自分しか知らない貴重な経験を埋もれさてはいけない。

・ 本物の場合は、一見したところ光り輝いてはいないが、接する毎に輝きを増してくる。モノでもヒトでも本物は、使いこむにしたがって味が出てくる。

・ 自分自身、日々研鑽を積んで、本物に近づいていこうとする努力を怠ってはならない。本物を目指していないと、すぐ偽物に誤魔化されてしまう。

 自分は本物であると思う状態になったときは、危険信号だ。過信をするのは、自分が偽物である証拠にほかならない。本物は常に謙虚で、さらに上を目指して努力するはずだからである。



ま. 『 迷うのは 信じ得るもの つかむまで 』
 
 引用は、『 出会いについて 』(小林 司 著、NHKブックス 刊)から。
 小林 司 氏:1929年、弘前市生まれ。東大大学院博士課程修了、医博。メンタル・ヘルス国際情報センター所長、作家。主著『精神医学図書総覧』『生きがいとは何か』他。


・ ある出会いによって人が本当に変わるのだとすれば、その人のなかには、それを実現させるに足りる長い間の蓄積があったに違いない。ここで大切なのは、偶然のキッカケよりもむしろ陰に蓄積されていた目に見えないエネルギーのほうである。

・ 愛がはじまるためには、まず、お互いの招きが必要である。二人の間が、友情もしくは愛によって結合されるためには、双方がはっきりと「わたしといっしょになってください」という招きを相手に向かって放たなければならない。お互いの存在に参与したいという意思が二人の間にかわされると、たちまち、精神がその力を汲み取る生命的な縁が新たに結ばれる。自己を「あなた」に与え、「あなた」を迎え入れようとする。もし、「あなた」のほうでも、「あなた」を「わたし」に開き、それを「わたし」に悟らせたとすれば、愛の神秘的な共存在が実現するのである。

・ 「わたし」が「あなた」を招くのは、「わたし」のなかに一種の空虚があって、「あなた」を呼び招いているからであって、「あなた」を「わたし」に与えることによってのみ、これに応えるのである。

・ 出会いに際しては、「わたし」も「あなた」も、どちらか片方だけが相手に向かって働きかけ、もう一方はこれをただ受け取るというのではなくて、能動も受動もいっしょになって同時に起こるというところに、出会いの特徴がある。

 この出会いの場というのは、自分が勝手につくりあげるものではなくて、むしろ与えられるものであり、自分が相手を選びとっただけではなく、相手から選びとられるのである。「関係は相互的である。私が『あなた』に働きかけるように、私の『あなた』はわたしに働きかける」とブーバーは書いており、これこそが出会いの特質である。

・ 二人の人間が出会い、自分が相手によって受け容れられているという安心感と、重んじられているというお互の信頼感とがあり、心からしみじみ語りあって、その人本来の自分自身、人間の本質を互にあらわにして、お互の魂に触れ合うとき、二人の人格はお互に対する意識をもちつつ、それぞれの人格全体で影響し合う。

 このとき、互に相手の人だけを意識して、二人の間に深いコミュニケーションがおこり、一体になったという感じがする。

 この決定的な内面的経験によって、それまでの無智や幻想から突然に目覚め、精神世界が突然に広がって、全く新しい考えがその人にあらわれ、世界観や人格構造が変って、人生に新しい意味を見出す、とアンリ・エレンバーガーは表現している。

・ この世の全てはすでに神を宿しており、個々の「あなた」と「わたし」の関係こそ、神との関係をかいま見る場なのである。

 つまり、孤独に悩む人間を救ってくれる神はすでに私たちの傍らにいるのであり、隣人との間で「わたし」と「あなた」の関係を結べばそれが神に出会えるみちなのだ、とブーバーは説いている。



み. 『 自らに 勝て最強の 敵と知れ 』
 
 引用は、『 愛と心理療法 』(M.スコット・ペック 著、創元社刊)から。
 M.スコット・ペック氏:ハーバード大卒。医学博士号取得。心理臨床家として政府機関の行政職を歴任。N病院精神神経科クリニック所長、N市で精神科医として開業。


・ 永年、私は「原罪」を無意味で不愉快な考えだと思ってきた。しかし、治療者として患者の成長を助けようと努めるうちに、最大の敵がつねに怠惰であることに気づいた。そして自分の内にも、同じように責任や成熟を厭う性向を見出した。

 その時、蛇とリンゴの話が意味あるものになったのである。アダムとイブは、蛇の話だけを聞いて神の側からの話を聞かなかった。善と悪との討論を怠ったのは、人間が怠惰だからである。「内なる神」の声を聞けば、より多難な道を歩まされることに気づいて、われわれはアダムとイブのように、この苦しい(内なる神の声を聞くという)仕事から逃避しようとするのである。

・ 「原罪」は、現に存在する。程度の差はあれ、人間は皆、怠惰である。

 怠惰の主な形は恐れである。その多くは、現状を変えて今あるものを失うことへの恐れである。心理治療者なら、患者が何らかの変化を求めてやってきたのに、実際には変化を恐れていることを承知している。治療の終結を待たずに落後していく人が多いのは、この恐れ、ないしは怠惰のためである。彼らは、はまりこんだ罠から抜け出す苦労を思って、みじめな現状に甘んじている方がまだましだ、と考えるのである。

 精神的成長の初めの段階では、人は自分の怠惰に気がつかない。あらゆる合理化を用いて、怠惰から目をそらそうとする。まず己の怠惰に気づくのが、病の克服の第一歩である。

・ 精神的成長への道は万人に開かれているのに、実際に辿るのはほんの一握りの人たちである。なぜ多くの者は恩寵に抵抗するのか?

 重症の患者でも、強い「成長への意志」を持ち合わせていれば治癒し得る。逆に軽症でも、「成長への意志」が希薄であれば治癒しない。

 「成長への意志」は本質的に愛と同じである。真に愛する人が成長する人である。愛する能力は、親の養育によってのみ培われるのではない。 それは、親の愛によってだけでなく、生涯を通じて恩寵、神の愛によっても育まれる、と私は信じるようになった。
 環境を乗り越えて精神的に成長する人が、少数ながら存在する。しかし多くの人は、自ら恩寵の招きを無視し、その助けを拒む。なぜ彼らは恩寵に抵抗するのか?

 それは彼らの怠惰、エントロピーの力のなせる業である。

・ われわれは恩寵を選ぶと同時に、恩寵によって選ばれる。 意志の力で恩寵に至ることはできない。せいぜいできるのは、いつそれが訪れてもよいように自分を開いておくことである。
 偉大な先人の言葉や恩寵の助けがあるにせよ、精神的成長の道はひとりで辿らねばならない。
 それには勇気と主導性、思考と行動の自立が要求される。

・ 悪は実在すると私は考えるようになった。
 おのれの悪に全く気づかず、盲目的に行動する人や組織が存在する。
 悪が最も嫌うのは、その本性を明らかにする光である。
 怠惰は悪の極端な形である。
 人格は悪に気づくことによって磨かれる。
 この世の悪(自分のものが含まれる)と闘うことが、成長のための一つの方法である。



む. 『 無理しても からだ第一 気をつけよ 』

 引用は、『 「自分の力」を信じる思想 』(勢古 浩爾 著、PHP新書 刊)から。
 勢古 浩爾氏 : 1947年、大分県生まれ。明大政経卒。「普通の人」の立脚点から「自分」が生きていくことについて独自の思想を展開。『自分をつくるための読書術』、他。


・ なにをやっても自分はだめだ、ということはありえない。それはまだ「なにもやっていない」のであり、自分はまだまだだめだ、と考える方が正しいのだ。
 「自分の力」をつけるためには、「自分」に負荷をあたえ、みずからが負荷を負うことである。筋肉は鍛えなければ強い筋肉にはならない。

 鳥越俊太郎がこのように明言している。自分は「ちょっとしたことで弱気になってしまう細い神経の持ち主」で「それは今でも基本的に変わらない」。しかし「進んで自らを試練の場に投げ込んで」いくうちに「弱さをコントロールする術」を身につけてきた。つまり「最初は弱い人間であっても、鍛えれば強い人間に変わることができる」のだと。

・ 負荷とはなにか。「自分」を無我夢中にさせるものだ。自分を忘れて没頭する対象である。それは仕事でなくてもいい。とにかくなにかを「する」ことである。十年間一つのことに打ち込んで十年間自分を動かし続け、十年間自分のことを忘れるのだ。そのためには無茶はしなくていいが、無理はすることである。いや「することである」ではなくて、そのとき、無理は必然的に必要となるにちがいない。そのとき、「自分」を忘れよではなく、いやでも「自分」を忘れるようになる。

・ 人間には、自分を証明したいという根源的要求がある。自分という存在の意味を、他人にも自分にも証明したい。そうして、社会から、会社の上司や同僚や部下から、親から、友人から、また異性から承認されたい。それが「自分の力」の願いである。
 「自分の力」を尽くそうとすることはそれだけで意味がある。極論すると、それしか意味がないと言ってもいい。

・ はじめのうちこそ、ほんとうに英語が上手くしゃべれるようになりたいと考えて本を手にとるのだが、なかなかままならず、そのうちにいつのまにか、つぎからつぎへと英語の本を読むのが趣味になって、それで英語をやっているつもりになっている。またつぎの本に手をだしてはその気になるを繰り返す。

 だいたい英語本を読んで実際に英語力が身についた人間、ビジネス書を読んで実際に自己変革を遂げた会社員などいるはずがないのである。

 結局、自分の年季でやるしかないとするなら、やはりこれまでの自己の経験と思考によってやっていくしかないのではないか。つまり営々と培ってきた「自分の力」で、である。それらの本を参考にするのは結構なことだが、本収集マニアになっても仕方がない。自分の身に沁みてわからぬことは、絶対に身につかない。

・ なんの努力もしないで実績をあげる人間がいたらみてみたいものである。どんな時代になろうと、一般的に「努力すれば」やはり「ナントカなる」のであり、努力しないヤツはなんともならないのである。

・ 「努力をしなければどうにもならない 」ということだけがいつの時代でも真実だ。

・ 「自分の力」を出しきれば、人生に「勝ち負け」はない。


め. 『 目を開け 肉眼 心眼 天の眼 』
 
 引用は、『 釈迦の秘密 』(赤間 剛 著、三一書房 刊)から。
 赤間 剛 氏:1945年、下関市生まれ。読売新聞記者、週刊誌記者を経て、フリー。政治・宗教中心にルポ・評論を寄稿。主著に『ヒトラーの世界』『バチカンの秘密』、他。


・ コーサラ国の首都舎衛城の街にアングリマーラというバラモンの青年がいた。彼はバラモンの師について学んでいた。聡明で美男。子供のない師の夫妻から可愛がられていた。

 アングリマーラの師の妻が彼にいいよる。彼はきっぱりと断った。女は夫に嘘をいった。
 「あなたの留守中、アングリマーラったらわたしを犯そうとしたのよ。見てよ、このあざ」

 もちろん、夫は怒る。アングリマーラを破門しようと思ったが、もっと残忍な処罰を考え出して青年に仕返しをする。師は弟子にいった。
 「アングリマーラよ、汝の修行はあと一つ残して完成した。残る一つは、舎衛城の街に出て、百人の男女を殺し、指を一本ずつ切断することだ。その百本の指でもってネックレスをつくれ!そのとき汝は真のバラモンとなろう」

 もちろんアングリマーラはいくら師命とはいえそのようなことはできないと答えた。けれども師は、これこそが真のバラモンとなるための秘事であり、これを拒むことはできぬと厳命する。仕方なく青年は武器をとって、舎衛城の街へ出ていく・・。

 ともかく彼は殺人を始めた。 99人まで殺したとき、舎衛城の街は恐怖と化した。誰一人家を出ない。
 ちょうどそのとき、釈迦が舎衛城郊外の祇園精舎にきていた。釈迦は弟子たちの制止をふりきってアングリマーラを救いに出かけた。釈迦が静かに歩いて来る。

 アングリマーラは(最後の一人だ)と思って血気にはやる。走って行って刀で斬りかかる。だがどうしても釈迦が切れないのである。

 「動くな沙門!」アングリマーラは叫ぶ。

 釈迦は静かにいう。「私は動いていないのだよ。動転しているのはそなたの方ではないか。そなたは正気を失っている!」

そのことばで、アングリマーラは、目が覚めた。彼は釈迦に拝跪する。

 「尊師よ。私を救って下さい」

 「ついてくるがよい、アングリマーラよ」

 釈迦は彼を祇園精舎に連れ帰る。そして彼に戒を授け、比丘とした。

・ 誰一人として彼の鉢に托鉢する者はいない。人々は待ち構えて石を投げる。くる日もくる日も、彼は空鉢のまま、血まみれになって精舎に帰ってきた。

 「アングリマーラよ、じっと耐えるのだよ。いまここで耐えておかないとそなたの業は精算できないのだからね・・」

・ アングリマーラは釈迦の説法をじっと聞いていた。そしていま苦悩している自分自身をまるごと受け入れていた。

 そのとき、解脱の光がアングリマーラの体を照らし抜いたという。

 自分ではどうすることもできない最後の残りものから目覚めが起こったのである。


・ 釈迦が悟りを開いたのは、35歳のとき、12月8日であったと仏典に記されている。

・ 仏教の「悟り」とは実践を離れてはありえない。

・ 「天眼をもって見よ」とは、バラモン教の国民的聖典『バガヴァッド・ギーター』の言葉であるが、地獄、天界、六道輪廻の生涯を見よと、仏典でも、同様に説かれている。



も. 『 目標が その日その日を 支配する 』
 
 引用は、『 「ビジネス禅」のすすめ  自分に克つ 』(赤根祥道著 プレジデント社)から。
 赤根祥道氏:昭和5年、大連に生まれる。大学で哲学と禅学、経営学を学ぶ。酒井得元老師に師事。評論家。主著に『道元禅の心』、『リーダーの器量』等、多くの著書あり。


・ 隠元は、中国臨済三十二世正伝の祖師で、釈迦・達磨の再来といわれた。隠元が故国の名刹を捨てて来日したのは、63歳の時。長崎・興福寺の逸然性融が、4回も手紙を出して来日を願い、実現したものであった。

・ 鉄眼(てつげん)道光は、寛永7年(1630)、肥後国(熊本)生まれ。13歳で出家し、21歳で、京都で勉学。26歳の時、この隠元に教えを請うことを願い、大阪から、長崎の隠元を訪ね、参禅した。

 40歳の時、鉄眼は、はっきりした目標をつかむ。
 『大蔵経』の日本版ををつくりあげることであった。当時、日本ではまだ『大蔵経』の印刷・出版はされていなかった。鉄眼は、京都に向かい、隠元を万福寺に訪ねた。

 「生涯をなげうって、日本版の印刷・出版をなしとげ、仏法の興隆に尽くしたい、 そう決心しました」と、『大蔵経』開板の大願を告げる。
 隠元はこれを激励、大事業は、進められることになった。

・ 鉄眼は、全精力を傾けて、募金活動のために全国を歩いた。 行くところ所で、講義をし、人々に 『大蔵経』開板の募金を訴えつづけた。そして、苦行に耐えた。全国から浄財が集められ、12年の歳月が『大蔵経』開板のためについやされ、黄檗山万福寺は、あげて鉄眼の志を援(たす)け、さしもの大事業が、完刻した。

・ 鉄眼版の『大蔵経』は、刻(ほ)りが鋭く、文字は格調高い。 板木は、厚さ15ミリ・両端の縁の厚さ30ミリ、タテ240ミリ×ヨコ620ミリ、素材は桜で、実に美しい。1枚の板木に裏・表に各4ページずつを刻み、両面で8ページ、それが6万枚。48万ページ。想像もできない量である。これを支える費用は、鉄眼の講義・講演によって集められた。
 40余か国を巡歴し、『大蔵経』開板のために、生命をかけた。民衆からの浄財、民衆の願いがこの鉄眼版『大蔵経』にこめられている。それは鉄眼の熱意が民衆を動かしたからに他ならない。

 人間は一生のうちでたった一つのことに、これほどまでに打ち込めるのである。

・[大蔵経] : 仏陀の死後、仏陀が説いたもろもろの教えを、その弟子達が手分けをして整理をしました。その内容を文章化したものが、仏典(経典)。それら仏典(経典)、さらにそれらを解釈した論書などを集大成した叢書が、「大蔵経」(「一切経」)。

 大蔵経の構成は、僧としての生活規律を説いた「律蔵」、説教を述べた「経蔵」、それらの解釈をした「論蔵」の三つで、これを三蔵という。<鎌倉シニア通信より>

・[大蔵経の出版] : 今日ではコンピュータのおかげて、簡単に印刷物を作れますが、日本にお経が伝えられた頃はたいへんな作業でした。複製を作るには書き写すことが主流でした。よく使われるお経は何度も印刷出版されていましたが、大蔵経全部の出版はなかなか実現しませんでした。<飛不動HPより>



や. 『 』

い. 『 生き生きと 生きよ 生き様 置きみやげ 』
 
 引用は、『 生き方上手 』(日野原 重明 著、ユーリーグ 刊)から。
 日野原重明氏:1911年、山口県生まれ。聖路加国際病院理事長・同名誉院長・同看護大学学長。「習慣病」という言葉を生む。主著『道をてらす光』『老いを創める』、他。


・ 私は90歳になりますが、いまだに現役で、創造力も行動力も若い人には負けないつもりです。

・ 現役引退のときは誰にもやって来ますが、生かされている最後の瞬間まで、人は誰も「人生の現役」です。その自覚は最低限もっておくべきです。「現役」とは、「いま」を生きることに、自分という全存在を賭けている人のことです。年齢や性別とは関係がありません。 アメリカ社会では、男女差別をしないのと同じように、年齢による差別をしません。あらゆる提出書類から生年月日を問う項目は削られていますし、たとえばハーバード大学には教授の定年制はありません。

・ いきいきと生きる……。「生きる」ということばが3つ連なった、このすばらしいことばのように生きたいと誰もが思います。いきいきとした自分を発見するには、ボランティアの体験は絶好です。

 私は定年後から、かれこれ25年来、ボランティアをフルタイムにしています。聖路加国際病院での役職も、6つの財団の理事長や会長職も、診察や講義もすべてがボランティアです。自分が好んで楽しんでやっているので、どんなハードなスケジュールであっても疲れを知りません。ボランティアがそのまま私の生きがいでもあるからです。

 他人のために役に立てたということは、つまり自分という存在が生かされたということであり、生きている実感をこれほど強く感じられる瞬間はありません。人生の後半は、自分に与えられた知恵やセンスや体力を、今度は社会にお返ししていく段階です。その自分を生かす場は、自分で探し求めるのです。
 私にはいつもこんなイメージが目に浮かびます。地獄の入り口で天秤を手にしてエンマさまが問うのです。

 「自分の寿命を、自分のためだけでなく、他人のために使ったか」 と。もし、天秤棒が"自分のための重さのせいで垂直に跳ね上がったりしたら、エンマさまは一言、
 「極楽は無理だね」 と、言うに決まっています。

・ 遺伝子に老化のプログラムは刻まれ、死ぬ日が予告されているのです。死は生の一部であり、必然であり、どうにも逃れることはできません。この世に生まれた瞬間が、私たちの死への第一歩なのです。
 にもかかわらず、私たちはこのかぎりあるいのちを顧みるどころか気にも留めません。死は私にかぎっては無縁だと、たかをくくっている人が多いものです。

・ 死に備えるとは、つねにまず死を想い、死からさかのぼって、今日一日をこれでいいかと問いながら生きることです。死は跫(あしおと)をしのばせて突然訪れるかもしれないのです。



ゆ. 『 誘惑は 我が心根の 試金石 』
 
 引用は、『 1日24時間をどう使うか 』(R.ジョセフ 著、ダイヤモンド社刊)から。
 R.ジョセフ氏:著述家。PRコンサルタント。もともとジャーナリスト。夜も昼もない多忙な活動の中から体験的に生まれてきたタイム・マネジメントのノウハウを書く。


・ なんとなく仕事をしたくないという気持のする場合、いったいどうしたらいいのだろうか?たいていの者はそういう気持をもった(誘惑を受けた)ことがあるだろうと思うが、そのたびごとに屈するようなら、その根本原因は、疲労というよりはむしろ怠惰であるというべきだろう。

 もしあなたが、筋肉を動かしたり、ものを書いたりする前に嫌気がさすのなら、その責任は健康にあるのではなくて、あなたの精神にあることになる。
 特別に体に故障がない場合には、仕事をしたくないというその原因は、精神の放縦に帰せられるべきであろう。 精神に問題有りである。

・ 消極的な引き延ばし主義と積極的な即行主義とは、たいていの場合、二者択一的な問題である。どちらを選ぶかを決するのは、あなたの精神状態である。
 仕事をしたくないという気持は、すべての人が常に経験する、心の奥底に横たわっている強い欲望を満足させたいという感情的な迷いである。

・ 自分の当面している仕事のうち、どれを一番先にやるべきかを決めるためにたえず考え直してみること − これが最大の秘密です。
 まず第一に骨のおれるしごとを書き出すことです。時間を浪費するのは止めなさい。つまらぬ雑事は後回しにしなさい。まず第一に、いちばん大事なことを真っ先にやる習慣をつけるようにし、人生をつまらぬことによって妨げられないようにすべきである。真実の成果を得られないようなくだらぬ些事と苦闘して、貴重な時間と労力をムダに費やしてはならない。

・ 大統領になにかの問題を持ち込む場合には、大統領は、遠まわしにものをいったりなんかせず、明瞭な、簡潔な形で提出されることを望んでいる。彼は午前中にできるだけたくさんの約束事を果たすように時間を整理しているから、彼の個人的な注意をよぶ多くの問題は、午後に研究できるようになっている。つまり、他の多くの多忙な人と同様に、大統領には、1分1秒もムダな時間がないのだ。

・ 予算案と几帳面な節約方針によって新しい毛皮のオーバーや旅行や自動車などを買うことができるように、一日の時間を巧妙に使う予算案のおかげで、あなたは必ず、すばらしい生活と人生の真実の喜びを楽しむことができるはずである。

・ われわれはすべて、なにか実質的な報酬という「はげみ」が与えられれば短時間うちに多くのことをやりとげるということを知っている。報酬はべつにお金である必要はない。それにはいくらでも方法がある。たとえば、皿を洗うにはたいてい30分はかかるだろう。しかしあなたが突然映画や音楽会にさそわれたとしたら、その仕事を半分くらいの時間で仕上げてしまうかもしれない。仕事を仕上げたらなにかおまけがつく、そんなように、自分でなにか報酬をきめて、仕事を早くやりとげなさい。
 そして仕事が終わったらその報酬を喜んで受け取りなさい。



え. 『 遠方は メール 近きは 日に一電 』
 
 引用は、『 現代の賢者たち 』(坂田 道信 著、致知出版社刊)から。
 坂田道信氏:昭和15年生まれ。日向高卒。31歳、森信三先生、徳永康起先生に出会う。35歳、妻と死別。農業の間に日雇い職を経験。ハガキを書き続け、現在に至る。


・ 複写ハガキ(書いた文面を手元に残すことのできる綴じ込み)を書き始めて18年、全国から講演の依頼がひっきりなしで、月に4日間くらいしか広島にいません。なかなか返事を書く時間がない状態です。学歴も何もない私がハガキと出会うことで文字を書くことの楽しみを知り、いろいろな人と出会えて本当に人生が楽しくなりました。

・ 「ハガキ書いたら人生変わるよ」って伝えたい。その人がハガキ一枚、一行のハガキを書くことによってね、パッと人生が変わったら、その喜びが私の喜びですよ。

 最近では、ハガキを書くようになって、私の人生が変わりましたという返事が随分来るようになりました。今までにない行動をすれば、いままでにない運命になるんです。

・ ハガキは日常生活の身近にあり、誰でも書ける。そのハガキによって私は育てられ、人生が変化して豊かになったんです。多くの人に出会って教えてもらったんです。

 だから、ハガキが私に人生を教えてくれ、私を導いてくれたんです。

・ ハガキは下手でいいよ、うまく書かんでいいよ、と言うんです。いいのを書こうと思ったら、書けんですよ。
 「量の変化が質の変化をきたす」というのを、私はハガキで知ったんです。

・ 人と出会ったら、その人が実に楽しくなるような文字をハガキに書いて差し上げるんです。自然に出てくる言葉で。人は誰でも、自分の本質を最高に生かしたいと思っているんですよ。それが最高の喜びなんですよ。最高に自分を生かした生き方になったら命も何にも要らなくなる。

 素晴らしい腕の職人が木に出会ったら、ものすごくいい家具を作って、その木の本質を最高に生かすでしょう。木がものすごく喜んで働いてくれるようになる。リーダーは人間と出会ったら、その人の本質を生かす。そうしたらその人は喜んで働くようになるんです。

・ あんまり、何もかもそろわなくても、そろわん人のほうが多いんですから、何もなくてもあのように生き生きと生きとったら、いいなあと思われるような生き方をしたい。

 それが値打ちのある生き方だと思うんですよね。ああ、あの人に出会ってよかったなあと、一つの見本になるような生き方をしたいんです。

・ 私は話をさせてもらう時に徳永先生の名前と森先生の名前は必ず、出すようにしているんですよ。森信三先生が徳永康起先生に複写ハガキを勧められた方ですから、森先生が原点ですが、直接的には徳永先生との出会いがきっかけでハガキ道を始めるようになりました。

・ 指導を受けたその生徒は、特攻隊員として死地に飛び立つとき、徳永先生あての遺書の中で「あのナイフの事件以来、私は先生のような人物を目指すようになった。私の人生はあの時から始まる。本当に先生に出会えてよかった」という趣旨のことを書いたそうです。

 その徳永先生に、松山で出会い、その徳永先生の励ましから、私の人生、ハガキ道が始まったんです。徳永先生の命日6月29日は「複写ハガキの日」で、皆でお祭りです。



ら. 『 楽有れば 苦有り苦労は 楽招く 』
 
 引用は、『 我が処世の秘訣 』(本田 静六 著、三笠書房刊)から。
 本田静六氏:1866年埼玉県生まれ。11歳で父を失い苦学。本田家養子、東大農卒。ドイツ留学。東大教授、林学博士。日比谷公園設計。講演・著述で活躍、著作376冊。


・ 独立し成功するための12ヵ条。
1.常に心を快活に保つ。
 快活な人に逢えば何人も気持ちよく感ずるが、暗い苦い顔をした陰気な人と接すれば、何となく不愉快になるのは、我々が日常よく経験するところである。したがって我々はすべからく快活でなければならない。人は気の持ちよう一つで、すぐに陽気にもなり陰気にもなり、愉快にもなり悲しくもなるものだ。いかに不幸の時、苦痛の時でも、それよりもなおいっそうその上の不幸、苦痛の覚悟さえすれば、それがたちまち感謝に変じて快活になるのである。

 されば私は、いっさいの悲観をやめて、常住坐臥、絶えず快活に生きるため、毎朝目覚めれば、まず今日も生きていたなと感謝し、忙しければ忙しいほど、自分が働き得ることを感謝する。そしてもしも病めば、休息を与えられたなと感謝しつつ、充分に休息して癒った後の活動に準備し、貧すれば負担が軽くなったと感謝し、富めば思うままに有益な方面に金の使えるのを感謝するというふうに、あらゆる場合にその苦しい、厭な暗い方面を捨てて、新しい愉快な明るい方面にのみ心を振り向ける。そして難しいことほど、嶮岨な路ほど、心にかなうと信ずる。それは苦難は快楽に到達する段階であって、快楽の程度は苦難の大きさに比例するという体験を有するからである。

・ 我が友田村剛博士は、かって台湾よりの帰途、門司下船の際、ほとんど両脚を失うほどの稀有の厄難に逢った。私が見舞いに行くと生きる苦しみの惨酷さをるる訴えられた。そこで私は次のような激励の言葉を述べたのである。

 「大いなる苦難は大いなる喜悦をもたらす。平凡な生活の人には平凡のことしかできない。由来、災難は天が我々に与える試練であって、我々は必ずやこれに堪え得る力を有するものである。それはあたかも慈愛深き母親が、強き子には重き荷を負わせてますますその力を伸ばさせ、弱き子には軽き荷を負わせて、歩みを続けさせるのと同じで、天は決して人を殺すような無理な試練を課するものでない。だから身にかかる災厄が重いほど、それだけその人に大任を授くべく天より選ばれた幸福を感謝すべきだ。

 古人も『天の将に大任を是人に降さんとするや、必ずやまずその心志を苦しめ、その筋骨を労しその体膚を餓やす』といわれたように、君の今回の受難は、君の生涯に何物にも代え難き幸福の基である。君はこれより物事を恐怖せざる人、いかなる災厄にも平気で打ち克つことのできる人となり、他人にでき難い大事業を成し遂げらるべきと信ずる。
 古来大事業を成した人はいずれも決死的受難に堪えてきた人のみだ。私は君が今度の受難をかえって幸福に振り換えさせる力を充分持っていることを信ずる」といったのだった。

・ 仕事はすべて先へ先へとなし、用事を後に残さぬ習慣をつけておくことは成功の一要素である。今日の仕事を明日へ繰り越せば仕事が溜まって、ついに動きのとれないようになるのみならず、明日の仕事も充分できず、毎晩安眠して休養することができず、神経衰弱などになるものである。だから私は、できれば二日分も三日分も済まして、後で雨が降ろうと風が吹こうと、また病気になろうと、差し支えないようにしたものだ。



り. 『 理解せよ さすれば情愛 湧いてくる 』
 
 引用は、月刊『致知』鈴木秀子先生のお話から。
 鈴木秀子:東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。聖心女子大学教授を経て、現在国際文学療法学会会長、聖心会会員。


ある先生が小学校5年生の担任になりました。
クラスの生徒の中に、勉強ができなくて、服装もだらしない不潔な生徒がいました。
その生徒の通知表にはいつも悪い評価しか書いていませんでした。
 
あるとき、この生徒が1年生だった頃の記録を見る機会がありました。
そこには、「明るくて、友達好き、人にも親切。勉強も良くできる」と書いてありました。間違っていると思った先生は、気になって2年生以降の記録も調べてみました。
 
2年生の記録には、「母親が病気になったために世話をしなければならず、ときどき遅刻する」と、書かれていました。
3年生の記録には、「母親が死亡、毎日、悲しんでいる」と、書かれていました。
4年生の記録には、「父親が悲しみのあまり、アルコール依存症になってしまった。
暴力をふるわれているかもしれないので注意が必要」と、書かれていました。
 
先生は急にこの生徒が愛おしく感じました。
悩みながら一生懸命に生きている姿が浮かびました。
放課後、先生はこの生徒に、「先生は夕方まで教室で仕事をするから、一緒に勉強しない?」
と、男の子に声をかけました。
男の子は微笑んで、その日から一緒に勉強することになりました。
 
6年生になって男の子は先生のクラスではなくなりましたが、卒業式のときに先生は男の子から、「先生はぼくのお母さんのような人です。ありがとうございました」という言葉を書いたカードを受け取りました。
 
卒業した後も、数年ごとに先生は男の子から手紙をもらいました。
 
「先生のおかげで大学の医学部に受かって、奨学金をもらって勉強しています」
「医者になれたので、患者さんの悲しみを癒せるようにがんばります」
などと手紙に書かれていました。
 
そして、先日、届いた手紙は結婚式の招待状でした。
 
そこには、「母の席に座ってください」と、書き添えられていました。
 



る. 『 類のない 道でよし我が 行く道は 』
 
 引用は、『 成功哲学 』(ナポレオン・ヒル著、騎虎書房刊)から。
 ナポレオン・ヒル氏:アンドリュー・カーネギーの要請で成功の秘訣の体系化に着手、著名な500名以上の成功者が協力、20年後に完成。ナポレオン・ヒル財団を設立。


・ 10人のうち9人までが白だと言っても、あなたが本当に黒だと思うなら、黒だと言うべきである。自分自身の判断を捨てて、納得できる理由もなく、他人に同調するのは無能な人間の第一歩だと思ってほしい。

 あなたが完全に自分自身であり続ければ、いずれはそのことが評価され、他人の権利を尊重することにもつながっていくはずだ。それは恋愛や友人関係、遊びにおいても言えることである。このようにあなたが常に自分自身であれば、自然と心の中に自信が芽生えてくるはずである。

 その自信は、常に自分で判断できるという心の平安へとつながっていくだろう。そしてその心の平安こそが、人生において大きな成功を勝ち取る際の基礎となるのである。

・ 60歳を過ぎてからでも、大いなる変化を遂げる人は多いものだ。人間は自分の自治権を天から与えられている。自分の心を自分で決めるということがいかに素晴らしいものであるかということを知っておかなければならない。

 人間が<他人ではなく>自分自身の人生を生きること、<他人の考えでなく>自分の考えを持つこと、自分の願望や目標を見つけてそれを達成すること−そのために天は人間に自治権を与えてくれたのだ。

・ だから、今すぐにでも、あなたが自分自身であるためにできる限りのことにとりかかってほしい。自分自身になる決意を固めてほしいのだ。

・ 人が自分自身に気づき、自我を発見してそれらを自分のものにすると、それは周りの人すべてがそれと感知する。ちょうど、シマウマの群れの近くにライオンが来たときのシマウマのようにである。

 それは声の調子にもなって現れるし、顔の表情や身体の動き、明確な思考、確固とした願望、積極的な心構えとして現れる。それらが、相手の人に、この人を信用して一緒に仕事をしていこうという気持を起こさせるのだ。

・ 失敗したとしても、内面の自己をしっかりつかんでさえいれば、つまり、真に自分自身でありさえすれば、叩きのめされたままダウンするということはない。殴り倒されはしても、すぐに反撃することができるのだ。凸凹の道にまぎれ込んだとしても、必ず舗装したハイウェイに出るルートは見つかるものである。

・ 心に信じられることは、何であれ達成できる。これが「大いなる秘密」である。願いは心の表面に浮かぶものでしかないが、信念はあなたの一部となって消えることがない。

 自分の欲する信念をつかみ、それをあなたの潜在意識の中に植えつけよう。するとあなたの潜在意識は、あなたがその信念に向かって行動するように仕向けてくれる。

・ 平安な心で富を享受できる人生は、PMA(Positive Mental Attitude)すなわち『積極的な心構え』を持つ人間のもとに、最もよく訪れる。確固とした願望や目標を持てば、心の姿勢は自ずとPMAとなり、願望や目標へと自分を推進してくれる行動力を持続させるパワーも、ここから生じてくる。

・ 否定的動機には、1.怒りと復讐 2.恐怖、この二つがある。



れ. 『 劣等感は 真珠生み出す 貝の傷 』
 
 引用は、『 「やる気」の哲学 』(謝 世輝 著、三笠書房刊)から。
 謝 世輝氏:台湾生まれ。台湾大学卒業後、来日。名大大学院で原子物理学博士号。文明・文化史、歴史学に転身。東海大教授。著書に、『成功の黄金律』、訳書に『信念』他。


・ どんな人間でも、得意もあれば不得意もある。それは当然だ。 また、いかなる職業、稽古事であれ、誰でも初めは初心者である。最初からうまくいくはずはない。それが当たり前なのだから、初心者のうちからそつなくこなせないといって思い悩む必要はない。

・ 自分の背の低いことに対して劣等感を抱いていたのは、ナポレオン・ボナパルトである。彼はその劣等感をバネにして、それ以外では誰にも負けない男になろうと決意し、ついには全ヨーロッパの覇者にまで昇りつめた。 「余の辞書には不可能という字はない」とは、あまりにも有名な彼の言葉である。

 三重苦を克服した稀有の人物、ヘレン・ケラー。彼女はまったく何も見えず、何も聞こえないという障害を抱えながら、触れるという手段によって情報のインプットを受け、最後には自分の口でしゃべることができるようにまでなったのである。

 逆境こそ人を強く成長させる糧である。悪条件こそ人を大きく前進させるバネである。劣等感によって苦しむのはやめよう。
 「積極的な考え方」と「強い意志」で事にあたれば、たいていの願いは成就する。

・ 誰しもが何らかの劣等感を抱いている。問題になるのは、自分の心の中に巣くっている、その劣等感をどう処理するかということなのだ。

 劣等感に悩み続けて、それを恐怖にまで高めてしまい、自分の人生を劣等感に支配させてしまうのか。それとも、劣等感を克服して成功者への道を進むことができるかどうかということなのだ。

・ コンプレックスの固まりから様々な苦労を経た末に、大成功する例を自ら示し、『積極的に考える』でベストセラー作家になったノーマン・ピールは断言している。

 「成功するための基本的テクニックがあります。自分自身を信じなさい。最善を期待しなさい。自分がもっているすべてを投じるのです。」


・ タバコがやめられないなどというのは、思いこみのいい例である。「できる」と考え、「やってやる」と強く思い、それにふさわしい努力をするならば、願いは必ず実現する。自信のともなった「やる気」があれば、あらゆることが可能となる。

 過去の長い歴史の中で成功した人々にはある共通項がある。それは、「積極的な考え方」、「やる気」の哲学をもっていたということだ。この積極的な心構え・哲学こそが、チャンスや援助、あるいはパワーを引き出すことができるということである。

 積極的な心構えを保ち続け、必ずかなえられると信じ、ひたすら努力する必要がある。

・ 一般に人びとが生涯を恐怖と苦しみの中に費やしてしまう唯一の理由がある。それは本当の自分が何物であるかを気づいていないということである。真理に対して眠っているのである。

 人間の苦しみの問題の解決は、本人が目覚めて自分が何者であるかを完全に自覚するようになることにある。…『無限の宝庫を開く』D・E・デーヴィス著
・ 私たちは、文字通り厳しい現実にたたかれ、何度も挫折や失敗を繰り返し、もがき苦しむ中で自己の能力をきたえあげ、はじめて悟る機会を与えられる。



わ. 『 忘れるな 忘れやすいが 人の常 』
 
 引用は、『 小さなことから自分が変わる 』(シェリー・カーター・スコット著、四季社刊)から。
 シェリー・カーター・スコット氏:心理学博士。IBMなどの企業のコンサルタント。つらい経験をいかに自分の成長の機会に転じるかを説いた「人生のルール」に定評あり。


・ 自尊心を忘れないこと − それは、自分に価値を認めること、そして人生が突きつけてくる試練に立ち向かっていくことを意味している。

 精神という名の建物の礎となる自尊心、その自尊心を持つことをまだ覚えていないなら、あなたは何度でも繰り返し人生からテストされるだろう。そしてそのテストは、自分に自信を持ち、かけがえのない「自分」という存在の価値に気づくまで続くだろう。

・ 私の友人で、生涯に二度の大事故に遭った人がいる。
 その彼は今、講演活動を天職にしている。

 「問題は、何が起きるかではない。問題にどう対処できるかなのだ」

 − それが彼の講演のテーマである。彼は、人生の試練には立ち向かうことができること、そして、肉体的なハンディキャップを負っていても幸せになれることを説き、毎日のように人々を勇気づけている。

・ 自尊心を手に入れるためには、三つのプロセスがある。

 まずは、自尊心を持つのを邪魔しているものは何なのか、その原因を見極めること。
 そしてその正体を突き止めたなら、自分の心の奥深くを探って、本当の自分とのつながりを探せばいい。
 そして三つ目のステップは、行動を起こすこと。それができれば、ありのままの自分を大切に思うことも、前向きな自分に変わることもわけはないのだ。

・ 自分にとって本当に価値あるものへと続く道をたやすく見つけることができるようになったなら、あなたは「自尊心を忘れない」という教えを学んだことになる。

・ 人には、それぞれの目的があり、道がある。その人ならではの道、他人とはまるで違った道が。
 この道を歩んでいくと、たくさんの試練が立ち現れる。人はそこから何かを学び、自分の人生の意味を知る。
 あなたに与えられた試練は、あなただけのもの。そこから何かを学んでこそ、人生の目的を知り、充実した人生を送ることができるのだ。

・ 自分を信頼し続けるための一つの方法は、自分をたしかめられるものを持つこと。
 自分のことがよくわかっているときに、自分と自分の根っこをつないでくれるものを集めておく。何かのシンボル、もの、文章や引用文、何でもかまわない。あなたの心にある、永遠へとつながっている場所にあなたを引き戻してくれるものなら何でもいいのだ。

 ある人にとっては祈り、ある人にとっては深呼吸、その他に本を読む、瞑想する、ジョギングする、絵を描く、犬と遊ぶなど。
 これらは、あなたを一時的な記憶喪失の状態から引き戻す仕掛けなのである。
 何があなたとあなたの本質をつないでくれるのか、知っているのはあなただけしかいない。
 それを見つけていつも大切にそばに置き、真実から遠く離れすぎてしまったときには、頼りにしてほしい。

・ 智恵は頭のよさではない。それは、外から入る情報よりも内側からの直感を、能力よりも行動力を、知識一辺倒よりもインスピレーションを大切にする心のことだ。

・ 人から軽蔑されるときには、かならず自分にも原因がある。(エレノア・ルーズベルト)

・ 自分を愛し、自分の選んだ道を信頼すること。鍵は、あなた自身の心の中にある。 



う.. 『 恨み無し こだわりも無し あるがまま 』
 
 引用は、『 小さなことから自分が変わる 』(C.C.スコット著 三笠書房刊)から。
 Cherie Carter-Scott 氏:IBMやアメリカン・エキスプレスなどの企業コンサルタントを勤めるかたわら、講演会やセミナーで活躍。本書は、全世界的な大ベストセラー。


・ 太い脚を人目にさらすのが恥ずかしくて、真夏の暑い日でも長めのバーミューダ・パンツをはいていた。もっと引き締まった脚だったら、もっと前向きな人生が送れるはずだと、本気で信じていた。何とかして理想の脚にならないものかと思っていた。

 結局のところわたしは、自分の太い脚を好きになることで、この冷戦を終わらせようとした。しかし、言うはやすしで、実行するとなると難しいことだった。自分の「お気に入り」のところを愛するのは、いとも簡単なことだ。けれど、自分の理想像をあきらめるのはつらいことだった。

 そして時がたつにつれ、わたしは自分の脚をありがたく思うようになった。今は、強く頼り甲斐のあるこの脚のおかげで、私は健康で丈夫に暮らしている。毎日5キロのジョギングだってこなせる。

・ あるがままの肉体を受け入れたとき、人生は正しい方向に向かって進み始める。自分の肉体を愛し、尊重し、誰かの愛情を…とりわけあなた自身の愛情を…得るために、「もう少し〜だったら……」ということを欲しなくなってはじめて、本当に自分の肉体を受け入れたことになるのだ。

・ どんなに困難に見えても、自分の肉体は受け入れなければならない。ハンディキャップを克服した人たちの魂の祭典、パラリンピックを見るといい。

 自分の肉体を受け入れるためには、あるがままをしっかりと見つめること。自己批判の牢獄を開放する鍵は、あなた自身の心の中にある。

 恨みがましい不満を口にし、自分をさげすみ続けることだってもちろんできる。けれど、ほんの少しでも気持ちを切り替えて、自分を受け入れることもまた、人生においては大きな意味がある。
 どちらのやり方を選ぼうと、現実は変わらない。受け入れるも受け入れないも、あなたの心一つ。
 どちらにせよ、あなたの外見が変わるわけではない。

 ならば、自分のありのままを受け入れずに心を痛めるよりも、 受け入れて心の平安を得る方がいい。選ぶのは、あなたなのだ。

・ ためには、自尊心を忘れないこと……それは、自分に価値を認めること、そして人生が突きつけてくる試練に立ち向かっていくことを意味している。

 自尊心を持つことをまだ覚えていないなら、あなたは何度でも繰り返し人生からテストされるだろう。そしてそのテストは、自分に自信を持ち、かけがえのない「自分」という存在の価値に気づくまで続くだろう。

・ 自分にとって本当に価値あるものへと続く道を、たやすく見つけることができるようになったなら、あなたは「自尊心をわすれない」という教えを学んだことになる。

・ わたしの友人で、生涯に二度の大事故に遭った人がいる。その彼は今、講演活動を天職にしている。「問題は、何が起きるかではない。問題にどう対処できるかなのだ」……それが彼の講演テーマである。 



え. 『 永遠の 命の証(アカシ) この五体 』
 
 引用は、『 宗教のしくみ事典 』(大島宏之著、日本実業出版社刊)から。
 大島 宏之氏:世界宗教者平和会議日本委員会事務局長、明るい社会づくり運動全国協議会事務局長など歴任、宗教評論家。主著に『宗教がわかる事典』、『青年と新宗教』等。


・ いずれの宗教でも、人間は、過去世・現在世・未来世の三世を生き通す存在であることが説かれています。
 過去世・未来世には、高天原(神道)、極楽・浄土(仏教)、楽園(イスラム教)、天国(ユダヤ教・キリスト教)があり、また一方で、黄泉(ヨミノ)国(神道)、奈落・地獄(仏教)、地獄(イスラム教・ユダヤ教・キリスト教)があり、その中間にあるのが現在世であるという三世観・世界観です。

 三世を生き通す命の中で、現在世を考え、現在における人間のあり方を考える。人間はいかに生きるべきか、そこに力点が置かれている点が共通しています。

 それは、なぜでしょうか。

 これら宗教にあるのは、「永遠の生命」が真に自覚されたならば、人々の生の営みは善の方向に必然的に歩み出すことになるという宗教的確信です。

・ 「生ける時善をなさずんば、死する日獄(ゴク)の薪(タキギ)とならん。」(最澄「願文」)

 「それ人間の浮生(フショウ)なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終(シチュウジュウ)まぼろしのごとくなる一期(イチゴ)なり。さればいまだ万歳(マンザイ)の人身(ジンシン)をうけたりということをきかず、一生すぎやすし。(中略)されば朝(アシタ)には紅顔ありて夕(ユウベ)には白骨となれる身なり。」(蓮如「御文章」)

 「罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物(タマモノ)は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。」(『聖書』「ローマの信徒への手紙」)

・ 現在世の生き様、生前の生き方が、未来世のあり方につながるという共通項が見えます。

 弱さを持つ人間に対して、その信を確かなものにするために、三世という角度から、様々な教えが共通して説かれていると言えます。

 宗教が説く三世(永遠の命)は、人間の生が真にまっとうされることを願って説かれたものであるということではないでしょうか。

 「永遠の生命」の自覚に立てば、刹那的で奔放な生き方は、悔やみしか残さなくなる。そのことが理解されるということではないでしょうか。

・ 宗教の定義は、宗教学者の数ほどあると言われていますが、どう受けとめたらよいのでしょうか。

 あえて、「宗教とは何か」ということに言及すれば、 この世において、「大いなる存在」の実在を認め、その導きにしたがって自分の人生を歩むことを決意した人々に具現した精神的営み、これが「宗教と共にある生活」と言えるのではないかと思います。

 そして、各宗教は、人々に対し、真の人間としての生き方、人間性の回復を呼びかけながら、歴史を越えて人間の本質的生き方の営みを継続させる力を発揮しているのです。

・ 宗教とは、神性感、神秘感、威厳感等、特定の心的態度によって特徴づけられたる生活態度に基く生活なり <宗教を人間の感情や体験の上に見出そうとする立場> 。(宇野円空)